閑話休題・三
月城家は風香とその父母、父方の祖父母、大学生の兄と中学生の弟の七人暮らしだ。
そして今回、兄の幸一の身に異変が起きたらしい。風香はゼノビアと弥恵、歩、花代を伴い、急ぎ自宅へ帰り着いた。
「って、良く見なくても多所帯ですね!?」
「
「仲間はずれはイヤだよぉ〜」
「ふぁぁ……もう限界だわ。風香、ベッド借りていい?」
「まとまり無いな〜」
玄関先で出迎えた風香の母も、多くは語らず苦笑いで一同を出迎えた。ゼノビアが狛犬だと名乗ってもちょっぴり驚いただけですんなり受け入れた辺り、細かいことに拘らないタイプのようだった。
歩達を邪魔にならないようリビングで待機させ、ゼノビアは母親から話を伺いながら幸一の部屋へ向かった。
「それで……息子さんがPC――というか、ゲームの中に閉じ込められたっていうのは?」
「はい。私も訳が分からず、そういえば娘の知り合いに狛犬関係者がいたな、と思って連絡しました……」
年頃の男子の部屋だけあって物が煩雑としているが、埃っぽさはなく意外と清潔感は保たれていた。その中で、部屋の中央で起動したままのデスクトップPCが、妙な存在感を放っていた。
『母ちゃん! 戻ってきたのかっ!?』
スピーカーからの声に何事かと画面を観れば、
「あ、これが息子です」
「なんですと!?」
一人だけ解像度がおかしいのは、リアルの住人がポリゴンとテクスチャーに紛れたから……だろうか。
半信半疑ながらも、ゼノビアは机に放置されていたヘッドセットを装着し、試しに呼び掛けてみた。
「もしもし?」
『えっ!? だ、誰だ!!』
「失礼、狛犬の者です。あなたは月城幸一さんですか?」
狛犬、という単語に画面内の青年が目に見えて狼狽えたが、すぐにすがりつくような声が返ってくる。
『た、助けてください!! おれ、気が付いたらここに放り出されてて!! 何とか外に声が届いたけど、それだけじゃ何も……』
「大丈夫です、安心してください。まずは、あなたがそうなった前後の出来事を話していただけますか? 最初から、ゆっくりと」
ゼノビアは幸一を落ち着かせるべく、穏やかに語りかけながら、右手に柳刃包丁のような鋭いナイフを作り出して液晶画面に突き刺した。
母親が、あんぐりと口を開けて言葉を失った。
『その、友達とレイドボスに挑戦してて、おれがラストアタックを決めたんです。そしたら、変なアイテムをドロップして……』
刺した画面が水面のように波打つのを確認して、ゼノビアは力を込めた。刃が画面を切り裂くが、やはり水を切っているように手応えがみられない。
刀身はどう見てもディスプレイの奥行きより長いが、物理的に貫通している様子はない。
『そのアイテムを使ったら、写真が出てきたんです』
「写真、ですか?」
『はい。といっても、ゲーム画面のスクショなんですが……』
話を聞きながらも、ゼノビアはナイフを一回り大型の物に切り替えて再び画面に突き刺した。今度はさっきより多少手応えがあり、餅の中に手を突っ込んだような感触だった。
『そのスクショ、変だったんです。そこには、おれが写ってて……』
「あなたのPCが?」
『違います、リアルの俺です』
「それは奇妙ですね。そのような写真を作ったことは?」
二本目のナイフを突き刺したまま、三本目を取り出す。今度は匕首だったが、これは画面に刺さらずカツンと硬い音を立てた。即座に穴開き包丁に切り替えると、こちらは抵抗無く画面に吸い込まれた。
『ありませんよ! というか、ゲームの中で顔出したことだってないし……友達のイタズラかもとは思ったんですけど……』
「ほう」
五本目はナイフではなく、戦闘で用いる日本刀だった。それを慎重に、ゆっくりとモニターに差し込んでいく。それが鍔の部分まで完全に差し込まれたところで、ゼノビアがインカムに呼び掛けた。
「話の途中で申し訳ありません。ログアウトの準備が出来ましたので、これよりサルベージします」
『はいっ!?』
「え?」
幸一と母親の双方から驚きと困惑の声が上がるが、ゼノビアは構うことなくモニターに自分の腕を突き刺した。
その途端、画面の表面に漆黒の渦のような何かが浮かび、空間を波紋のように伝わって部屋中に拡がった。
ディスプレイを中心にして放電現象のようなものが発生し、家全体で地鳴りが起きる。
「よっと!」
そんな超常現象の最中には似つかわしくない、飄々とした掛け声でゼノビアがモニターから腕を引き抜いた。
その手にはしっかりと、画面内にいた幸一の顔面が鷲掴みにされていた。
「幸一!?」
「ひぃぃぃぃっ!? ……あ、あれ? ここ、おれの部屋?」
床に降ろされた幸一にはまだ若干の混乱があったが、周囲の様子に気が付くと急速に落ち着きを取り戻し……たかと思えば、その場でグシュグシュと泣き始めてしまった。
「よがっだ……もう、藻ドッてごられないがど……」
ゼノビアは泣きじゃくる年上の男性にも臆することなく、その背中を優しく擦った。
「安心してください。ここはもう現実ですから。発見が早くて何よりでした」
「……それって、もしかして時間が経っていたら息子はもう戻ってこられなかったってことですか!?」
同じく息子を支える母親にも、ゼノビアは穏やかに宥めるように語りかけた。
「ええ。まだ彼を引き込んだ『孔』のようなものが残っていましたので、それをこじ開けました。しかし丸一日も経過していればそれも塞がり、永久に向こう側の存在となっていたことでしょう」
完全に言葉を失った母子だったが、もう脅威は取り除かれたのだ。
「まあ、パソコンはオシャカにしてしまいましたが……」
「え?」
バツが悪そうに顔を背けたゼノビアの視線を追った幸一の目に映ったのは、画面が割れたモニターと、内側から破裂したような無残な姿となったPC本体であった。
「……保険で弁償は可能ですので」
「どう見てもハードディスク逝っちゃってるんですけど……」
「命が助かっただけでも喜んどきましょ?」
幸一が最初と違う理由で泣きそうになったが、今度はさすがに耐えたようだ。
「もう安全だとは思いますが、家の中を見させていただけますか? 異界化の前兆があれば処置いたします」
母親の了承を得て部屋を出たゼノビアは、すぐにスマホでマリルに呼び出した。だが、コール音すらさせず留守電に切り替わってしまう。
『お掛けになった電話は、電波の届かないところにあるか、電源が――』
「ちぃぃっ、こんな時に!!」
続けて、聞き出しておいた忍の番号にも掛けた……が、不通。仕方なく警察署の狛犬課への直通電話を呼び出すが、これも繋がらなかった。
「……まさか!」
ゼノビアは急ぎ玄関から飛び出すと、そのまま二階建ての屋根まで跳び上がった。そして刀を取り出して空中に放り投げる。
刀はある程度の高さで静止、方位磁針のように回転しながらある一方向を指し示した。
「警察署の方角……異界反応、だぁ!?」
これはある種のソナーのような能力で、精密性に欠けるが、異界侵食地点の方角と距離を測るものだ。が、それでもハッキリと判別できるぐらいの反応を察知してしまった。
そして、忍とマリルが出掛けた時間から考えて、二人とも間違いなく署内にいるのだろう。
「冗談じゃないぞ! PCから繋がっていた異界……あれはアルカディアたちが創ったものと同じものだった。楽園の女神の被害が一般人にも出始めているって時に……」
苛立ちから爪を噛み締めたゼノビアは、傍目には何事もなく穏やかな警察署を睨みつけるしかなかった。
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