第11話 壁とか天井の裏

「結論から言いましょう! 何も分かりません、何なんでしょうね‼」

「自信満々に言うことがそれっすかぁ」


 つい最近どっかで聞いたような言い回しに、忍は医務室で貰ってきた新しいサラシを胸に巻きながら眉値を寄せた。

 情報室の端末を立ち上げて、まだ十五分と経っていない。


「テキトー言ってませんよね、マリル?」


 マリルが座る席の隣で普通にネットサーフィンしていたゼノビアが、訝しむように彼女を見上げた。どうやらファッションブランドの記事を流し読みしていたようだ。

 だが、マリルは得意げな顔を崩さない。


「データベースに検索が何一つ引っ掛かりませんでした。『楽園の女神』も『エデン』と言う名の女神も、何一つ。念の為一般のネット界隈も検索しましたが、文章中の言い回しとして過検知した以上のものはありません」

「つまり?」

「過去の遭遇例が存在しない、ということです」


 身も蓋もない結論だが、忍は「やっぱりな」とむしろ納得した様子だ。ちょうどサラシも巻き終わった。

 その様子を不思議そうに見上げて、ゼノビアが忍に尋ねる。


「あまり残念がらないんですね」

「そりゃあな〜。ドマイナーな宗教で祀られてた邪神だとか、カミサマ騙っただけの妖怪だとか、あんたもよく知ってるだろ」

「……あ〜、つまり『楽園の女神』も類ということですか。勝手に名乗ってるだけの野良妖怪」

「そーゆーこった」


 腑に落ちた表情のゼノビアに、忍が大きく頷いた。

 狛犬の仕事として、人に害する魔物デーモンの駆除が主なのだが、その中によく自分を神だと思い込んでるだけの可哀想なヤツが一定数存在するのだ。

 たまに地方の宗教で超限定的に奉られた本物もいたりするが、ハッキリ言って都内でたまに現れる犯罪超人と比べたら小粒もいいところだ。

 だが、そこにチッチと人差し指を振りながらマリルが待ったを掛ける。


「やれやれ。二級の狛犬が揃って素人考えですか。才能はあっても若いですねぇ」

「と、言いますと?」

「つまりだね――」


 そこで突然、マリルが表情を引き締める。声のトーンまで真面目になり、親しげなお姉さんから冷徹なプロの顔に変わった。


「これまで確認されていないだけで、そいつは全く新しい概念の神……っていう危険性があるのさ」


 忍もゼノビアも、マリルの結論に表情を固くした。

 それはそうだろう。忍が駆除した天使に限らず、魔物デーモンとは世間の大多数の人間にとってとして扱われている。狛犬やAPSSが存在をいくらアピールしても、実際に怪異・怪物と遭遇する人間など、それこそ万に一人の割合だ。

 信じない人は幽霊も妖怪も眉唾ものだと否定したまま、自宅の床下に潜んだ怪物と死ぬまで共存し続ける。

 それだけに、狛犬やAPSSすら把握していない未知の神が隠れ潜んでいる可能性は常に付きまとう。だからこそ狛犬には戦闘員だけでなく、愛南達のような調査員も必要とされていた。


「それに、物証もありますからね」

「物証? ……あ、俺か」

「そう。正体はどうであれ、君は女神エデンに遭遇した結果、肉体が女性に変化してしまった。もはや世は事もなし、とはいきません。本格的な調査が必要です」

「えぇっ!?」


 急に大きな声を出したゼノビアに、マリルと忍が同時に顔を向けた。

 ゼノビアは他に人がいないとはいえ情報室であることを思い出し、自分の口に片手を当て、わざとらしく咳払いした。


「あの、肉体が女性にって、どういうことですか?」

「言ってませんでしたっけ? 彼、原因は分かりませんが昨日辺りから突然体が女性になってしまったそうですよ」

「彼っ!? えっ、ちょっと待て! 何だそれ!?」


 困惑のあまり澄ました口調が崩れているゼノビアに、忍もそういえば話すような機会がなかったなと思い返した。

 気を利かせたのか、マリルが片手で端末のコンソールを弄り、狛犬の名簿を開いた。

 芸能事務所の所属タレントを紹介するような雰囲気で、表情を引き締めた忍と簡単なプロフィール、これまで担当した任務の一部が開示されている。当然、写真の顔は男のものだ。

 写真を見てゼノビアが目を見開き、マリルも顎をさすりながら「ほほう」と感嘆した。


「男の子の時からキレイな顔してたんですね、西城君。むしろ同性からモテそうじゃないですか」

「止めてくださいよ、男に囲まれて喜ぶ趣味はねーっす」


 心底嫌そうに答えた忍が面白かったのか、マリルがイタズラっぽく「残念ですね」と笑った。何が残念なものか、と忍は弥恵と似たようなニマニマ笑いから顔を背けた。


「…………」

「あれ、ゼノビア?」


 ふと、画面の前で動かなくなったゼノビアを不審に思ったマリルが声を掛ける。それだけで、小さな肩がビクリと跳ね上がった。


「なっ、なっ、なんですかマリル!?」

「何を挙動不審キョドっているのです? いえ、どうして熱心に狛犬名簿を眺めて――」


 いるのかな〜、と続けようとして、マリルは気付いた。ゼノビアの顔が真っ赤っかであることに。元が抜けるように白いせいで、ほんのりどころか耳まで紅潮してるのが丸わかりだ。

 さらに、画面もさっきから忍のページで動いていなかった。

 途端に鋭く、それでいてニヤけた眼に変わったマリルが、必死に顔を背けるゼノビアに詰め寄った。


「そーですか、そーですか。ゼノビアもそんな年齢なんですねぇ」

「し、しみじみと何言ってるんですか!? 私は本当にそこの人と写真の人が同一人物なのかを見比べてただけで!」

「だったら慌てる必要もないじゃないですか? そ・れ・に? 見比べてた割には、視線がモニターから動いてませんでしたよ?」

「――――ッ!!」


 形勢不利と判断したらしく、ゼノビアはくるりと反転してマリルに背中を向け、わざわざ部屋の隅の方の端末まで足早に去ってしまった。


「むふふ〜♪ ああいう顔もするのですね、ゼノビアは」

「……どうしたんすか、カルディナレさん?」

「ふふっ、なんでしょうね? あ、苗字だと長いから、次からは『ゼノビア』って下の名前で呼んであげてください。多分、喜びますから!」

「ん、いいっすけど」


 遠くに行ってもチラチラこっちを窺うゼノビアと、そんな彼女を慈愛に満ちた暖かい笑顔で見守るマリル。訳が分からず、忍は首を傾げるしかなかった。




 放課後になるや、弥恵は担任教師からの呼び出しも振り切って、比留芽総合病院へ走っていた。

 一応、風香経由で体調がすこぶる優れないと伝えてもらったが、校舎を出るなり全力疾走した姿を見られていないか、自信がない。

 しかしそんなことより、今は入院したという歩の姿を一目でいいから確認したかった。


「ごめんなさいね。その子、今は家族以外との面会が認められていないの」

「そう、ですか……」


 だが病院の受付で立浪歩の病室を尋ねたところ、やんわりと断られてしまった。


「でも、昨夜のうちに意識が戻ったし、今朝もお見舞いに来た保護者の人と話したみたいよ。すぐ会えるようになるわ」


 目に見えて意気消沈する弥恵に、受付の看護師が優しくフォローを入れる。

 だが、その情報なら朝の時点で弥恵の耳にも入っている。だというのに、出向かずにはいられなかった。

 冷静になると、途端に気恥ずかしさが込み上がってくる。もう今日のところはさっさと帰ってふて寝でもしよう。


(はぁぁ〜、あほらし)


 内心の溜め息を隠しながら、弥恵は受付にお礼を言って帰ろうとした。そこへ、


「おお! 弥恵さんじゃないですか」


 聞き覚えのある、よく通る声に振り向いて、弥恵はその瞬間に絶句する。

 下半身が食い込みの激しいビキニパンツ一丁の変態ブロンド大美人が、屈託のない笑顔でブンブンと手を振っている。キラキラしたグレイの瞳が子供のようだ。

 上半身がサーコート(でも男性用)でパリッと固めているだけに、妙ちくりんさが余計際立っている。周囲からのなんだあれ? という視線すら意に介いていない。


「あっれ、お忘れですかー? 山吹です、山吹マリルです! 弥恵さーん!」


 こんなところでそれ以上、名前を大声で呼ばないでほしい。

 弥恵は諦め顔で、変態の元へ向かった。


「こんにちは、マリルさん。病院ではお静かに」

「そうでした! どうしたんです、こんなところで。具合が悪そうにも見えませんけど、お見舞いですか?」

「ええ。アユの」

「なんと!」


 マリルは口許に手を当て、大袈裟に驚いてみせる。相変わらず表情がコロコロと変わる人だ。


「ありがとうございます! 今朝の時点で早くも退屈してましたから、きっと喜んでくれますよ」

「けど、家族以外は面会謝絶と――」

「私と一緒なら問題ナッシング! さあ、行きましょう!」


 マリルは強引に弥恵の手を取ると、彼女を引きずるように病棟へと歩きだした。

 注目を浴びてしまって顔を伏せた弥恵は、ふとマリルの隣を歩く黒いゴシックドレスの少女と目が合った。目線が同じなので、意識せずとも自然とそうなる。


「あ……ど、どうも」


 少女が弥恵に向けて、微笑みながら会釈した。

 色素の薄いホワイトブロンド髪に蒼い瞳、くっきりした目鼻立ちに白い肌。顔立ちも整っており、まるで精巧な造りの西洋人形を思わせる。

 思わず弥恵は、呼吸も忘れて彼女に見入っていた。


(――……可愛いっ♥️)


 弥恵もよく「お人形さんみたいね」などと褒められるが、目の前の彼女と比べたら既製品の雛人形がせいぜいだ。とても最高級一点物のポートレイトドールには敵わない。

 その綺麗な顔をいつまでも眺めていたいところだが、さっきから急に立ち止まった弥恵をマリルが不思議そうに見下ろしている。


「どうかしまし――あ、紹介がまだでしたね。彼女はカルディナレ・ゼノビア。私の仕事仲間です。ゼノビア、こちらアユの友達の穂村弥恵さんです」

「ええ。ゼノビアで結構です、苗字だと長いし」

「あ、ありがとうございます。なら私も弥恵で……日本語、お上手ですね」

「生まれも育ちも東京の下町ですよ、その子」

「スカイタワー、分かります? あの根本辺りが実家です」

「そ、そうなんですね……」


 世間話を交えつつ、三人は連れ立って歩の病室へ向かうのだった。

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