第20話 大きい幼女
──しのぶくんが大変なの!
愛南からそう聞かされた弥恵は、居ても立ってもいられずお馴染みの八雲クリニック診察室奥にあるフリースペースへ突撃した。
修繕されたばかりのドアを壊さんばかりに押し開ける。
「忍!! 多分問題ないんだろうけど、大丈夫……な、のっ!?」
そして目に飛び込んだ光景に絶句し、得意のポーカーフェイスも驚愕に崩れる。
「えっ!?」
ソファーに腰掛けていた、黒いゴシックドレスを着こなす人形のような金髪蒼眼の美少女──ゼノビアは、押し込み強盗の如く乱入してきた弥恵に目を丸くしている。
「ん、にゅ……」
だが弥恵の視界にゼノビアの姿は入っておらず、彼女の膝に頭をグリグリ押し付けながら、キャラに合わない寝息を立てる大女にのみ注視していた。
額の包帯はどうしたとか、ドレスではなく普通にTシャツ姿だとか、そんな巨大な胸が収まるTシャツをどこで買っただとか疑問点が尽きないが、紛れもなく西城忍である。
仕草は猫っぽくて可愛いと思えなくもないが、このサイズだと虎やライオンの寝姿がどうしても脳裡を過る。
「うわぁ、これは……」
後から駆け付けた愛南も、フリースペースの状況に目を覆う。
「あ、あのね弥恵ちゃん!? 落ち着いてね、別にこれ浮気現場とかじゃなくってね!?」
「だ、大丈夫よ愛南ちゃん。まだ冷静だから。ええ、冷静ですもの。ふ、ふふふふっ」
宥める愛南に笑顔で返す弥恵だが、それはいつものニマニマではなく、忍がハイな時に見せる亀裂が走ったような凄絶なものだった。
弥恵が掴んだままだったドアノブが、ガチャガチャ音を立てている。もしも彼女に狛犬並みの身体能力があったら、今頃握り潰されていただろう。
「……あら? あなた、確か……」
だが、本人も言うように弥恵は結構冷静らしく、まだ混乱しているようなゼノビアに気付くと、すぐに先日の病院での出会いを思い出していた。
「ゼノビアさん、よね。マリルさんの知り合いの」
「あ……ああ! 弥恵さん……でしたよね! アユの友達の!」
「……え、知り合い?」
てっきり初対面だと考えていた愛南には予想外だったようで、二人の顔を見比べている。
三者三様に世間の狭さを実感していると、危うく話題の中心から外れそうだった忍がゆったりと上体を起こした。
「ふ……あぁ~……っ」
口を目一杯開け、うんと背伸びをしたところ、規格外のバストがそれだけで弾んだ。下着の類いを着けていないようだ。
自分にない物を持った相手への嫉妬から来る苛立ちで、弥恵とゼノビアの目付きが僅かに険しくなる。
「良いお目覚めのご様子で」
「ん……」
素に戻った弥恵は、忍へ歩み寄るとまたもや凄味のある笑顔で冷たく彼を見下ろした。もっとも、ソファーに座った忍と比べても視線の高さがあまり変わらないため、いまいち迫力に欠けているが。
一方、忍のすぐ隣に座るゼノビアの目線だと高圧的な笑顔が恐ろしく映り、意味もなく「すみません」と言ってしまいそうになった。
「ん~?」
寝惚け眼の忍は、弥恵の視線もどこ吹く風で見つめ返している。
それどころか、だんだんと顔を綻ばせていった忍は、やがて満面の笑みで弥恵に抱きついた。座ったまま、弥恵の
「か~わい~♥️」
「はっ!?」
「うわっ……」
「あ~あ……」
弥恵と愛南からは同時に息が詰まったような悲鳴が上がり、ゼノビアもナンテコッタと目を覆った。
忍は構わず、弥恵の頬へと顔を移動させ、頬と頬とをすり寄せる。飼い主に甘える子猫のように目を細めた。
「柔らか~い♪ すべすべ~♪ くふふふふっ♥️」
「ちょっ──ちょっと待って!? 愛南ちゃん、これホントに忍!?」
「た、多分そのハズ……だけど、これ……えぇぇっ」
二人はもう、この世のものではない恐ろしい何かと遭遇したように顔をひきつらせていた。抱きつかれている弥恵に至っては、定まらない視線で目を白黒させ、今にも気を失ってしまいそうだった。
が、よくよく観察すると弥恵の笑顔も微妙にだらしなく変貌しており、引き剥がすどころか自分から忍の背中や腰に手を伸ばし、撫で回していた。
「うわぁ、弥恵さんの手付き……」
両手で顔を覆っているゼノビアも指の隙間からバッチリと、弥恵の白く繊細な指がシャツの上から忍の大きな背中を這い擦るのを、食い入るように見つめている。うねうねと動く指先が、違う生き物のように思えた。
「んっ、くすぐったい」
しかし、弥恵が指先を尻まで伸ばそうとしたところで忍の方から離れられてしまい、酸欠で真っ青な顔色のままで残念そうに目を伏せる弥恵なのだった。
事の発端は、訓練場で忍がぶっ倒れた直後まで遡る。
ゼノビアは白眼を剥いて動かなくなった忍を大慌て医務室へ運び込んだ。検査の結果、ゼノビアの一刀が頭蓋骨を割り、脳にまで達していたことが判明したのだ。
もっとも運び込んだ時点で傷はほぼ塞がっており、命にも別状無かった。この傷で生きてるとむしろどうやったら死ぬんだという疑問も沸いたが、ひとまずゼノビアは胸を撫で下ろした。
しかしである。目を覚ました忍は、たまたま目が合ったゼノビアの手首を掴み、
『お姉ちゃん、きれ~♥️』
と、幼い少女のような笑顔で抱きついたのだった。
ゼノビアも弥恵と同じような目に遭い、明らかな異常事態を察した担当医が物騒なヤツの魔晶を解析していた愛南を大急ぎで呼び出した。
それから改めて再検査したところ、とんでもないことが判明する。
「分かりやすく説明するとね。ゼノビアさんの攻撃が脳の記憶野にも衝撃を与えてて、今のしのぶくんは一種の記憶喪失状態にあるの」
「きおくそ……──っ!?」
「その……すみません、本当に……」
原因であるゼノビアが沈痛な面持ちで頭を下げるのを、弥恵が慌てて止めた。
「だ、大丈夫ですから! 元はと言えば、鍛練中に気を抜いたこの人が悪いのですし!」
「そだね~。戦闘員も上級になれば『怪我する方が悪い』って扱いになるからね」
「それはそれで無情すぎない!?」
保険もあるしね~、とあっさり言い放つ愛南にも深刻そうな様子はない。事実、長くても数日中には元に戻る見込みらしい。
「普通の人は脳に出来た損傷って修復されないんだけどね~。まあ、しのぶくんも超人だし、人間の常識を当て嵌めても仕方ないのだ」
「ナチュラルに人間扱いされてないわね……」
「そうですね。私もたまにサイボーグと間違われます。なちゅらるびーいんぐなのですがね!」
ゼノビアの笑って良いのか微妙なジョークはともかく、今の忍は精神年齢が七歳児程度まで退行し、記憶もその頃で止まっているらしい。
七歳といえば、まだ穂村の屋敷に引き取られる前の忍である。弥恵とも面識のない頃だ。
そこへ思い至るとともに、弥恵は周囲が妙に静かなことに嫌な予感を覚え、辺りを見回す。
「ところで……そのデカイ幼女の姿がないのだけど」
「あ」
本当にいつの間にか、フリースペースから忍の姿が消えている。直前まで遊んでいた折り紙1セット32枚が、全て色鮮やかな動物となってテーブルに並べられていた。
三人がそれに気付いた、直後──。
「うぎゃあああああああああーっ!!」
甲高い男の悲鳴が診察室から届き、ついでに何か重たいものが倒れる音が続く。
弥恵が小さく「あ」と呟く。
「お兄ちゃんのことすっかり忘れてた」
一応、部外者立ち入り禁止なフリースペースなので、泰輔を待合室に放置していたのだ。
ドカドカと乱暴な足音が近づき、フリースペースのドアを体ごと押し開けて乱入してきた泰輔は、来た方向を震えた腕で指差して、
「か、母ちゃんが化けて出たぁぁぁっ!?」
へたれた顔で泣き叫ぶ泰輔に、そういえば今の忍は死んだ母親と瓜二つだったな、と他人事のように思い出す弥恵と愛南であった。
超人や天使同士の戦いが行われ、それが世間にも認知されるようになって久しいものの、実際に怪異と遭遇する者は稀である。
大多数の人間にとって怪異とは対岸の火事に過ぎず、遭遇してもそうと気付かず通りすぎてしまう。未だに狛犬やAPSSの活動に懐疑的な者がいるのもそのせいだ。
しかし……。
日常の中にも、怪異との接点が意外と多いと気付いていないのも現状だ。同級生の身内が狛犬だった、とか。
それは日付も変わろうという時間──大学のサークル仲間と、ネットゲームのレイドボスを仕止めた時だった。
「おっし! ラストアタックもらい!!」
ヘッドホン越しに、仲間達から無念や羨望の声が聞こえて、ちょっとした優越感を味わった。しかし。
「なんだ、これ?」
聞いていた情報とは違うドロップアイテムがメニューに表示された。
種別も使用効果も空欄だが、名称だけはきちんと表示され、使用することも出来るようだ。
「『楽園への招待状』? なんだよ、これ?」
仲間に訊いても誰も知らない。もしかしてバグアイテムでは? 運営に報告すると報酬が出るぞ! と周りが盛り上がる中、幸一は好奇心から実際に使ってみることにした。
しかし使用しても特に効果は現れず、代わりにフレーバーテキストが表示される。
その最初の一文を読んで、幸一は肝が潰れた。
『拝啓、月城幸一様。
この手紙が貴方に届いたことを幸運に思います』
ハンドルネームではなく、本名で書かれた宛名。そんなもの、このゲームにおいて登録した覚えはない。
『貴方を我らが楽園へ招待致します。
貴方の望むもの、欲しいものを取り揃えております故、きっとご満足いただけることでしょう。
つきましては、我らが楽園の様子を添付致しますので、お目通しください。
敬具』
驚きのあまり最後まで読んでしまったが、内容はまだ続いている。
震える手でスクロールすると、どうやらゲーム画面を撮影した
ちょうど先程倒したレイドボスと、そこに立ち向かう大勢のプレイヤー。……そこに強烈な違和感を覚えた幸一は、画面をまじまじと見つめた。
「……おれじゃん」
仲間達の先頭に立ち、強大な敵へ剣を向けるのは、幸一のアバター……ではなく、彼自身だった。
他のスクショも同様、仲間達と宴を楽しむ自分、美しい女性キャラと抱き合う自分ばかりだ。
無論、こんな写真を撮影したことはないし、イタズラにしても手が込みすぎていて不気味だ。頭ではそう分かっていても、何故だろう。幸一はスクショの光景に強く惹かれていた。
「楽園……楽園か……」
いつしか幸一は、仲間が全員ログアウトしても、スクショを何度も何度も見返していた。
翌朝。登校時間になっても起きてこない幸一を不審に思った母親が部屋に入ると、そこにはログインしたままのPCだけが残され、幸一の姿はどこにもなかった。
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