第7話 棘

「へえ。おやっさんもネットの動画観たんだ?」

「うん。有望そうな人材なら、スカウトしようと思って」

「私は非番ですが、自宅がこの近辺でして。たまたま立ち寄ったら八雲さんの姿が見えましたのでお声がけしました!」

「通りすがりっすか」


 すっかり馴染んでいる狛犬関係者三名を、愛南は同じ狛犬としていたたまれない気持ちで、少し離れて眺めている。

 後ろから見て気付いたが、マリルのビキニは食い込みが鋭く、お尻がほぼ剥き出しだった。大きくて重量感があり、それでいて徹底的に引き締まったヒップラインが、日本刀のような美脚へと流れていくのがよく分かる。が、視線をさらに下げたらアイスピックのように踵が尖ったピンヒールが眼に入り、違った意味でギョッとさせられた。本人がクールにお澄まししている分、余計シュールに見える。

 先程から周囲の一般警察官や消防隊員がチラチラとマリルの脚――だけでなく、忍の無防備な胸を気にしており、このままでは狛犬が変態集団だと誤解されてしまう、と愛南は危機感を募らせていた。


「えっ、あの動画って西城君だったのかい? な〜んだ」

「ガッカリすんなよ。俺だって泣きたいぜ」

「しかし、性別を変えるほどの呪いですか。それに『女神エデン』……面白そうですね。少し調べてみましょう!」


 気付けば話は終わっており、マリルがその辺の窓から飛び降り、颯爽と走り去っていくところだった。


「じゃ、僕は鑑識の人に変な物拾ってないか聞いてこよう」

「頼んます、おやっさん。じゃ、俺らも行くぞ愛南」

「ま、待ってよ、しのぶくん! じゃ、また後でねパパ」


 ツカツカと先へ行ってしまった忍を追って、愛南もモールの奥へと進んでいった。

 目指す先はモールの裏手側で、金物屋や日用雑貨店が並ぶ区画だ。

 取り扱い品が品だけに外見上の損害は煤汚れが目立つ程度で、すでに捜査も終わっているのか人の姿もない。

 その一部に、壁が不自然に崩れた場所があった。


「ここだ、ここ。……多分」

「……何もないね」


 愛南から改めて指摘されるまでもなく、転がってるのは壊れた建材だのばかりだ。そのうえ、すでに警察か消防隊によって瓦礫もある程度整理されている。魔晶のような目立つものなら、とっくに回収されているだろう。


「無駄足かよ、ちくしょう……」


 肩を落とした忍は、溜め息と共に悪態を吐く。しかしすぐさま背筋を伸ばし、


「ま、いっか。宛てがあってのことじゃねえしな。次行こ、次〜」


 ケロッとして来た道を戻ろうとする忍に、愛南は慰めようと伸ばした手の行き場を失い、その場でずっこけるのだった。

 あまりにも能天気な忍を見ていると、こいつは本当に元に戻りたいのか分からなくなる。もしかすると、このままでいいやなどと考えてやしないだろうか、と不安になる愛南だった。


「あぁ、もう。真面目にやってくれないと、付き合ってる身としちゃたまったもんじゃないんだけど?」

「失礼だな、愛南。こう見えても珍しく真剣だぜ」

「自分で珍しいって言っちゃったよ」

「だってよ〜」


 呆れる愛南に向けて、忍は腰に手を当てて勢いよく胸を突きだした。

 幾重にも包帯を巻いた巨大な胸が、まるで別の生き物のようにぶるんと揺れる。


「これ、すっげー邪魔。重いし揺れるし」

「うっわ〜、言いやがったよこの男!」

「あと、今の俺の外見が母ちゃんにソックリで……」

「それはまあ、ご愁傷さまとしか……」


 忍はショーウィンドウの割れたガラスに自分の顔を映し、煮えた鉄でも呑んだようにゲンナリした。


「元から似てるな〜とは思ってたんだけどな。今はもう、生き写し通り越してクローンか何かじゃねえのってぐらい同じ顔してて……」

「あ、あは〜……ずいふんと美人さんだったんだね、しのぶくんのお母さんって」

「腹の底から腐ってたけどな。だははは……はぁぁ〜」


 無理に笑おうとしても引きつったような声しか出ず、忍はすっかり気が滅入ってしまったようだ。どうせすぐ立ち直るだろうが。

 愛南も詳細までは知らないが、忍が父や亡くなった母に悪感情――もっというと明確な嫌悪と忌避感を持っていることは長い付き合いから知っている。特に母親のこととなると、まず話題に加わってこないぐらい露骨に避けようとする。

 にも関わらず、変貌した自分の容姿を母親に例え、それを愛南に告げてきた。ヘラヘラして能天気な振る舞いの裏で、色々と溜め込んでいるのかもしれない。


(……というか、悩まない方がどうかしてるか。もし僕が突然男の体になんてなったら……)


 いくつかパターンを考えたが、少なくとも一週間は放心したままか、パニックで泣き喚いているだろう。忍が見えないところで不安を抱えていても不思議ではない。

 不思議ではないが――。


(でもな〜。こいつに悩んだり不安がるような情緒ってあるかな〜? 性根はともかく、闘争本能が服着て歩いてるような男だし)

「? なんだよ、その魚の鮮度確かめるみてえな目は?」

「いや、君に物事を悩む頭があるのかなって──あ」


 うっかり口を滑らせた愛南に、忍も思わず眉を潜めた。


「お前、俺を何だと……」

「ごめんごめん! でもさ、正直どうなの? 急に女の子になっちゃって、実際問題どんなカンジ? 困ってることない?」

「つっても、昨日の今日だしな~」


 顎に手を当てて考え始める忍だが、唸るばかりで考えがまとまらないようだった。


(ていうか、そんな考えないといけないぐらい気にしないものなのかな? トイレとかお風呂とかどうしてんだ、こいつ?)


 ここまでおおらかだと、逆に感心さえしてくる。


「あ」


 ようやく何事か思い付いたようで、忍はポンと掌を拳で叩いた。


「お。何か浮かんだ?」

「ああ。女同士の場合って、どうやってエッチすればいいんだ?」


 まさかのド直球の下ネタに、愛南はコントの如くその場でズッコケるのであった。




 一方、その頃。

 その日最後の授業が始まろうとする教室にようやく姿を見せた弥恵に、クラス一同の視線が集中した。


「おはよー、っていうのも変なカンジね」


 軽口と共に教室に入って来た弥恵は、注目など意に介さないように席へと向かう。


「弥恵ちゃん!?」


 そこに立ち塞がるように躍り出た長野ちょうの花代はなよの素っ頓狂な叫び声が、視線を一気にさらっていった。

 花代は机を蹴散らすような勢いで弥恵に突進し、逃げ出す暇も与えず抱きついた。


「むぎゅ」


 花代の、今の忍ほどではないが同年代の中では規格外に豊満なバストが、弥恵の顔面を圧迫する。狙ってやったわけではないだろうが、互いの身長差のせいで弥恵の頭は花代のジャスト胸元の高さにある。

 加えて花代は弥恵の頭を細身に似合わぬ怪力で抱きしめ、自分の胸にギュウギュウ押さえつけてくる。クラス中の、特に男子の眼力が三割ほど増した。


「弥恵ちゃん弥恵ちゃん弥恵ちゃーーーーん‼ よかったよぅ、よかったぁ〜っ」

「は、ハナ!? どうしたっていうの、落ち着いムギュっ」


 弥恵は何とか花代を宥めようとするが、花代がヒートアップするに連れて顔への圧迫もさらに強まっていく。

 呼吸を塞がれ、意識が朦朧としてくる。そこらの男子が羨ましそうに弥恵を見ていたが、見てないで助けろと問い詰めたい。


「落ち着け」


 そこに救いの手を差し伸べたのは、弥恵よりは高いが、それでも一般平均女子中学生の中では小柄な女子・月城つきしろ風香ふうかだった。


「あんっ♥」


 風香の切れのいいツッコミが、花代の弱点である脇腹に炸裂する。といってもちょこっと突っつくだけなのだが、それだけで花代は年齢不相応な、むしろ外見通りに艶かしく喘ぎながらペタンと座り込んでしまった。


「はあ、はあ……助かったわ、風ちゃん」

「礼には及ばぬ。……でもね、この子の心配も分かってあげて。というか、私も同じ気持ちなんだけど」

「どういうこと……あら? そういえば、アユは?」


 弥恵は教室を見渡すが、教室ど真ん中の席が不自然に空いている。弥恵、花代、風香ともう一人、一年生からの親友である立浪たつなみあゆむの姿がないのだ。

 たまたま目があった男子が、痛みを堪えたような表情で顔を背ける。無性に嫌な予感がした。


「落ち着いて聞いてね、弥恵。昨日のモールでの事故は知ってる?」

「え、ええ。――まさか!?」


 果たして、弥恵の予感は的中した。

 歩はモール火災に巻き込まれ、病院に担ぎ込まれたのだった。今も面会謝絶だが、少なくとも今朝の時点で意識を取り戻したと花代が歩の母から聞いていた。


「それでね。弥恵ちゃんも休んでたから、もしかしたら弥恵ちゃんも怪我したんじゃないかって。電話も繋がらないし……」

「……ごめんなさい、電源切ってたわ……」


 忍との時間を邪魔されたくなくてのことだったが、そのせいで二人を心配させてしまったようだ。


「この通り、ピンピンしてるわ。朝はちょっと調子悪くて、結局昼まで寝ちゃってたけど」

「あ〜、そっか。弥恵ちゃん、いつももんね」


 花代が勝手に納得してくれたところで、始業のチャイムが鳴った。続きは放課後にして、弥恵は自分の席へと向かう。

 だが、弥恵の胸中は自分でも驚くほどにざわめき立っていた。


(……気持ち悪い)


 席についてからも心臓が痙攣するように激しく脈打ち、胸が痛いぐらいなのだ。

 無人の席に視線を移す。鼓動がさらに激しくなり、口から飛び出しかねない勢いだ。

 その原因が、親友と二度と会えないかもしれない恐怖だと気付いたのは、まるで身が入らない授業を二十分ほど聞き流した頃だった。

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