コロンコロロン転がりて(中)

 コロロッチェは父を好いている。特に、詩人気取りのひょろひょろパパが何事かブツブツつぶやきながら家の中をうろつき回っているとき、その頼りない背中めがけて全身で飛び込んでゆくのが好きだった。

「パパ!」

「ええ? おお、ぐええっ!」

 カエルを踏みつぶしたってこんなに面白い声は出やしない。物心ついたころから今に至るまで、コロロッチェは成長した身体を全力で叩きつけ続けてきた。

「うおお、おお、コロ、コロ、コロロッチェや」

 父は倒れそうで、倒れない。カマキリのような手足なのに年々強くなる娘の衝撃にもよく耐え、よくふんばる。

 今日もロッチェは耐えた。そんな父の細身に秘められた意外な骨の強さを、コロロッチェは背後から密着させた身体全体で感じ取っていた。

「ハァイ、先生。あなたの愛娘よ」

「コロロ、後ろから飛びついちゃいけないと何度も言っただろう。危うく洗濯機の中に頭を放り込んでしまうところだったよ」

「あら、洗顔の手間が省けていいじゃない。それよりもねえセンセ。最近、ママと何かあった?」

「ぶっ」

 ロッチェはもじゃもじゃ頭をでたらめにかき乱し、娘の腕を逃れたはいいが、自分の居場所がそれ以上逃げ場のない洗濯場の奥であることに気が付いて狼狽えた。

「何も、何もないよ。喧嘩なんてしていない」

「喧嘩だなんて言ってない。……でも、まあ、フーンだ。いいもん。うちの両親の力関係はよくわかってるから。で、ロッチェ君の恋人はだぁれ?」

「ぶっ!」

「あらやだパパ。私何もしてないのに、自分から洗濯機に頭を突っ込んじゃったじゃないの」

 父親を救助した後、娘は改めて尋問した。返答次第では拷問にするつもりで。

「うちのご長男、女の人いるよね?」

「コロ、コロロ、コロ、コロロロ……お前、お前、なぜ」

「名前が紛らわしいのよまったく。本当にうちの男どもは隠し事が下手くそですこと。だけど今の目的はパパをいじめることじゃないの」

 趣味だけど、とは口に出さない奥ゆかしさがコロロッチェにはあった。

「男同士の会話で、何か相談されたんでしょ? あっ、隠さなくたっていいから。わかるから。時間の無駄だから。バレバレだから。だからぁ、お兄ちゃんの恋しい人がどんな相手なのか、教えて?」

「お前なぜ、そんなことを知りたがるんだい」

 質問の答えになっていない、と大好きなパパのほっぺをつねるには格好の口実だったが、やめておいた。ロッチェ先生がこんな意味のない答えの先延ばしをするからには、よほど言いたくない事情があるに違いない。そして母の推測した通り、父はそれを知っているのだ。ひとまずそれを教えてくれただけでもコロロッチェは少しばかり寛大な気持ちになってあげてもよいと考えた。

「そんなこと? だって大事でしょ。ねえパパ正気? よく考えてみて? あのコロッチェ兄さまが、よ? 女の人なんてママか妹ぐらいしから知らない純情坊っちゃまが、買ってもらったばかりの車に女を乗せて連れまわしているだなんて一大事じゃない! 佐久間家最大の事件だわぁ。ああ気になる」

「それは、コロロ、そう、だろうけれど……」

「あ、待って。当てる。その人ねえ、たぶん……年上!」

 先生は何も言わなかった。鋼の意思で沈黙を貫いたのではない。あんぐりと口を開けて、図星をさされたと白状丸出しの顔で固まったのだ。

「やっぱりね。同世代とか、年下の子を口説ける性格じゃないもの。で、どうして知り合ったの? まさか変なご職業の方じゃあないでしょうねえ」

「私は、私は何も言わないよ! コロッチェ本人に聞きたまえ」

 とうとう先生、尻尾を巻いてクシャクシャと縮こまってしまった。もうこうなると味のなくなったガムも同然だ。コロロッチェは父を解放してあげることにした。

「そーね。じゃ、今からお兄ちゃんの学生寮にでも討ち入ろうかな。むふふ、周りの同級生たちになんて思われるかーしらん。じゃあね、パパ。楽しかったわ」

 コロロッチェが上機嫌で出て行くと、ロッチェは嵐が過ぎた後のリスのようにそろそろと、洗濯機の影から顔を上げた。すると廊下の奥へ向かっていた娘がくるりと振り向いて、心底から愛情に満ちた笑顔を見せた。

「旅行のお土産のチョコレート、テーブルに置いてあるからね。全部パパにあげる」

 私が食べ残したすっぱいやつ、とは言わない謙虚なコロロッチェであった。

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