第13話 首輪と鎖
八雲クリニック、診察室奥のフリースペースで、愛南はPCの画面とにらめっこしていた。
画面には、先週から多発する天使関連事件――天使が集まっている現場に向かった狛犬が襲われ、そのまま返り討ちにしているだけだが――の現場に残された方陣の画像が並んでいた。
いずれも同一の文様で、象形文字のような記号が複数の円を描くよう、左右非対称に並ぶという特徴がある。発見時には赤く発光していたらしいが、破壊されるとただの落書きになってしまう。発光時のサンプルが欲しいところだが、方陣を傷付けないように切り出しても床と切り離すと光が消失してしまうのだ。
おまけに、天使を駆除したあと五分ほど放置してると爆発するという嫌がらせ染みた仕掛けまであるせいで、ロクなデータが取れないのであった。
頭をガシガシと掻いて、愛南は椅子をグルリと回転させた。
「しのぶくーん、ちょっといい――何してるんだい?」
「裁縫」
床に直接ドカッと座った忍は、緑髪との戦闘で解れてしまったドレスを修繕しながら、端的に答えた。金属のフレームが露出したコルセット一体型のランジェリー姿で、職業用ミシンまで持ち込んで破れた袖を丁寧に仕上げていた。
位置的に愛南から見えにくいが、弥恵も忍の背中に寄りかかって携帯ゲーム機で遊んでいる。
「さっきからガガガガうるさかったのってそれ!? なんでそんなミシン持ってるのさ?」
「買ったんだよ、中古で」
「君、服飾に興味なんてあったっけ?」
まさか、と素っ気なく答える忍だが、その手付きは素人離れしており、非常に繊細で無駄がない。
「よっしゃ、終わり!」
そうして自信満々に広げられたドレスは、傷一つない新品同様な仕上がりであった。
「し、知らなかった……しのぶくんにこんな特技があったなんて!」
「先生が良いからな。な〜、弥恵?」
「言っておくけど、私が教えたのはセーターの編み方ぐらいだから。すっごい凝り性なのよ、この人」
ドレスそのものは東京のブランド店で作ったオーダーメイドらしいが、そのうち型紙から一着仕立て上げかねない。
「ま、まあ趣味を持つことはいいことだ」
「趣味で女装にのめり込むのってどうなの? まさかとは思うけど、その姿のままでいいやーなんて考えてないわよね?」
「んー。お前がいいなら、別にこのままでも――」
「いいわけないでしょ」
忍の言葉を遮って、弥恵のチョップが脳天に決まった。無論、本気で叩くと弥恵の手が危ないので、軽く嗜める程度で、だ。
「いい、忍? 私だって、女の人と付き合う趣味はないの。元に戻ってくれないと困るわ」
「その割には俺の胸を楽しそうに弄ってるよな、毎日」
「あれは……自分に無いものだから、つい……うぅっ」
自分で言ってて辛くなり、弥恵は切り立った自分の胸に手を当てながら言葉に詰まる。触ればご利益がありそうだったから、との言葉は呑み込んだ。
項垂れる弥恵の頭を、忍の大きな手がワシャワシャと撫でた。
「大きさなんて気にすんなよ。俺、お前みたいなのが好きだし」
「それはそれで複雑なのよ。あなた、ただのロリコンなんじゃないかって」
「それでもいいだろ。つーか、俺が好きなのは小さい女の子じゃなくって弥恵だから。そこ間違えるなよ?」
「もう、馬鹿っ♪」
顔を背ける弥恵だったが、その表情は満更でもなさそうで、ほんのり上気してニマニマしている。そして、猫のような所作で忍の胸に額を擦り付けた。
そんな弥恵を後ろから抱き寄せた忍も、だらしなく表情を崩して弥恵の頭を撫でまくるのだった。
(……イチャつくんなら他所でやってよ……)
バカップルに中てられた愛南は、心底うんざりした様子でPCへ向き直ると、ヘッドホンを着けて解析作業に没頭するのだった。
天使が妖魔や幻魔といった他の
主上を絶対としているせいで説得も交渉も不可能であるとか、純粋に一般人への脅威度が高いといった以外にも、落とす魔晶が高品質であることも挙げられる。
天使の出現報告が多発する比留芽市には、今や魔晶を目当てに全国から狛犬が集まりつつあった。
「と、いうわけで。私とゼノビアで天使の駆除とマナーの悪い狛犬の取り締まりを行いたいと思いますが! いかがでしょう、八雲さん?」
「それは助かりますが……よろしいんですか?」
「ええ、ええ! もちろんですとも! というか地元なんで、半グレみたいな狛犬に荒らされるのは我慢なりませんから!」
「天使よりそっちですか、気にするの」
意気込み充分のマリルは頼もしい。だが現状上がっている戦闘被害の半数が地元狛犬の忍が原因なため、素直に受け入れ難い栄一であった。
しかし、マリルの危惧するところも理解できる。
任務前に狛犬は必ず活動地域の狛犬組合に届け出を出す決まりがある。だがそれを無視して被害を地元狛犬に押し付け、回収した魔晶の換金は他の地区で行う、それどころか技術があっても無資格のハンターが実力の乏しい狛犬に相場以上の値段で魔晶を売りつける悪質な事例は枚挙に暇がない。
組織としても由々しき問題であり、彼女らのような手練の狛犬が自発的に風紀の取り締まりをしてくれるなら願ったりだ。しかし、それでも確認しておきたいことが一つあった。
「分かりました。しかし、どうしてカルディナレさんまで?」
マリルはともかく、ゼノビアの住まいは東京だ。比留芽市との接点など、前回たまたまマリルの内縁の娘を見舞ったことしかない。
「えっと、それは……」
言葉に詰まったゼノビアがマリルを見上げる。すると、マリルが後押しするようにゼノビアの肩に手を起き、大きく頷いた。
ゼノビアは意を決して栄一に向き直ると、気まずそうに、
「学年末試験が終わって暇だと言ったら、マリルに無理やり……」
「はあ、さいですか……」
そこは嘘でも「義によって助太刀いたす」ぐらいは言ってほしかったな、と思わなくもない栄一だった。
「八雲さんをガッカリさせてしまったな。やはりストレートに言わない方が良かったか?」
「ああいう人ならこういうの慣れてるし、大丈夫でしょう。多分」
マリルの自家用車に乗り込むや、ゼノビアはシートにダラリと背中を預けた。これから比留芽市での滞在先である、マリルの家へ向かう予定だ。
「狛犬の組合長なんて、日々ストレスと戦うのが仕事ですから」
「事務方といえど戦いと無縁ではないんだな。斬り捨てられないだけ厄介そうな相手だ」
「妖魔や魔獣は数あれど、ストレスはあらゆる人間の心に潜む究極の
「まったく……くくっ」
人前での丁寧な口調ではない、やや男性的な喋り方がゼノビアの素である。人形のような可憐な容姿と差が激しいが、そもそも仕事以外でドレスなど着ないし、地元では男勝りなお転婆娘と知られている。
そんなゼノビアに、マリルは車を出しながら明るく訪ねた。
「西城さんに早く会いたいですか?」
「急になんの話だ!? 脈絡が……ない、ぞ?」
「まったまたぁ〜♪ スマホの待ち受け画面にするほど気になってるんですよね、西城くんのことが!」
むず痒い部分を突っつかれ、ゼノビアは動き始めた窓の向こうへと顔を背けた。しかし雪のように白い肌をしたゼノビアなので、簡単に耳や首まで紅潮してしまう。照れているのが後ろからでも丸わかりだ。
「良いことだと思いますよ? 命短し恋せよ乙女、です!」
「だ、だからそんなのじゃない。顔写真を見て、少し良いなと思っただけだ。本人とだって、あの時話したきりじゃないか。そんなので好き……とか、何か違う」
「だからそれを確かめようと、私の誘いに乗ったのでしょう?」
ゼノビアは答えないが、窓ガラス越しに苦い薬を口いっぱいに放り込まれたような表情が見て取れる。それを横目で確認したマリルが楽しげに続ける。
「御用も興味もなく動く女ではありませんからね、あなたは。私は西城くんにはアユのことで個人的な借りがありますし、例の女神についても興味があります。けど、ゼノビアにはどちらもありません」
「……この街がなんとなく気に入ったから、とかかもしれないだろ」
「この街の何が気に入ったのです? 住人の方ですか?」
「私のファンという君の娘だ。そういうことにしておけ、あまりしつこいと塩詰めてその口を縫い合わせる」
「何でしたっけ、それ? 遺体をゾンビだかキョンシーにさせない処置でしたっけ? そんなことするより死体を粉々にしたほうが早いし楽ですけどね」
そこから何故かマリルのゾンビ映画トークが始まってしまい、ゼノビアは辟易しながら窓の外へ振り向いた。
(映画って……私ら実物のゾンビ狩ったことがある――ん!?)
軽快なトークを聞き流していたゼノビアは、ふと窓の外を過ぎった大柄で長い黒髪の女性が目に止まった。
だが、それは体格や雰囲気こそ似ていたが、艷やかなストレートヘアに紫のゴシックドレスが美しく映える淑女で、あの黙って立っていても獰猛な肉食獣の如き威圧感を覚えた彼とは別物だ。
(綺麗な人だったな……というか今のドレス、もしかして私のと同じブランドの……)
「つまりですね、ゾンビの出現理由を説明するのに尺を割くより大切なのは――ちょっと、ゼノビア? 聞いています?」
「ん、ああ。『ジョーズ』と『ディープブルー』さえ押さえればサメ映画はどれも同じ内容なんだろう?」
「誰もサメの話してませんし、その意見にも納得できかねますけど!?」
そこからはゾンビのサメが出てくる映画の話になってしまい、今度は絶対服飾の話で会話の主導権を握ってやろうと誓うゼノビアだった。
「どうかしたの?」
「いや、今の車に……まあいいや」
通り過ぎたセダンの窓に、先日知り合った人形のような少女の姿が見えた気がしたが、忍は首を振って弥恵に向き直った。
ただの散歩だが、最近の出動頻度からいって久し振りのデートだ。他の女性のことは頭の隅に追いやって、繋いだ手を強く握り直す。
「ところで忍? やっぱりそこまで着飾って、すっぴんっていうのは良くないと思うの。これからメイク道具買いに行かない?」
「なんでい、お前も結構ノリノリじゃねえの」
「こっちも目一杯楽しんでやろうってだけよ。それで、どうなのよ?」
「ご随意に、お嬢様」
慇懃に頭を垂れた忍に、気を良くした弥恵がニンマリ笑顔で応える。
浮かれた調子で弾むように歩く二人の靴音が、夕暮れの雑踏に溶けていった。
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