第27話 女神様転成
『定めにない死を迎えたあなたは冥府へ逝くことも出来ず、永遠に彷徨うこととなってしまいます。しかしそれはあまりに不憫。そこでどうでしょう? 新しい世界で第二の人生を送ってみるというのは』
「ちょっと!! なに人の男を勝手に異世界転生させようとしてるのよ、あの女! そういうのはこう、社会にも家庭にも居場所がない非モテ・非リア充がするのがセオリーでしょう!?」
「いや、同意を求められても……」
多分サブカルチャーの話題なんだろうとは理解しつつ、そっち方面がてんで疎いゼノビアには理解が及ばないのであった。
変態女が忍に対して「あなたは死にました」と告げたあたりで正気に戻った弥恵とゼノビアは、取り敢えず二人の動向を見守ることにした。
透明な床の破壊も試みたが、どうやら物理的な境界ではなく、とても壊せる代物ではないこと、そしてアルカディアがどこに潜んでいるかも分からない以上、不用意に動くのは危険が大きいという判断だ。
危険なのは意識がないうえに記憶も不確かな今の忍もそうだが、彼の消息も分からない以上、ゼノビアがやるべき事は目の前の
もっともその弥恵にしても肝の太さが尋常でなく、変態女と忍の会話にやかましくツッコミを入れている。恐慌されるよりずっと良いが、よもや忍のことを忘れているわけではあるまいな、と思わずにはいられないゼノビアだった。
(そういえば私が一週間ぐらい遭難してようやく家に帰れたとき、お父さんとお母さんから『おかえり、今回は長かったね』だけで済まされたっけ。狛犬の身内なんてみんなこうなのかも)
などとしみじみ回想している間に、忍と変態女の殴り合いが始まっていた。とはいえ、勝負にならない一方的な蹂躙だったが。
慣れていないのか弥恵が目を覆う程度には凄惨だが、ゼノビアからすれば面白味のない戦いだ。ジャンプして叩きつけるだけの技を必殺技っぽく叫んだ忍を可愛いな、とは思ったが。
異変は、その虐殺劇が終った直後に起こった。
変態女を叩きつけた地点を中心に、黒い大地がガラスのように砕け散る。その下には、日本列島が丸ごと見渡せるほどの高空が広がっていた。
衛星写真さながらの絶景に、ゼノビアも弥恵も息を飲んだ。
『なんじゃあこらぁぁぁぁぁぁーっ!!』
忍が右手に掴んだままの変態女とともに、眼下に広がる日本列島へ墜落していく。
長く尾を引いていた絶叫が次第にか細くなっていく、その
そして、女の光に呑み込まれた忍までも実体を失い、淡い緑の光に解けていった。その様子は、まさに流れ星だ。
「えっ!? な、何あれ! ゼノビアちゃん!?」
さすがに弥恵も驚いたようで、危ぶむようにゼノビアを見上げる。
またゼノビアも、ここに来て重大な見落としに気付いていた。あの忍には実体がない。肉体を持たない精神体だけの存在だ。魂、と言い換えてもいい。
それが死んだ変態女の魔晶化に巻き込まれる形で、一緒くたになって混ざってしまった。
金と緑の光は一つに溶け合い、すぐに緑一色に染まりきってそのまま日本のどこかへ墜ちていった。流れ星を上から眺めるとこんな形だろうか。
「ゼノビアちゃん!? そんな痔が切れたような顔されてると超不安なんだけど!?」
「はっ!? いけない、このままだと見失ってしまう! どうにかして近づかないと!」
「いや、近づくったって、ここ空だよ!? むしろ宇宙に片足突っ込んでるぐらいの高度あるよ、ここ!!」
宇宙開発局のホームページに載っていた成層圏からの写真がこんなんだったな、と思いながら、飛び降りれる場所を探そうとするゼノビアを、弥恵は必死で引き留めた。
そうこうするうちに緑の流れ星は完全に消失、落下地点は大雑把に比琉芽市の辺りな気がしたが、何しろ高いわ遠いわでハッキリしない。
夜空に二人で取り残され、今度こそどうしようか途方に暮れるゼノビアと弥恵。やっぱり飛び降りる方が正解かも、と弥恵まで自棄っぱち思考になりつつあった、その時だ。
周囲の空に、突如虫が食ったような赤い斑点が生じ、瞬く間に広がって二人をさっきの赤い空間が包む。
「うぎゃあっ!?」
再度の浮遊感に襲われ、弥恵から可愛いげのない悲鳴が上がった。一方、ゼノビアは仁王立ちしたままで微動だにしない。代わりに、弥恵の首輪から繋がったにび色の鎖をしっかり握り直した。
「って、ゼノビアちゃん! なにこの鎖!? いつの間にこんなの……」
「命綱だ」
「どっちかっていうとリード──グエッ」
今度はカエルが潰れたような悲鳴が上がった。赤い空間が消え、真っ当な重力に放り出された弥恵がつんのめり、首輪が喉に食い込んだのだ。
「くっ、ちょっと気持ちいいとか思っちゃったじゃない……!」
弥恵の呟きを聞こえなかったことにし、ゼノビアは警戒しつつ、周囲の様子を確認する。
燃えてたり崩れていたりするが、どうやらどこぞの販売店のようだ。そこそこの規模があり、本来なら活気に満ちていたのだろうが、今は見る影もない。
ゼノビアは倒れて動かない利用客の一人へ近づこうとするが、やはり見えない壁に阻まれた。ついでにいえば、炎の熱さや煙の息苦しさも感じない。確かに目の前にあるのだが、どうにも現実感が希薄なのだ。
「……あれ、ここって……」
ふと、何かに気付いた弥恵が鎖をいじりながら周囲を見回す。そして何かが目に留まり、小さく「あ!」と声を上げた。
「やっぱり。うちの近所だわ、ここ。うちっていうか、忍の家だけど」
「そうなのか?」
「ええ。ちょっと前に焼けちゃったけど。でも、あれ」
弥恵が指差した先には、擬人化されたクマのような、でっぷり太ったマスコットが転がっていた。比琉芽市のゆるキャラ『ヒルトガくん』であった。
なお、よく誤解されるがモデルはクマでも某「所沢のトロル」でもなく、クトゥルフ神話のツァトゥグァだという。
「あの気持ち悪いマスコットがあるから、間違いないわ」
「ああ! 私も思い出した、西城さんと最初に会ったのがここだ!」
現場から逃げようとする天使を見掛け、咄嗟に頭を射抜いたのがここの駐車場だったらしい。あれからもう二週間以上が経ち、今やショッピングモールには工事中の幕が降りて急ピッチで解体作業が進んでいる最中だ。無論、営業再開の目処など立っていない。
「……もしかしてこれって、過去の映像を観せられているのか?」
「それって、さっきのも含めて全部VRみたいなものってこと?」
「おそらく。そうなると、当然これを見せてるのはあのメカメカしい自称女神ということだが、何の目的で──ん?」
ゼノビアが急に少し高めの天井を見上げたので、弥恵も釣られて視線を上げた。
「どうしたの?」
「何か聞こえないか?」
とゼノビアが言うが、弥恵に聞こえるのは熱で弾ける空気の音と、微かな呻き声ぐらいだ。
などと考えていた矢先、目の前の天井をすり抜けて緑の光の塊が目の前の瓦礫へ音もなく衝突したのだ。
音はないが、その瞬間にフロア全体を淡い緑の輝きが埋めつくし、閃光が容赦なく弥恵の眼窩へ突き刺さった。
「うげ──きゃあっ!」
弥恵は今度こそとばかり可愛らしい悲鳴に自ら矯正し、その隣でゼノビアが瞬きもせず光の落下地点を凝視する。
瓦礫の下には、こんな状況だというのに呑気に寝息を経てている男がいる。百キロは下らないコンクリート片を布団代わりにしたその男は、よく見なくても忍だった。
緑の光は忍の全身にアメーバのようにまとわりつき、じわじわ皮膚に浸透していく。やがて忍の体そのものが淡い緑に輝きだし、粘土のように形を変えていった。
見る間にゼノビアにとっては見慣れた、弥恵にとっては最近慣れてきてしまった、あちこちでっかいゴージャス美人が完成する。
もはや弥恵も開いた口が塞がらず、ゼノビアも大きな眼を目一杯見開いて絶句してしまう。
「…………、なに今の?」
「…………」
「だからね、ゼノビアちゃん!? そういう親知らず生えちゃった的な顔で押し黙るの止めて! すっごい不安になる!」
『う~ん──うおおおっ……え、何これ?』
やがて自然と覚醒した忍は、すぐ傍にいた弥恵たちに気付くことなく──というより自分の姿が変わっていることにも気付かない様子で走り去っていった。
その際に忍の体が二人をすり抜けたのを見て、ゼノビアはやはりVR的な幻なのだと確信するのだった。
「理解できた、か?」
そこへ、床をする抜けてアルカディアが二人の前に姿を見せた。
ゼノビアが弥恵を庇い、半歩前へ。
「あの人間は……エデン様を破壊し、その身を己の魂に……取り込んだ」
「そうなのか?」
「そう、なのだ。人と女神……異質な存在同士を内包……した為、肉体の変質が起きた……本来なら爆裂するところ……頑丈なことだ」
「ふむ……」
腕を組んだゼノビアが思案顔になるのを、弥恵は茶化さず見つめていた。こういうとき、素人は黙っていた方がいいだろう。
ゼノビアはひとしきり考える素振りを見せた後、アルカディアへ冷ややかな視線を返し、
「よく分からなかったぞ。もう一度今のを観せてくれ」
「……仕方ない、な」
(えぇぇ~……)
アルカディアはゼノビアの頼みに腹を立てる様子もなく、胸のシャッターを開いて赤いクリスタル状の機関を露出する。
再びゼノビアたちの周囲が赤く塗り潰され、僅かな浮遊感の後、満天の星と黒い大地が広がる光景が映し出された。
『私はエデン。人の運命を紡ぐ女神──』
(本当にリプレイしてるよ、こいつ……)
内心で呆れ果てている弥恵を他所に、ゼノビアは一言一句、一瞬たりとも見逃すまいとばかりに、じっと再現映像に集中していた。
場面は再びショッピングモールに戻り、忍が目を覚ましたところでゼノビアがアルカディアへ呼び掛ける。
「ストップだ。もう一度、出来れば西城さんがエデンを斃した辺りを頼む」
「分か……った」
(やるんだ……)
アルカディアは巻き戻し、一時停止、コマ送り、果ては視点の切り替えなど細かい注文にも律儀に応え、ゼノビアもそれらを刀と同じように取り出したスマホで念入りに撮影していった。
「う〜ん」
「まだ、何か?」
もはやツアーガイドのごとく、アルカディアは事細かな解説までし始めていた。
「運命を紡ぐ……とはいうが、具体的にはどうするんだ? まさか人間一人一人に天使を付けているわけでもないのだろう?」
「そのこと、か。もっとも簡単な……方法を使っ、た。これを、見ろ」
アルカディアが手を翳す。
ショッピングモールの景色から、宇宙から地球を見下ろしたスペクタクルな映像に切り替わった。
弥恵が背後を振り返れば、地球と同じ程度の距離に月が浮かぶのが見て取れた。
「天体上に存在する、魂の量は……一定、だ。物理的な資源に……対する、精神領域の資源……星そのものの持つ霊の力……と言えば、分かるか?」
ゼノビアが頷いたのを見て、弥恵も話半分に聞きながらそれに倣った。正直に言えば意味が分からないし、そろそろ帰りたいし、姿の見えない忍のこともいい加減に気になってきたところだった。
アルカディアは、ゼノビアの様子だけ見て話を続けた。
「生物が死に……肉体が朽ちるのと同じく、魂も精神のエネルギーに……還る。そこに……エデン様は目を付けられ、た。還元される……前の魂に運命を……刻み、エデン様の描かれる筋書き通り……一生を送らせる」
「洗脳じゃないか」
「もっと確実な……方法だ。生物に根ざす本能……より、さらに深い部分……存在の根幹に植え付けた命令……逆らい、拒絶すれば……アイデンティティすら……失う。エデン様は……現世と
「ほう」
短く息を吐くようなゼノビアの呟きに、弥恵の背筋がゾクリと跳ねた。まるですぐ隣で寝ていた虎が空腹で目覚めたような危機感だ。
恐る恐るゼノビアの表情を確認すれば、能面のような無表情だった。
「エデン様の創る……輪廻、転生の輪は……上手く廻って、いた……。稀に運命から外れる魂は……並列時空へ飛ばし、た。本来……なら、あの男もそうなる予定、だった」
「なんですって──むぐっ!?」
ゼノビアの白い指先が弥恵の唇をそっと塞いだ。
映像は再び、忍がエデンと遭遇した場面へ戻った。
「肉体を失った魂に……エデン様は絶対的な権限を……行使できる……だが、あの男は生きたまま……肉体と繋がりを保ったままで、ここを訪れた……」
「事故だったのか?」
「あり、得ない……生者と死者の魂は……性質も何もかも違う……この場に迷い込むなど……我らが起動してから一度もない……エラーだった……故にエデン様も生者と気付かず……いや、考えが及ばなかった……のだろう」
「間抜けな話だ」
「我らは万能でも……全能でも、ない。神と人との違いは……力の大小に過ぎない……故に、我らがあり……エデン様がいる。あの方を取り戻し、我らは再び楽園を……この世界を守護し続ける……」
「それはそれは」
やたら冷ややかに返答しつつ、ゼノビアは弥恵と繋がる鎖の先端に楔を作り、さりげない動作で足元に打ち付けた。
何をする気だ、とばかりに両目を見開く弥恵に、ゼノビアがウィンクで応えた。それがあまりにチャーミングだったため、弥恵の頭から疑問から何からすっとんでしまう。
「で? とどのつまりお前たち、西城さんをどうする気だ? 事と次第によっては協力できなくもないぞ」
何度目かの忍とエデンとのやり取りを眺めながら、ゼノビアは半歩下がってアルカディアとの間合いを詰める。
「分かった……我ら、の……目的は、エデン様を……取り戻すこと。あの男から……エデン様を──」
アルカディアがまた別の映像を投射しようと、胸のシャッターを開いた──その刹那。
刀身の長い半月状の刄を逆手に出現させたゼノビアが、赤いクリスタルを狙い済まして切っ先を突き立てた。
甲高い金属音が耳に障り、弥恵は思わず身を竦ませた。
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