コロッチェは豚カツを食い、食われる(後編)

 コロッチェは悩んだ。

 一週間というもの、悩みに悩みぬいた。

 しかし無理だった。純情なコロッチェ君に赤の他人を殺すと言うような振る舞いは土台無理なことであった。

「どうして僕は殺しをせねばならんのだろう」

 一食の恩はある。義理とも言える。欠かしてはならぬ。しかし限度というものがある。たかだか数百円の負債のために、人殺しを頼まれる道理などあるはずがない。

 ないのだが、コロッチェ君には無視できない。できない原因はあの女である。

 あのひとは謎めいていて、魅力的だ。

 純情なハートにそうインプットされてしまったが故に、コロッチェ君はどうしても女の頼みを無碍には出来ぬのであった。

 かくしてコロッチェ君は地獄の災禍に焼かれた。殺さねばならぬ。だが殺せぬ。自分がこうして訳の分からぬ事態に追い詰められているように、全く他人を殺めることは、その他人にとってはより訳の分からぬ災厄となってしまうのだ。

 それだけは出来ぬ。出来ぬコロッチェ君なのだ。

 そうして期限の一週間目。コロッチェ君は気が付いた。

 気が狂ったとも言えるだろうが、こう考えた。

「他人じゃなければいいのだ」

 今回の出来事に関わっているのは誰だ。

「誰でもいいなら、あの女性ひとでも良いではないか」

 なんと簡単な事だろう。コロッチェ君の胸は晴れ晴れと冴えた。

 いつかの繁華街。

 約束の時より少し早いが、コロッチェ君は静かな心持ちで、女が現れるのを待ちながら、そこいらをウロウロしていた。

 ――首を絞めようか。そうしよう。ぎゅっと抱きしめてそうしよう。あの人の温もりを、ぎゅっと感じて絞め殺そう。

 股間がムズムズする。純潔を捨てる時がやってきた。男になるのだ。


 だが、その時は訪れなかった。

 コロッチェ君は見てしまった。寿司屋にほど近いスーパーの裏口から、例の女が現れるのを。

 女は子どもを連れていた。4歳ぐらいの女の子だ。口の中で何かを舐めている。

「それお昼、ちょっと遅くなるの我慢してね」

「なんで?」

「ちょっと人と会うから……あっ」

 目が合った。

 コロッチェは目を瞑った。女はちっとも謎めいてなどいなかった。ただの女だ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、火遊びごっこをしてみたかっただけの――。

「いいですよ」

 コロッチェ君は笑った。全てを理解し、許す顔のつもりで。

 女は笑わなかった。コロッチェに気が付いて、最初は怯えて、次にバツの悪そうな顔をした。そして娘の手を引いて、足早に駐車場の方へと去って行った。

「あれ、誰?」

「知らない人」

 母娘の会話が聞こえた。コロッチェ君は頷いた。

「そう、知らない人」

 お互いにとって、これ以上の幸せな関係はないと誓った。

 かくしてコロッチェ君は苦悩から解き放たれた。もう、人殺しなどと剣呑な宿題を抱える必要はなくなったのだ。手を汚すこともなく、コロッチェ君の純潔は守られた。

 されど、本当だろうか。

 色気を知らぬコロッチェ君。初心な心は、本当にそのままだったのだろうか?

 幾日かしてから、やっぱりコロッチェ君は思い染めた。

「なんて綺麗な人だろう」

 今度はもっと晴れ晴れと、金を持って。

 今日もコロッチェ君は寿司屋へ行く。あの女に会いに。そして今度は真っさらに、正面からお近づきになれることを夢見て。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る