第8話 それだと褒めてない
「――てな分けでな。勢いで押し切るにしても限度があるし。……女の体のことなんてほとんど知らねえし、いざってときにどうしようか不安で不安で」
「はあ。さいですか」
「なんだよ。話せっつうから恥を偲んで話したのに」
「そんなとこまで話せっつってねーよ。嫌がらせか、惚気やがって」
「へへっ、まーな」
「まーな、じゃねー! ……はあ」
げんなりした愛南から突き刺さる抗議の視線も気にせず、忍は締まりのない顔でニヤニヤしている。
そのイタズラ小僧のような表情から、愛南は何となく察してしまった。
「てか、しのぶくんさ〜? それって相談じゃなくて、ただ単に自慢したかっただけだよね?」
「――――」
「目ぇ逸らすな」
「ひゅ〜♪ ひゅ〜♪」
「口笛吹くな、吹けてないけど」
聞くんじゃなかったと額を抑える愛南だったが、考えてみれば彼女が知る限りでは、忍がこの手の話を振れる相手などいない。
「やれやれ、だね。女の子になっちゃって滅入ってるのか、彼女が出来て浮かれてるのか。どっちなんだ、君は?」
「あ〜……」
忍は腕組みして、再び考え始めた。それはともかく、わざわざ胸を強調するようなポーズを取るなのはわざとだろうか。頬に指を当てた仕草までも、妙に艶めかしく映る。
「実はよく分かんねんだ、自分でも」
「んな他人事みたいに……」
「焦って何とかなるとも思えねえし。それに弥恵がこの胸気に入ってるみたいだからな。しばらくこのままでいいかな〜って」
「まったく、君って男は。こんな時まで弥恵ちゃんか!」
「当然だろ。あいつが俺にとって全部なんだ」
迷いなく言い切る忍に、愛南は苦笑を返すしかなかった。
弥恵は忍の行動原理そのものだ。弥恵を脅かすものには一切容赦しないが、逆に弥恵さえよければ自分のことすら後回しになる。
正直、歪だとも思う。医者としては捨て置けないが、残念なことにカウンセリングは愛南の専門外だった。
「なんだよ。味のある笑い方して?」
「うんにゃ。やっぱり君はブレないんだな〜って。でも、弥恵ちゃんがそんなに大切なら、節度を守ってやれよ? ませてても、彼女はまだ子供なんだ」
「わぁ~ってるよ。俺もまだ親父になるのは早いと思ってる」
「いや、それもだけど、それだけじゃなくてね? 君達は――」
愛南の言葉はそこで途切れた。目付きが鋭くなった忍が、突然愛南に飛びついてきたからだ。
頭二つ分は大きい忍に、愛南は成すすべもなく押し倒された。
(ええっ!? まさかこれは――不倫!?)
などと馬鹿なことを考えた次の瞬間。赤い光が音も無く外壁を抉っていくのを、忍の肩越しに見てしまった。
「はえ?」
間抜けな声を上げる愛南を抱え、忍は高速でモールを跳ね回る。思い切り叩きつけたスーパーボールさながらに、光を避けて駆け抜けた。
その度に愛南の胃の腑が右往左往し、視界が豪快に大回転する。
赤い光は何度となくモールの外から二人を襲った。直撃した壁や床が三日月状に抉れており、万が一かすりでもすれば忍はともかく、戦闘員でない愛南ではひとたまりもない。それでいて破壊音一つしないのが不気味だ。
七度目の赤い光で、ついに店舗の壁が完全に崩れ落ちる。
「乱暴だな〜、もう。ハレック、あんなんでいいの?」
「死んだら死んだで構わんさ。だがソニア、ちゃんと狙ったのか?」
「失礼ですね。私の奇襲は完璧でした。そうよね、デカン?」
「完璧かどうかは置いておいて。ルプスよ、彼奴で本当に間違いないのだな?」
開け放たれた空から落ちてくる声に、愛南は恐る恐る壊れた壁の向こうを見上げる。こんな時でなければ「あちゃ〜」とでも言いながら自分の額をペシッと叩いていたところだ。
壊れた壁から見下ろす四対の冷たい瞳。背中にニ対の白い翼を広げ、そこから黄金の粒子を放出して対空する四人の男女がいた。
いずれも白銀に輝くフルプレートのアーマーを装着し、剣や槍を腰に下げていた。宗教画に描かれた戦う天使、割りとそのままな出で立ちだ。
その中の一人、一番小柄(それでも170センチ近い)で桃色のショートヘアの女が、忍を頭の天辺からつま先まで丹念に観察する。
愛南を背中に庇いながら、忍はピンク髪からの不躾な視線を正面から受け止めた。
「ん〜っと……うんうん。間違いないよ、ハレック。あっちのデッカイ女だ」
「そうか」
逆立った銀髪の優男がピンク髪の言葉に頷き、一歩分前に出る。空中を滑るように移動するが翼を動かしてはおらず、どうやら黄金の粒子を噴出してジェットのように対空しているらしかった。
銀髪は忍を冷徹な眼で見据え、それを受けた忍も眉間のシワをますます深くして睨み返す。
「おい、そこの破廉恥な服装の女!」
「あぁん!? 誰が人道にももとる恥知らずだ、こら‼」
「そこまでは言っていない」
言い返した忍のドスの効いた声は、後ろにいた愛南が思わず身を竦ませるほどだった。
しかし、銀髪は涼しい顔でそれを受け流す。
「貴様が我らが女神エデンを浚った不届き者だというのは分かっている。大人しく我らが女神を解放するのだ」
「はああ!?」
「とぼけても無駄だ。同志ルプスの眼が、貴様の罪を暴き出している」
「むふふ、そゆこと♪」
高圧的に青い長髪の女が続けると、ピンク髪が得意げにそこそこ豊かな胸を弾ませた。
「分かりやすく言えば、貴様が持つ女神エデンの魔晶を渡せ、ということだ。素直に差し出すなら、事は穏便に済むだろう」
もう一人いたワカメのような緑髪の大男も、腕を組んだ威圧的な態度で告げてくる。
忍は前方を警戒しながら、背後の愛南へ振り向いた。
(殺っていい?)
(もうちょっと待って! もう少し会話して、少しでも情報を引き出してみて)
(それはそうだが……あんま期待すんなよ?)
小声での相談を終え、忍は改めて上空から見下ろしてくる羽根付き四匹を鋭く見据えた。
「生憎と、こっちもそれを探してっとこだ。持ってねえよ」
「嘘ついちゃダメだぞ? お前からはエデン様の高貴な香りが漂ってくるのだ。このルプスちゃんの目と鼻は誤魔化せません!」
「何のこと言ってんだ?」
自信満々なピンク髪に重ねて尋ねるが、答えたのは銀髪だった。
銀髪は腰の剣を抜くと、切っ先を真っ直ぐ忍へ突きつける。
「人間と交渉するつもりはない。素直に渡すか、それとも我が剣に掛かるか。好きな方を選べ」
取り付く島もない有様の銀髪だが、どうやら他の三匹も同意見のようで、感情のない冷徹な眼でこちらを見下ろしていた。
忍が拳に力を込めたのに気付いた愛南は、慌てて上空に向かい声を張り上げた。無論、忍の背中から顔は出さずに。
「せ、せめてどこの誰かってぐらいは教えて欲しいな‼ 何者なんだい、君達は!?」
「……ふん」
銀髪が汚い虫でも見たように表情を歪めたのが見えて、愛南も内心でカチンと来る。だが、今は少しでも新しい情報が欲しいところだ。忍をけし掛けるのは、その後でいい。
銀髪は剣を差し向けた態勢を崩さないままだったが、代わりに緑髪が口を開いた。
「我らは『楽園の女神』に仕える守護天使だ」
「デカン!?」
「いいではないか、ハレック。無知ゆえに罪を罪と認識せぬのがこいつらよ。啓蒙してやるのもよかろうではないか」
緑髪の大男に、青髪とピンク髪がやれやれとばかりに首を振る。銀髪は依然として険しい顔のままだが、見た目年長者っぽい緑髪にそれ以上何も言わなかった。
緑髪は、何事も無かったかのように話を続ける。
「『楽園の女神』はお前達人間の運命を司る存在。そして『楽園の女神』の中心におわした方こそがエデン様よ。あの方こそ数多の世界の運命を正しく管理・運営されてきた至高の女神……だったんだが――」
そこで緑髪の男は、ものすごく苦い草でも噛んだように顔をしかめた。銀髪と青髪、能天気そうなピンク髪まで、一様に忍をキッと睨む。
「この世界の時間で昨日、忽然と姿を消してしまわれた。何がなんだか分からなかった。あの方ほど責任感の強い女神はいない、使命を投げ出すなどありえん」
「でもでも、調べてみたら意外や意外! 失踪される寸前、エデン様の元には予定外の魂が流れ着いていたんだ。死の運命にはなかったはずの魂――つまり、君だよ」
ピンク髪が口調とは裏腹に、射抜くような殺気を発した。それだけで忍の足元で瓦礫がひとりでに砕け、愛南は思わず身を縮めた。
「そのうえ、君からは微弱だけどエデン様の波動が出てる。どうやったかは知らないけど、君がエデン様を拉致ったのは確定的だ。それを素直に返せって話だよ」
「さあ、問答はもういいだろう。理解したならエデン様を返すのだ!」
青髪が背中の槍を抜く。さらにピンク髪と緑髪も、それぞれレイピアと長剣を抜き放つ。
空間を満たす殺気が急速に膨れ上がる。これ以上の対話は難しいと判断した愛南は、仕方ないなと目を伏せて、忍に小さく囁いた。
「しのぶくん、もう狩っていいよ」
その瞬間。その場にいた全員の視界から、忍の姿が搔き消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます