第34話 一難去らず

「では行きますよ! タイミングを合わせて!」

「応っ!」

「がってん!」

「せーのッ!!」


 威勢の良い掛け声に叩き起こされ、風香は薄っすら朝日の差し込んだリビングルームで目を覚ます。


「おい、壊れねえぞ」

「タイミングがズレていたな。きっちり同じ瞬間に叩かないといけないんだ」

「仕方ない、もう一回やりましょう!」


 聞こえてくる会話はゼノビアとマリル、そして忍ものだった。微かに開いている隣室から、硬いものを殴るような音と重なって届いてくる。

 風香は立ち上がると、花代に抱きしめられ乳圧で顔面を圧迫される歩を跨いで、恐る恐る隣の部屋に踏み込んだ。

 そこは忍の寝室で、光る氷のような何かに閉じ込められて瞬きすらしない弥恵を、マリル、ゼノビア、忍の三人が三方向からストンピングしていた。


「……何してんすか?」

「ん……ああ、風香さん! おはようございます!!」


 挨拶を返すマリルも、会釈するだけの忍とゼノビアも、弥恵を蹴り続ける足を止めなかった。


「これはですね〜、ちょっと色々あってゼノビアが弥恵さんを封印してしまったんです」

「封印」

「それが思うように解けなくって、もう力づくで壊そうって事になったんです!」


 施したゼノビア本人によれば、封印は多方向から同時に力を加えれば特別な手順を踏まなくても破壊できるらしい。だが、さっきからいくら蹴飛ばしても封印はビクともしない。


「タイミングが合致しないと無効なんです。まったく、面倒な」

「いや、ゼノビアが張ったんでしょう、これ!? と、ともかく風香さんはご心配なく! よくあることですので!!」

「はあ……」


 マリルは気安くそう言うが、狛犬の常識は一般人の斜め上方向へ突き抜けているため、風香は細かく考えるのを止めて顔を洗いに洗面所へと向かうのだった。

 それから風香がシャワーを借りてサッパリし、花代と歩も起き出した頃、ガラスが砕けるような音を立てて弥恵は解放されたのだった。

 三方向から馬鹿力三人に蹴られ続けた弥恵は自由になると開口一番「死ぬかと思った」と泣き喚き、忍に抱きつくのであった。



 覚醒した忍はすっかり元の調子を取り戻し、訓練場で気を失ってからの記憶が全くない以外は至って健康だ。愛南の見立て通り、本当に一晩寝たら元通りだった。

 一応、このあともう一回愛南に診てもらうつもりだが、本人は必要ないと健常をアピールしている。

 また、マリルが忍の状態を確認する間に、ゼノビアも交えて遭遇した女神の情報交換も行われた。敵の狙いが自分の身柄だと知った忍は、不機嫌そうに顔をしかめたが、今のところは「そうか」と短い感想を述べただけだ。


「ほぇ〜、わたしらが寝てる横でスペクタクルしてたんだね〜。女神様、見たかったかも」

「滅多なこと言うな、花代ハナ。常人が異界の存在と接触するのはとても危険なんだ。肉体的、精神的にも多大な負担が掛かったりな」


 予めマリルとゼノビアが保護結界を用意していたお陰で、花代と歩も戦闘に気付かず朝まで熟睡だった。それだけに、凍結封印状態の弥恵を見て余計に驚く事となったが。

 特にやることもない一般人三人は、昨夜の宴会の後片付けを引き受けていた。その間に狛犬チームプラス弥恵が忍の部屋で情報交換&作戦会議をしているが、歩の話が本当なら弥恵はあっちにいてもいいのだろうか。


「ところでアユ? あの大きい幼女が弥恵の彼氏なんだって?」

「うん。さっき本人に確かめた。昨夜は体調が悪くて記憶が曖昧だったそうだ」

「幼児退行するような体調不良ってなんなのよ!?」


 加えて女神の祟りで女になってしまったそうだが、オカルト関係には週刊誌のコラムを読む以上には関わらない現代っ子である風香には、思考を放棄するに充分な話題なのだった。


 それから宴会の残り物で簡単な昼食を済ませた頃、忍はここしばらくですっかりお馴染みとなってしまった特注のゴシックドレスに着替え、出かける準備を整えていた。今日は黒字に朱のアクセントが走る、ダークなデザインだ。


「んじゃあ、俺は愛南んとこ行ってくるけど、弥恵はどーする? 一応、一緒に行って検診してもらうか?」

「……ううん、シャワー浴びて寝る。結局徹夜明けだし。ゼノビアちゃんとマリルさん、よく平気よね」

「おや? 八雲女医のところですか?」


 同じく外出着――男性者のスーツに下半身パン一に着替えたマリルが、その格好にあんぐりと口を開けて絶句する花代と風香をスルーしつつ顔を出す。


「私もご一緒してよろしいでしょうか? ちぃーっとばかし彼女に確認したいことがありまして」

「別に俺に断らんでもいーっすよ。どうせ警察署のラボなんですし」

「分かりました! ではゼノビアは留守番頼みますね!」

「えっ!! なんでっ!?」


 白地に金のドレスに着替えて準備万端だったゼノビアが、マリルからの居残り指示に声を上げた。完徹明けのはずだが、化粧もバッチリな顔に疲れの色は皆無である。

 マリルは立てた人差し指をノンノンと振りながら答えた。


「弥恵さんを一人にしてはいけませんよ? 彼女がシャンバラとかいう陰気な女神に目を付けられた、と教えてくれたのはあなたでしょう?」

「くっ、そうだった!! ……弥恵さん、もう一発封印してもいいかな?」

「横着しようとしないでください。というわけで、アユは弥恵さんを連れてゼノビアとウチで待機していてください」


 歩が分かった、と言って大きく頷くので、ゼノビアも諦めて大人しく従うことにした。

 マリルが言うまでもなく、シャンバラの陰湿さはゼノビアも肌で感じている。何より弥恵に「またね」と言っていた。忍はともかく、弥恵は戦える誰かが守りに着かねばならないのだ。


「だったら俺が着いてりゃ良くねっすか?」

「気持ちは分かりますけど、場合によっては西城くんと弥恵さんが一緒だとあの自称女神達にとって鴨ネギ状態かもしれません。お辛いでしょうが、今は二人を離しておいた方がいいと判断します」

「あ〜……そう言われりゃそっすねぇ……」

「もう。しゃんとしなさいよ、忍。だったらさっさとあの変な奴らを退治して、私を安心させてよね?」


 弥恵はそう言って、忍の大きな尻を威勢良く引っ叩いたのだった。



 忍とマリルを送り出し、弥恵はしばらく歩の家に泊まる準備を始めたが……ここに来て徹夜と戦闘に巻き込まれた疲労が一気に押し寄せたらしく、開け放ったクローゼットに頭から突っ込んでしまった。


「弥恵!」


 手伝っていた歩が、ほんのちょっと目を見開いて彼女の体を支えた。


「ご、ごめん、アユ……さすがに眠い……」

「無理もない。鍛えていない身で一昼夜も異界に晒されたんだ」

「それもある……んだけど、ね」


 弥恵は歩にしがみつき、彼女の顔を見上げる。その顔には、隠しきれない不安が渦巻いていた。


「何かあったのか?」


 こういう時、歩のストレートな物言いには助けられる。弥恵は少しだけ言葉を選びながら、弱々しく口を開いた。


「歩は……マリルさんが戦ってるところ、観たことある?」

「うん、何度かな。……弥恵は無い――いや、無かったのか」

「そうね……昨夜が初めてだったんだけど――」


 弥恵は記録として観た忍の過去の戦いと、そこからコピーしたという黒い忍の姿を反芻しながら語っていく。


「正直……怖かった。頭では分かっていたつもりだったのに、あの人が私に触れてた指先にちょっと力を込めただけで、私は死ぬんだなって。そう考えたら私、あの人を拒絶してしまいそうで……」


 弥恵の体が微かに震えているのが、歩にははっきりと伝わっている。

 歩は弥恵の言葉にならない感情を包み込むように、小さな肩を無言で抱き寄せる。


「あの人を全部受け入れるって、そう決めたのに。私、忍のことを本当は何も理解わかっていなかったんじゃないかって」

「そうか」

「兄妹だってことも、狛犬だってことも、呑み込んだつもりだったのに……」

「うん、ごめん。前にも言ったけど恋愛は相談に乗れないぞ」

「そこは期待してない。……不安なのよ。私、ちゃんとあの人の手を握れるのかなって」

「さっきは尻をぶっ叩いてなかったか?」


 ポツポツと、自分でも定かではない気持ちをゆっくりと言葉にしていく弥恵と、それを無言で受け止める歩――。


「妙に時間掛かってると思ったら……」

「むう。弥恵ちゃんってば、抜け駆けして……ていうか、これって浮気現場なんじゃ?」

「いや、オンナノコ同士ですよね、あの二人?」


 そんな二人を、扉の影から風香、花代、ゼノビアが興味深そうに観察していた。


「確かにアユは女のコだけど、妙にイケメンっていうか……すっごい美形じゃん? 喋り方もあんなだし、たまに変な気分にさせられちゃうんだよね〜」

「実は花代だけじゃなくって、アユのせいで性癖歪んじゃった子って多いんだよ。……うちの担任とか」

「教師の身に何があった!?」


 それから歩本人の知らないところで繰り広げられる、彼女を巡る三角関係について赤裸々語りだした花代と風香だったが、その話が佳境に入ったところで、風香が突然に中座した。


「どうしたの? もうすぐオチだったのに」

「電話。ちょっと待ってて」

「むう……担任と保険医の間に何があったんだ……気になる」


 もう弥恵と歩のことは放置して、リビングで話に花を咲かせていた三人だったのだが……戻ってきた風香の顔色を見て、ゼノビアが仕事人モードに切り替わった。


「どうしたんだ?」

「……あのさ、ゼノビアさん。変なこと訊くんだけどね」


 風香は話していいものか恭順しているようだったが、話さないことにはどうしようもないので、意を決して口を開いた。


「人間がゲームに吸い込まれるって話、聞いたことある?」

「……アニメの話?」


 面倒事なのは分かっていたが、さすがに予想の斜め上を攻められたゼノビアは、花代とともに真顔で風香に聞き返すのだった。

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