第29話 サポート対象外
ゼノビアが利き手である右手で弥恵を抱き上げたのは、万が一にも落としたり、流れ弾を当てるわけにはいかないと考えたからだった。
武器を自分の身長を超える大太刀にしたのも、弥恵の安全を考えてアウトレンジからの攻撃に切り替えたからだった。
ゼノビアはアルカディアの周囲を飛び回りながら、長い太刀の切っ先だけを当て続ける、消極的な持久戦を展開している──つもりだった。
しかし、アルカディアの認識は違っていた。
「お、追いつけ……ないっ!」
その弱りきった呻き声が、超音速で行動するゼノビアの耳に届くことはなかった。
アルカディアは左手に出現させた楯でゼノビアの太刀を受け止めるも、楯ごと腕を切り裂かれた。
水銀のような血液がすぐに損傷箇所を覆って修復を始めるが、その間にも肩から腰へ袈裟懸けにされる。
反撃に右手のサーベルを突き出すも、体を飛び越える形で回避され、ついでに右肩を深く抉られ、着地と同時に背中を縦一文字に斬りつけられた。
そしてもう一人、状況に追従できない少女がここに。
(は、速すぎて……目が回るっ!!)
ゼノビアの首に死にもの狂いでしがみついた弥恵の視界で、周囲の景色が無情な速度でかっ飛んでいく。
真っ赤なだけの大海原に景観も何も無いのだが、すぐ隣のゼノビア以外のすべてが万華鏡のように目まぐるしく移り変わり、切り結んでいるアルカディアも含めて実体が全く捉えられない。
その一方で、弥恵の体には強烈な横Gも顔面が捲れるような風圧も掛かっておらず、車に乗っているのと同程度の振動を感じるだけだった。
「怖かったらもっとしがみついてて構わないぞ」
そんな弥恵を気を遣うゼノビアは、余裕綽々な様子で、汗一つ掻いていなかった。
言われるまでもなく、弥恵は男子レスリング部部長に腕相撲で勝った腕力をフルに発揮している。だが細さに反して鋼鉄のように頑丈なゼノビアの首には、マフラーでも巻いてるように心許なく感じたのかもしれない。
むしろ腰に回されたゼノビアの右腕だけで充分な気もしたが、うっかり手放したら最後、風になびく鯉のぼりのごとく上半身がはためくことになりそうだ。
「……なんか、目がチカチカして気持ち悪い……」
「ん、そうか。ならさっさと極めるかァ!!」
ついつい口を突いてしまった言葉に反応したゼノビアは、大太刀を横薙ぎに振るいながら、後方に大きく距離を取った。
そうして離れたことでアルカディアの見るも無残な様子がよく見えるようになり、弥恵も思わず表情が引きつる。
左腕が切断され、なだらかだった青い装甲の表面がひびと斬り痕だらけで見る影もない。損傷箇所から滴り落ちる水銀のような血液が何層も重なったカサブタとなり、錆が浮いたように痛々しい。
しかし、数分も経たずアルカディアをここまでズタボロにしたゼノビアは、右腕が弥恵で塞がっているにも関わらず、ナイトドレスの裾や肩紐などが焦げ付いただけだ。その焦げ付きも、自分の攻撃の反動がほとんどだ。
「ギャラリーを退屈させてしまったようだからな。最期は派手に葬ってやろう、自称女神!」
「自称では、ない……」
「何度も言わせるな。真贋などどうでもいいと言ったァ!!」
両眼を力強く見開いたゼノビアは、アルカディアに向けて大太刀を連続で振るう。放たれる真空の刃が幾重にも重なり合い、竜巻となって敵を呑み込んだ。
「ぐぬっ!?」
直前で回避行動を取ろうとしたアルカディアだったが、その瞬間に軸足が膝下から破断し、直撃を喰らう。
海水ごと上空へ押し上げられたアルカディアは、竜巻の中心で磔にされたように身動きが取れなくなった。
ゼノビアはすかさず大太刀を消し、新たな武器を取り出した。
平たくて異様に長いそれを、弥恵は一瞬、どこぞの悪役レスラーよろしく放送席のテーブルでも取り出したのかと考えた。だが正体は、ゼノビアの身長に倍する長大な大砲である。
ゼノビアは手元のグリップと引き金に手を掛け、銃身を肩で支えながらアルカディアへ照準を合わせる。
「利き手じゃないから慎重に!」
軽い調子のゼノビアは、逆手であるらしい左手にも関わらず、巨大な銃に震え一つ起こしていなかった。
慎重かつ大胆に照準を合わせるが、よく観察すると銃には照星も照門も付いておらず、ゼノビアは標的を腕の延長線上に捉えて狙いをつけていた。
「どーん!」
カチリ、と玩具のような情緒のない音で引き金が引かれる。
女性の腰回りぐらいはある銃口から閃光が無音で放たれ、刹那の間に竜巻の中程を貫く。巻き上げた海水ごと弾け飛んだ一瞬後に、耳が裂けそうな破裂音が弥恵を襲う。派手な爆発に反して、爆発の音が不気味に静かだ。
ふと弥恵は爆発で生じた水滴が自分たちの周囲を避けていることに気付く。
「ゼノビアちゃん。私たちを覆ってる、この光の膜って……」
「これか? 慣性を制御してるバリアだ。これないと音速超えたとき服とか駄目になるからな」
なんでもバリアの内と外とで空間が断絶しており、空気抵抗などを無視して行動できるらしい。音速を超えた際に生じる衝撃波を抑制して周囲への被害を抑える用途もあるようだ。
また単純に攻撃を防ぐ機能もあって、二級戦闘員ともなれば眼には見えなくても四六時中体を覆っている状態なのだとか。銃で撃たれたりビルから転落しても無傷な秘訣がここにあった。
「何かよく分からないレベルですごいことしてるわね!?」
「西城さんもやってることだぞ。それも多分、私より精度が高い」
「あ〜……どうりであの人、やたら頑丈だと思ってたわ……」
「二級以上の戦闘員には必須スキルだ。銃を持った相手に囲まれときだとか、実体を持たない怪物を仕止めるときとか、他にも──」
「も、もういいわ。それより、さっきのヤツは? 今ので死んだの?」
「いや、取り逃がしたみたいだ」
荒唐無稽な話に頭痛がしてきた弥恵が無理の無い範囲で話題を変えると、ゼノビアは小さく首を振った。
「やっぱり利き手じゃないと照準がブレてな。確実に捉えたと思ったんだが、首から上が外れてどっか飛んでった。やっぱロボだったな、あれ」
あっけらかんとゼノビアは言うものの、それはつまり弥恵を抱えていなければ仕止められた、ということだ。
「君が気にすることじゃない」
申し訳なさを覚えた弥恵の心中を察したように、ゼノビアが先んじて口を開いた。
「始末屋とか揶揄されるが、市民を守るのが狛犬の一番の仕事だからな。怪物退治だけが業務じゃない。それに、巻き込まれて参っているのは君の方だろ? だから、気にすることはないのさ」
そう言ってゼノビアは、人形のように整った綺麗な顔で、ヤンチャな少年のような明るさでニカッと笑ってみせた。
「……ゼノビアちゃん、ずるい」
「ん?」
「可愛いのに格好いいとか、ずるい」
「そう言われてもなぁ……」
などと話している間に、大海原一面には亀裂が広がっていた。それが空中まで侵食しきると同時に、甲高い音を立てて周囲の景色が薄いガラスのように砕け散る。
赤一色の大海原が無数の破片となって飛び散る様は幻想的で、目を奪われた二人の少女は揃って感嘆の溜め息を漏らす。
が、海の下から現れた黒一色の大地が地平線の彼方まで広がった不毛な光景を前にして我に返り、ゼノビアは改めて刀を構え直した。同時に弥恵を抱く腕に力を込める。
「ここって……忍が変な格好の女と出くわしてた場所よね?」
「おそらくな」
空には降り注ぐような満天の星が輝きながら、見渡す限り何もない殺風景な大地には、一切の生命が感じられない。空気も澄んでいるが、それが一層虚無感を助長していた。
怖気を覚えた弥恵は、ゼノビアにしがみつく力を強めた。
「……何かいる。行くぞ」
表情を引き締め直したゼノビアは、僅かに感じた気配の方向へと走り出した。
黒い大地に佇む女が、苛立ちを抑えきれない様子で爪先を地面に打ちつける。
中世のヨーロッパで使っていそうなプレートメイルに身を包んだ女は、波打った紫の髪先を指先でクルクルと弄りながら、端正な顔を忌々しげに歪ませている。
「さ、さっきからう、うるさい。気が散る……」
そのすぐ傍らで地べたにペタンと座ったもう一人の少女が、苛つく女に抗議する。
ボサボサでまとまりの無い黒髪に全身を覆われ、頬がこけて青白い不健康そうな表情をした少女は、目の前に浮かぶ人間大の水晶を熱心に見つめながら、周囲に展開されたコンソールに凄まじい速度で指を這わせていた。
枯枝のような指先がコンソールをタッチする度、水晶の周囲を取り囲んだ無数の空間投影モニターが目まぐるしく明滅する。
苛立つ女は、作業に集中する不健康そうな女を見下ろし、眉間のシワをますます深めた。
「急げ、シャンバラ。ザナドゥとアルカディアの反応が途絶えた。最悪、破壊されたかもしれん」
「じ、冗談だろニルヴァーナ……ざ、ザナドゥはともかく、アルカディアは君と同じ戦闘タイプじゃないか……」
「ああ。だから、早くその人間からエデン様を引きずり出すんだ。直に人間がこの領域に踏み込んでくる!」
苛立ちながら、ニルヴァーナは水晶の中で寝息を立てる忍を睨みつけた。
忍は水の中を漂うように、水晶の内部で垂直に浮かんだまま、呑気なことに熟睡していた。コンソールを叩く音にも、顔に掛かるモニターの光にも眉一つ動かさない。
顔色がますます青くなっていくシャンバラだったが、急かされた作業の手を止め、泣きそうな顔でニルヴァーナを振り仰いだ。
「も、もう無理……こいつの中にエデン様の精神データは欠片も残っちゃいない……完全に消えてしまって、いる……」
「馬鹿を言うな! 脆弱な人間の精神が、エデン様の魂を押し潰したというのか!?」
「そ、そうなる……。肉体は融合しても、こいつの精神は融合を拒み、エデン様の魂を異物として駆逐してしまったんだ……。わ、我らの主は……もう、どこにもいない……」
シャンバラの言葉に、ニルヴァーナも頭を抱えた。
「忍!! ゼノビアちゃん、やっぱりあの中にいるの、うちの忍よ!」
「大声出さなくても分かるって」
追い打ちを掛けるように、興奮した様子で水晶を指差した弥恵が、苦笑いするゼノビアに抱えられたまま現れた。
「って、また何かいる……」
すぐに項垂れた二人に気付いた弥恵だったが、ニルヴァーナたちは弥恵たちとはっきり視線を交わしながら、何らリアクションを起こさない。
「……お前たちも『楽園の女神』か?」
ゼノビアは刀をいつでも振り抜けるよう軽快したまま、二人に呼び掛けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます