第12話 イメちぇん

 比留芽市のサラリーマン達の間で、オフィスビル街に張り巡らされる送電線の上を高速で走り渡る人影の噂が広まっていた。

 大体の人は「どうせ狛犬だろ」と軽く流してすぐに日常へと帰っていく。珍しいものではあっても、忙しい日々の中で気にするようなものではなかった。

 しかし、ごく一部にだがその光景に違和感を持つものもいた。


「昼間から狛犬が……。不吉な」


 日常を脅かしかねない怪異がすぐそこに迫っていると気づくものは、それこそ一握りにも満たないのだ。




 モール火災から、早くも二週間が経っていた。だが事態はこれといった進展もなく、忍は相も変わらず女性のままだ。

 愛南もマリルも色々と調べてくれているのだが、いくら漁っても男が女に変わるような事例など見つからないし、女神エデンについても依然として謎であった。



 放課後、弥恵は夕食の買い物を済ませて忍の部屋へと向かっていた。

 比留芽市内では天使の目撃情報と、雑多な魔物デーモンの被害が多発している。ちょうど忍がモールで天使を駆除した翌日から一日に四〜五件、昨日は十件以上の通報が入ったらしい。

 忍も忙しく、ここしばらく二人の時間が取れていない。帰りが深夜すぎだったり、明け方に出掛けてしまったり。なので弥恵は、少ない時間を無駄にしないよう先週末からずっと泊まり込んでいる。


「ただいまー……あら?」


 玄関に忍のボロいスニーカーと、見慣れない黒いレザーブーツがあった。客でも来ているのだろうか。そう思ってリビングに入ると、


「おっす、おかえりー」


 何故か、紫のゴシックドレスに身を包んだ忍が、鏡の前であれこれポーズを決めていた。

 思わずズッコけそうになった弥恵だが、そこは買い物袋を守るべく根性で踏ん張るのであった。


「あ、買い物行ってくれたのか。悪いな」


 何食わぬ顔で弥恵から買い物袋を受け取ってキッチンへ運ぶ忍、その服は紫の生地に黒いフリルをあしらったゴシック風のワンピースドレスだ。ストッキングとグローブとヘッドドレスも黒と紫で統一している。さりげなく髪の手入れまでされており、あちこち跳ね放題だったのがサラサラした濡れ羽色へと変貌していた。


「……何なの、その格好……」


 停止していた思考がようやく再起動し、それだけ口に出来た弥恵に、忍はヤンチャな笑みでくるりとその場で回ってみせた。

 大柄な体格も胸の巨大質量も上手いこと覆い隠され、澄ましていれば深層の令嬢と言い張っても通用しそうだ。


「似合ってるだろ? 初めてオーダーメイドしちまったせ」

「それはいいんだけど……いや、その……なに?」


 どこからツッコんでいいのか考えがまとまらず、上手く言葉が出てこない。つい昨日までサラシにコートスタイルだったのが、どうして急にゴシックドレスに様変わりしているのか。


「だってよ〜。今の俺って可愛いだろ?」

「は?」

「だからな? せっかく可愛いんだから、可愛いカッコさせてみようと思ってな。いや〜、ファッションなんて興味なかったけど、拘ってみっと面白ぇもんだな、おい」


 心底楽しそうな忍に、弥恵は今度こそ完全に言葉を失った。さすがに自分自身を着せ替え人形にして遊んでいるとは予想外過ぎる。


「あ、あなたねぇ!!」


 弥恵が声を荒げたところで、忍の携帯電話が鳴った。十年近く使っている折りたたみ式の電話機は、外見通りの無骨なコール音で持ち主を呼ぶ。


「い、いい加減に買い換えない、それ?」

「そのうちな。はーい、もしもし西城ですけども?」


 そのうちっていつよ、と心中でツッコみつつ、弥恵は通話の邪魔にならないよう、点けっぱなしのテレビの音量を下げた。相手はどうやら愛南以外の狛犬関係者らしい。

 通話を終えた忍が、出撃の出かける準備を始める。やはりまた、どこぞで魔物デーモンが出たらしい。


「悪いな、弥恵。ちょっくら行ってくる」

「ちょっと待って!! その格好で出ていくの!?」

「おう。実はな、コルセットで胸が動かねえから楽なんだよ、これ」

「そうなの……って、そうでなくって!」


 忍は弥恵に鍵を閉めるよう言い残すと、例のブーツを履いて玄関から飛び出し、八階の手摺りから飛び降りて手近な電柱へ着地、そのまま送電線の上を走り去ってしまった。


「危ないわねぇ……ていうか、あんなブーツで綱渡りって……靴底が絶縁体にでもなってるのかしら?」


 玄関を施錠し、買ってきたものを冷蔵庫に詰めた弥恵は、嫌な予感がして忍の寝室へ向かった。


「うわぁ……」


 クローゼットを開き、またもや絶句。これまで空っぽに等しかったところに、赤、蒼、緑、白と色とりどりのドレスが収納されていた。サイズからしてどれも忍用で間違いない。

 どれも真新しいが、いつの間に仕立てに行ったのだろうか。


「……ま、まさかあの人、もう女でいいや! なんて考えてないわよね……っ!?」


 取り越し苦労ならいいが、嫌な想像を振り払うことが出来ない弥恵だった。



 オフィスビル街で現在も営業中の、ニチョー製薬支社ビルを視界に捉えた忍は、そちらに続く送電線へと飛び移る。

 走りながら携帯電話を取り出し、通話履歴から番号を呼び出す。


「こちら西城。目標地点に接近、敵に動きは?」

『ありません。確認次第駆除してください』

「アイアイサー」


 最低限の短い会話を終え、忍はビルの壁面に飛び付き、窓枠などの凹凸を利用して垂直に駆け上がった。

 屋上に乗り込むと、そこにはピンク髪と緑髪――先日モールで吹っ飛ばしたのと同型の天使が待ち構えていた。


「あーっ! またお前か、デカ女‼ 何度も何度も邪魔しやがって!」


 忍を認めるや武器のレイピアを抜いたピンク髪二匹がヒステリックに叫んだ。それを無視して、忍はビルの屋上をざっと見渡す。

 天使達は床に描かれた謎の方陣を囲み、それを護るように忍と対峙していた。

 赤く発光した方陣は見るからに怪しく、奴らが護っていることからも何かがあるのは確実だ。


(なら速攻ソッコー潰すッ‼)


 頭を低くし、忍は猛然と敵に突進した。

 同時に武器を構えたピンク髪二匹も飛び出し、斧を振り上げた緑髪が左右から挟み込んでくる。


「いい加減にしつこ――」


 一匹目のピンク髪が顔を狙って突き出されたレイピアを紙一重で避け、顔面に左手の指四本を突き刺した。

 そのまま首をネジ切りつつ、胴体を狙ってきた二匹目のレイピアを持ち手ごと右足で蹴り潰す。続けて半回転を加えた左足の踵で顔面をシュート。


「ゲブッ!?」


 サッカーボールの如く吹っ飛ばされたピンク髪の頭部は、砲弾のような速度で緑髪の一匹へ。


「むっ!」


 体を開くようにピンク髪の頭部を回避したが、それによりもう一匹との連携が崩された。

 すかさず忍は背後のもう一匹へ振り返り、巨大な斧が空を裂きながら横薙に迫るのに自ら飛び、間合いの内側へ潜り込む。

 斧の上を転げるように一回転し、緑髪の脳天に強烈な踵落としを見舞った。一撃で頭蓋骨を完全に打ち砕いた。


「――んなろっ!?」


 しかしそれでも即死に至らなかった緑髪は、最期の力で自分の頭に突き刺さった忍の脚をガッチリ両手で掴んで止めた。

 そこへ、最後に残ったもう一匹の緑髪が、渾身の力で斧を振り上げて襲い掛かる。


「うおおおおーっ‼」


 大上段から振り下ろされた一刀は、忍を押さえる緑髪諸共真っ二つにしてやるという気迫に満ちていた。

 不安定な状態では回避することも叶わない。

 斧は押さえていた緑髪ごと忍を正眼に捉え、床を粉砕して階下まで叩き落とした。


「な、なにィ!?」


 だが、仰天したのは斧を奮った緑髪の方だ。手にした斧の刃先が、無残に砕けて使い物にならなくなっていた。忍の肉体の強度が、斧の耐久力を上回っていたようだ。


「どこ見てんだァ、おい」


 打ち抜かれた床の先は倉庫だったようだが、そこにはもう忍の姿はない。無残に引き裂かれて消滅していく緑髪の死体だけだ。

 緑髪がそれに気付くより先に、忍は背後から一撃を加える。腕力で頭部を一回転させてへし折り、念入りにもぎ取った。


「…………」


 輪郭が崩れて魔晶化する天使には目もくれず、忍は床の方陣に駆け寄った。

 ボンヤリと赤く光る方陣、その色は濁った血を想起させる毒々しさだ。

 忍は顔をしかめ、踵に力を込めて方陣を踏み砕いた。

 床のタイルごと粉砕された方陣から光が失われるが、方陣自体は黒いタールのようなもので描き込まれており、その場に残ったままだった。


「な、なんだこれ……?」


 階下の倉庫から声がしたので覗いてみると、ビルの警備員らしき壮年男性が様子を見に来たようだ。部屋の外にも、ゾロゾロと人の気配が集まっている。

 忍はなるべく静かに階下へ降り立ち、ギョッとする警備員に精一杯の営業スマイルを浮かべた。


「すんません、狛犬です! お騒がせしてます!」

「こ、狛犬ぅ!? どうして狛犬が、我が社のビルを壊してるんだ!?」

「不可抗力っすよ。これから事後処理班を呼びますので、すんませんけど警備室まで案内してもらっていいっすか?」


 警備員は責任者に確認を取ると無線機に話し始めたので、忍もその間に携帯電話で任務の完了報告をメールで送付する。

 それから十分もしないうちに警察と狛犬の事後処理班が到着し、彼らに引き継ぎを済ませた忍は再び送電線を伝って帰宅したのだった。

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