コロンコロロン転がりて(前)

 うすら寒いほど優雅なモーニングだった。

「海外旅行はどうだった? コロロッチェ」

 多忙な母は新聞に目を注いだまま紅茶を啜った。

「とても良い男性と知り合えましたわ。お母さま」

 娘は、母の眼鏡がいつの間にか老眼鏡に代わっていることに気付かぬふりをしながら、ガラス鉢のチョコレート菓子を一つ摘まみだし、赤い包みを破って口に入れた。

「どんな人?」

「そうねえ……うちのパパ様よりも年上で、でも体は結構頑丈そうで、引き締まったお顔の人」

「連れて帰れば良かったのに」

「でもその人、大きなファミリーを抱えてらっしゃるの。ご家族の名前と連絡先、メモしといたわ」

 娘・コロロッチェはチョコを舐めた手で一枚の紙片をポケットから出すと、母に向けてテーブル上を滑らせた。

「ねえ、ママ殿」

 コロロッチェは今度は黄色い包みのチョコレートを口に放り込み、「すっぱい」と顔をしかめた。「ああいう人を連れて帰ったり、縁が出来たりしたら、母上様にとっては悪い話になるのかしら?」

 母・静代はチラリと紙片に目を落とし、

「確かに、我が社の評判においては好ましくないわね」

 そう言って口をつけた紅茶はぬるくなりかけていた。静代はそれを一息に飲み干して言葉をつづけた。

「けれど、あなたの事情はあなたのものよ」

「あら、うれし」

「あなたが本気なのなら、ね。コロロッチェ。あなたがそれほど欲しい相手なら、首に縄つけてでも引っ張って来ているでしょうに」

「なにそれ……、うっふっふ。さすがご母堂様はよく見抜いていらっしゃるわ。それでその連絡先、どうなさる?」

「一応いただいておくわ」

 と、猫が虫を捕るような仕草で母が紙片を手中へ収めるのを、娘は黙って見ていた。そういうところは、性格が違う。コロロッチェには一応もらっておくという発想はない。いるか、いらないか、世の中はそれだけだ。母はその点にかけては少しばかり懐が広いようだが、まあそれでも、うちの殿方連中よりはずっとマシだ。

 コロロッチェはまた赤い包みを破った。

「じゃあその紙がお土産ね。旅行話はこれでおしまい。ところでマザー、近頃うちのパパ様、以前よりもなんかオドオドしてなぁい? 誰かに秘密でも握られたって感じの顔で家の中ウロウロしてるんだけど」

「気のせいよ」

 すぱんと一太刀、母は話を断ち切った。こうなればコロロッチェは退くしかない。この人がダメと言ったらダメなのだ。そういうところは自分の性格にしっかり受け継がれている。

「じゃあ、コロさんは? 最近急に色気づいたんじゃない?」

「……あなた、帰国してからコロッチェに会ったの」

 これには食いつくのか。コロロッチェはにわかに目を輝かした。

「会ったも何も、空港までお出迎えに来てくれたのコロさんだもの。便利……いえ、優しいお兄様。新車でしょ? あの車。だけどあれ、間違いなく女を乗せているわね」

「私は一回しか乗せてもらってない」

「なんか知ってる?」

 しばし沈黙があった。コロロッチェはひたすらチョコレートを頬張りながら待った。やがて冷徹な経営者はカップに手を伸ばしかけ、すでに空になっていることに気が付くと鋭い舌打ちを放ち、ゆっくりと言葉を選びながら口を開いた。

「男同士……。そういう話は、男同士でするもの」

 コロロッチェの小鼻がふくふくと膨らんだ。

「うちのお父様、そんな話の相手が務まる方だっけ? まあでも確かに既婚者か……。うーん」

「先生はお仕事中」

「じゃあヒマってことね。ありがと、お母さん。おかげで私もヒマが潰せそう。詩人先生と仲良くwin-winしてくるね」

 娘は去った。母は残った。

 母がようやく新聞の広告まで堪能しテーブルの上に目をやると、ガラス鉢には黄色い包みばかりが残されていた。

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