コロッチェは豚カツを食い、食われる(前編)

 人を殺さねばならぬ。コロッチェは暮れの町を歩きながら途方に暮れた目で、行きかう人々を眺めていた。

 ――あの手押し車の老婆はどうだ。後ろから襲ってぐいと首を絞めたら、ぐうの音も立てぬまま息絶えてくれるのではないだろうか。

 ――自転車でかっ飛ばす学生はどうだ。横合いから車道に向かってどんと突飛ばせば、きっと自動車が轢き殺してくれるだろう。

 ――あっと、変わったところで、あすこのお茶の先生みたいな和服の女性などどうだろう。御髪に挿した簪をちょいと抜き取って、抱きしめながら首筋に突き刺してやるなんてのは、いかにも艶っぽくて良いではないか。

 コロッチェはあれやこれやと考えていたが、しかし、いざそれを実行できるかどうか、というところまで考えを巡らせてみると、どの方法もあまり上手くいかぬような気がするのである。

 ――老婆というものは案外元気なもので、後ろから首に触れた途端に、腕を掴まれて「人殺しィ」なんて金切り声を上げるかもしれない。それは困る。

 ――学生なんかも乱暴で、横から突飛ばそうとした途端にスピードを上げて、狙い外したこっちが車道に飛び出しちまうかもしれない。もっと困る。

 ――お茶の先生はとんでもない早足だ。着物の裾を颯爽とさばいて、もう遥か先へ行ってしまっている。困るどころじゃない、もう無理だ。

「どうも、人を殺すと言うのは難しいことだ。こんなことは学校でも教えてもらえなかった」

 コロッチェは深々とため息をついた。

 そもそも、コロッチェという青年は、こんな恐ろしいことを考えるのに向いてないのだ。

 詩人ロッチェ先生の長男で、性格は父によく似た正直者のお人好し。そして父にまるで似ぬハンサムな顔立ちで、やはり父とは真逆の恵まれた体格をしたスポーツマンである。品行方正が過ぎて若気のわりに色気のないのが少々難ではあるが、まず誰からも愛される好青年そのものだった。

 そんなコロッチェがなんでまた、人殺しなどと物騒な事を企てねばならぬ羽目になったのかというと……。


 その日、コロッチェは珍しく朝寝坊をした。その前日に大学の学生寮でクリスマスと忘年会を兼ねた盛大なパーティーが催され、コロッチェも大いに騒いだためだ。無論、未成年のコロッチェ君はアルコールの類を固辞したが、若者たちの騒ぐ空気に大いに酔った。コロッチェの友人の一人が近く海外留学をするというので、その送別のためにアカペラで『サライ』を三回も歌ったほどである。さすがに舎監の目もあって早々に散会となったが、自室に帰ってもコロッチェは興奮冷めやらず、布団に籠って『玉葱の歌』をうろ覚えで熱唱した。

 目を覚ましたのは朝十一時だった。

 日曜日だったのは幸いだが、時間に厳しい寮の食堂はとっくに閉まっていた。

 コロッチェは町に出た。猛烈に腹が空いていた。健啖家のコロッチェは一食でも抜かすと飢えて飢えて仕方がない性質だった。

 寮の近くにファミレスがあるが、コロッチェはそこを好まなかった。電車に乗って二駅先で降り、そのあたりでは一番活気のある繁華街へと赴いた。

 歩きながら、何を食いたいか考えた。

 とにかくすきっ腹だ。うどんやスパゲッティでは物足りない。もっとしっかりと、がっつりと、米を食いたい。肉も食いたい。

 ふとコロッチェが足を止めたのは寿司屋の前だった。寿司などという値段の割に量の少ないものは今のところ用無しのはずなのだが、その店の前にはショーウィンドウが出ていて、その棚のサンプルに『カツ丼』があった。

 腹が鳴った。GOと聞こえた。店が狭く古いのも気に入った。

 それが間違いの始まりだった。

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