第33話 パワーオブテラー

 黒い忍は真剣白羽取りで受け止めた刀を力任せにへし折って、ガラ空きになったゼノビアの腹部に爪先を打ち込む。

 喰らう寸前で背後へ跳んで衝撃を逃がそうとしたゼノビアだったが、小さな体は蹴りの風圧だけでぶっ飛ばされてしまった。


「あああああああっ!?」


 慣性を抑えてるハズの弥恵まで悲鳴を上げた。

 ゼノビアは空中で態勢を整えながら武器を新しい物に交換し、反撃に出ようと身構える。

 そこを、さらなる上空から黒い忍が強襲する。


(速っ……!!)


 黒い忍の容赦ないダブルスレッジハンマーが、防御体制にないゼノビアの脳天に振り下ろされた。

 下方向にぶっ飛ばされるゼノビアだったが、咄嗟に投げた刀を爆発させて目暗ましと同時に相手を牽制する。


「忍っ!?」


 地面にへばりつくように着地したゼノビアの背中で、弥恵が涙声で叫んだ。


「ど、どういうことよ!? どうして忍が……っ」

『あ、安心しなよ、弥恵ちゃん。彼の記憶から復元させたコピーさ。……もっとも実力はオリジナルそのままだ、だけど』

「厄介なものを!」


 毒吐いたゼノビアは、次の攻撃が来る前に鎖を切り離して弥恵を下ろした。

 千切れた鎖は弥恵の体に巻き付き、アルカディアとの戦闘時よりさらに強力なバリアを展開させる。戦闘行動と併用できるギリギリの霊気出力である。

 直後に爆煙を突き破った黒い忍が、ゼノビア目掛けて突っ込んできた。刀の表面に霊気を纏わせたゼノビアは、相手の動きに合わせて再度脳天へのカウンターを狙う。

 黒い忍が再び白刃取りの構えを取るも、止められる寸前で刀を小太刀に変形させたゼノビアは体格差を活かして懐へ潜り込む。鳩尾に体重を載せて小太刀を突き立てた。

 しかし黒い忍もギリギリのタイミングで身を捻り、肋骨の一本で刃を受け止める。


(嘘だろ……!?)


 切っ先が肋骨の強度に負けて欠けてしまった。


『がああああっ!!』


 猛獣のごとく吼えた黒い忍にただならぬ殺気を感じたゼノビアは、刃こぼれした小太刀を爆破、その反動で一気に離脱を計った。

 メチャクチャに暴れる黒い忍は、腕の一振りで小太刀の爆発など容易く呑み込む衝撃波を放ち、さらに自分から倒れ込んでその反動を利用し、腹這い姿勢で跳躍して来た。


(気持ち悪っ!!)


 ボールのように弾む人間とは不気味だが、固く握りしめた拳を思い切り振り被った黒い忍を見上げたゼノビアは、全身の毛穴が一斉に開く感覚にそんな考えも吹き飛んでしまう。おまけに何故か、母が焼くトルテの味が無性に恋しくなった。

 これはゼノビアの経験上、特別ヤバい状況を知らせる本能の警鐘だった。普段は精神力で抑え込んだ恐怖心が噴き出し、里心がついている。出来れば一も二もなく逃げたいところだが……ゼノビアの背後には弥恵がいるのだ。

 両足にカギヅメ状の具足を展開して踏ん張ったゼノビアは、交差した両腕に手甲で武装し、さらに全霊力を防御に回す。


『フヒヒヒ、どんな気分だい、や、弥恵ちゃん? 自分には絶対向かないと思ってた彼の暴力が、今まさに君に迫ってる……』


 こんな時でも……いや、こんな時だからこそシャンバラが弥恵の不安を煽っている。しかし悔しいが、フォローする余裕が今はない。


『ずりゃあっ!!』

「ふんっ!!」


 黒い忍の拳が、ゼノビアの交差した腕を真芯で捉える。

 衝撃……などという生易しいものではない。日常を生きるだけなら遭遇しようもない爆発が、全力で身構えていたゼノビアの防御を粉々に打ち砕いた。


「――ッ!!」


 食いしばった歯の隙間から、苦悶の声が漏れる。

 インパクトの瞬間、絶妙なタイミングで手甲を自爆させてほんの僅かに打点を逸し、衝撃も緩和させた。それでもゼノビアの小さな体は、蹴飛ばされたゴムボールのように宙を舞い、地面で弾みながら弥恵のバリアに背中から猛スピードぶつかった。


「が……っ、ぁ……」


 ゼノビアは倒れこそしなかったが、膝を付いた格好で両腕も脱力しきり、伏せった表情も虚ろに抜け落ちている。

 幸い、手甲の自爆をカウンターで喰らった黒い忍も吹っ飛ばされて仰向けに倒れており、すぐに動き出しそうもなかったが。


『フヒヒヒヒッ!! つ、強いねぇ、彼! ゼノビアちゃんも弥恵ちゃんをま、守りながらあれと戦うのはつ、つ、辛いよねえ!』

「……うっせえ、馬鹿野郎……」

『う……っ』


 ゼノビアの返したドスの効いた恫喝に、シャンバラの言葉が詰まる。静かな声色だというのに、精神的に疲弊していた弥恵までもがいすくめられた。

 フラつきつつも立ち上がったゼノビアは、弥恵の結界に右手を置き、恐ろしく冷たい視線を向けて強く念じる。白かった結界を形作る光の輪郭が、冷たいアイスブルーに変貌した。


「…………っ!!」


 同時に弥恵にも異変が起きる。それまで結界内だけとはいえ自由が利いていた体が指一本動かせなくなり、瞬きすら出来なくない。呼吸まで止まったかのようだが、どういう理屈か息を吸えていないのに窒息はしないようだ。


「ごめん、弥恵さん。ちょっともう、守れそうもないからした」

(封印!?)


 声の出せない弥恵が、眉一つ動かせないながらも驚愕するのを察したシャンバラが、端的に状態を伝える。


『……フヒッ、なるほどね……。や、弥恵ちゃん、安心するといいよ。その中はさっきまでの結界よりあ、安全だ』

(いや、どういうことよ!?)

『さっきまでの結界はゼノビアちゃんが遠隔で維持してい、いた。でも戦いにも力を割いてるんだから、か、彼女は二つの動作を同時に行う必要があ、あった』

「ふん。その通りだ、自称女神。だがこの封印はスタンドアローンでも完全動作するし、万が一私が死んでも解けることはない。……その分、私一人だと解除できなくなるがな」

(ええぇっ!?)


 ゼノビアは「後で何とかする」とだけ言い残し、全身から殺気を滾らせ黒い忍へ歩み寄って行った。


『ほ、補足するとさっきまでの結界が外部からせ、セキュリティソフトで守っていたのが、今はサーバ自体をシャットダウンしてアクセスをし、遮断してる感じ。わ、分かる?』


 分かるような分からないようなだが、頷こうにも首は動かず、無理に動かす力も弥恵にはない。しかし安全確保の為とはいえ、正面向いたまま瞬きすら出来ないというのは如何なものか。


『でもこれで……ぜ、ゼノビアちゃんは戦闘に集中できる。忍くんの影もこ、これはヤバいかもね』

(えっ……!?)


 シャンバラの言葉を肯定するように、ゼノビアの全身から沸き立っていた白い光が、凍てつくようなアイスブルーに変わっていく。

 光は彼女の体にまとわりつく様に結晶化、煤けたナイトドレスの上から、ネイビーブルーを基調とした金属質の光沢を持つゴシックドレスへと変わっていった。

 レース状のヘッドドレスと厚底のブーツまで装着し、ホワイトブロンドの髪が放電しながら逆立った。

 それまで確固たる実体を持たせていた刀も一条の光の刃となり、左手も銃ではなくて親指と人差し指を立てた指鉄砲だった。


「……はァっ!!」


 一呼吸置いて、ゼノビアは態勢をドスドスと自分に向かってくる黒い忍へと一直線に突進する。

 弥恵の眼からは数十メートルの距離を瞬間移動したようにしか視えず、気づいたときには黒い忍の拳と刀で切り結んでいた。

 鋼鉄に電ノコが食い込む甲高い音と激しい火の粉が、ドス黒い鮮血とともに敵の拳から噴き出していた。


「せりゃあっ!!」


 そのまま拳を縦に切り裂き、さらに胸部へ押し当てた指鉄砲から至近距離で杭のような弾丸を放つ。

 皮膚と筋肉を穿った弾丸は、肋骨をへし折って肺を貫く。

 その痛みを感じた様子のない黒い忍は、残った左手をゼノビアへ振り下ろした。


「ふんっ!!」


 それを額で受け止める。逆に手の骨をまとめて砕き、間髪入れず光の刃で肘から先を切断した。

 両腕を失った黒い忍は、舞い上がった自身の腕を呆然と見上げ――、


「遅いっ!」


 その大きすぎる隙を逃すゼノビアではなく、顔面を指鉄砲からの光弾で撃ち抜いた。

 貫通弾と炸裂弾を交互に、機関銃のように掃射――黒い忍の胸から上を粉微塵に吹き飛ばした。

 ……かと思われた。


「ぐ……っ!?」


 停止したと思われた黒い忍の残った体が、攻撃直後のゼノビアを蹴り上げた。

 体を突き抜けた衝撃に激しい嘔吐感を覚えたゼノビアは、堪らず後退しようとした両足を気合で押し止め、噛み締めた前歯から血を滲ませながらニヤリと嗤う。

 黒い忍は右腕でさらにゼノビアを殴りつけ、ゼノビアも鼻血を噴きながら黒い忍の両脚を切り裂く。

 支えを失って崩れる体をダメ押しに唐竹割りに叩っ斬った。

 それでも黒い忍は、分解された体を紐状に変形させてゼノビアの四肢に絡みつく。


「これが正体か! ええい、うざったい!!」


 両手足を束縛しようとする黒い紐を力任せに引きちぎったゼノビアは、自らに当たるのも構わず足元に光弾を乱射した。

 爆発に次ぐ爆発で、体に付着した無数の黒い紐を一片残らず焼却する。本人にも被害出ているようだが、興奮しすぎた凄まじい笑顔のゼノビアは意に介していない。


『す、……っごいね、あの子も。暴力をな、生業にしてるだけあるよ。あんな子と近くにいて大丈夫?』

(……さ、さっきからうるさいのよ、あなた!!)


 声も出せないので、弥恵は心の中で精一杯にシャンバラを怒鳴りつけた。それでも一応、相手に伝わった。


(あんなん、どってことないじゃない! 大きなトラックが目の前を横切るのと同じよ!! こっちからちょっかい掛けなきゃ何でもないわ!)

『強がる、ね? なら、これは?』

(こ、今度は何よ!?)


 新たな景色が、弥恵の眼前にだけ映し出された。再生しようとする黒い忍の焼却に忙しいゼノビアは気づいていない。

 映像の中心は最近の忍だった。まだ女性になる前の姿だ。


『これはも、モール火災の数時間前さ。君と彼が初めて結ばれたそのすぐ後、ぐらいだね』

(はぁぁぁぁ!? 何でそんなこと知ってんのよ⁉ また忍の記憶!?)

『フヒヒ、君ってばし、忍くんを完全に尻に敷いてたね? 可愛い顔して――おっと、そんなことより、だ』


 映像の中で、忍は広いオフィスビルの1フロアで逃げようとする怪しい黒服の一団と対峙し、片っ端から素手で粉砕していた。

 相手も銃や刀剣で武装しているが、忍にはどちらも通じず、繰り広げられるのは一方的な殺戮だ。行う忍もつまらなそうな無表情である。


『君を抱いたその手で、同じように人の命を詰む。そ、それが忍くんという「生き物」なのさ』

(いちいち分かりきってる事で、偉そうにするんじゃないわよ!!)

『フヒヒヒヒヒヒッ! その強がりがい、いつまで保つかな? そ、それじゃボクはそろそろ退散す、するよ。この空間も限界だ、内側と外側からせ、攻められたらどうしようもない……』


 シャンバラがそう言うと、それまで弥恵も周囲にドロドロと淀み溜まっていた気配が急速に薄れていった。覆い被さるように接していたが、ヒタヒタとその場を離れていく。


『ま、また連絡するよ。君のこと、好きになったみたいだ、ボク』

(うっさいわ! 二度と出て来んな!!)

『フヒッ。じ、じゃあね――』


 どうやら、シャンバラは本当にその場を去ったようだ。

 他方でゼノビアも荒い息を整えながら、炭化した紐状の物体を踏みにじりながら、周囲の変化を察して辺りを見回す。

 いつの間にらマンションの一室ではなくて黒い大地と星空の空間に戻っていたのだが、その地面にも空中にも無数のヒビが走っている。あと一押しで砕けそうだ。

 というより、落ち着いてみると規則的な振動とともに亀裂が徐々にだが広がっている。ついでに、耳を澄ませば気が抜けるような掛け声まで聞こえてきた。


『ど〜〜〜っこ〜〜いショット!!』


 一際大きな掛け声が響き、直後にガラスが砕ける音とともに黒い世界が端から崩壊する。数秒もしないうちに、今度こそ忍の寝室に戻ってきた。窓の外には微かに明かりも差している。

 そこへ玄関から乱暴に戸を叩く音と、切羽詰まったマリルの声が飛び込んできた。


「すいませ〜ん、誰かドア開けてくださーい!! いや、むしろぶっ壊しますよ!! 鍵が無いんでぶっ壊しますよーっ!!」

「待った待ったストーップ!! 今行くから待ってろ、マリルーっ!!」


 ゼノビアが慌てて部屋を出ていき、残されたのは封印されたまま身動きできない弥恵と、


「ふぁぁ〜……うっせぇなあ、おい。また愛南か?」


 髪を長い髪をガシガシと搔きながら上体を起こす、ベッドで熟睡していた忍だけだった。

 首をゴキゴキと鳴らした忍は、肩を回しながらの原因である胸元を見下ろして溜息を吐く。


「ま〜だこのままかよ……ん?」


 忍は硬直姿勢身じろぎ一つしない弥恵に気付くと、見つめ合ったまましばらくボーッとしていた。

 やがて何かに気付いた忍は、珍しくオロオロしながら駆け寄って来た。


「弥恵!? ちょっとおまっ、これどうなってんだ!? しっかりしろ、聞こえてっか、おい!! 弥恵! 弥恵ーっ!!」


 泣きそうな声で眉一つ動かない弥恵を持ち上げて揺さぶる忍は、すっかり元通りのようだった。

 そのちょっと情けない表情を眺めながら、弥恵は気持ちの上では微笑みつつ、心の底から安堵していた。


(もう、本当にしょうがない人ね。でもこういうところが可愛いんだから……そうよ、私がこの人を怖がる理由なんてどこにもないのよ……)


 だが、弥恵の心にシミのように浮かび上がったは、自身がどんなに否定しても消えることはなかった。

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