第6話 犬も歩けば

「まあ、職場の事情は置いといて」


 愛南が荷物を横にずらす仕草で、話題を元に戻した。

 忍も頷いて同意を表す。


「そうだな。大事なのは、どうやれば俺が元に戻れるかってことだ」

「あ、そこまで話戻すんだ。天使は?」

「どうでもいいぜ。出てくればそれだけ金になる」

「そりゃそうだけど、大事なことを忘れてるよ、しのぶくん。天使は『野良』じゃ動かないんだ」


 どういうこと? と訊きたそうな弥恵に、愛南はまたもや図面を描きながら説明を始める。生来から研究者気質の愛南にとって、知識をひけらかす場面は何であれ楽しいらしい。

 忍は愛南のそういう部分を鬱陶しく感じながらも、聞いてる弥恵も面白がっているので好きにさせた。


「さっきも言ったけど、魔物デーモンの括りって広くてね。種族的な話だけじゃなくって、虫みたいなのからクジラみたいな大物まで千差万別なのさ」

「あ、大きいのならテレビで観たわ。口から火を吹いて、戦車と戦ってるの」

「それは怪獣だね。あれは40メートルから100メートル超えだけど、魔物デーモンは大きくても20メートルを超えないんだ。で、ほとんどの魔物デーモンが本能で暴れるだけのケダモノなんだけど、天使は違う。主上となる『神』がいて、その配下としてだけ存在出来るんだ」


 愛南は『神』の漢字に『女王蜂』、天使に『働き蜂』と読みがなを振る。


「なるほど。じゃあ、さっきの奴らも女王蜂からの命令で襲って来たってこと?」

「そうだね。……どんな命令かまでは知らないけど」

「けっ。なぁにが『神』だよ。俺がこれまでブッ殺してきたカミサマっつったら、どいつもこいつも強いだけの魔物デーモン――あ」


 忍は自分で吐いた悪態から何事か思い出し、愛南が描いたメモパッドの図面に視線を落とす。

 喉に刺さった小骨のような違和感に首を捻っていると、弥恵と愛南が揃って怪訝そうに眉を上げた。


「どうかした、しのぶくん?」

「いや、そーいえばな」


 すっかり忘れてたと前置きし、忍は女神エデンと会敵した時のことを二人に話す。

 聞き終えた愛南は、やれやれと言わんばかりの溜め息を吐いた。


「忘れてたって、君ねえ。仕事外で魔物デーモン退治しても、きちんと報告するようにって何度言えば!」

「ごめんって! でも状況が状況だったし、しゃーねえだろ。あっちこっち燃えてるわ、人死んでるわでエラいことになってたんだぞ?」

「ていうか忍、昨夜の事故現場にいたのね。消防車とかすごかったけど、そんなに酷かったの?」

「おう。もうグッチャグチャのメーラメラでな。とりあえず、息があった人は軒並み外に運び出したけど……結構死んだんじゃねえか、あの様子じゃ」


 軽く言っているようで、忍の声が微妙に固い。語気に確かな怒りを感じ取った弥恵は、意外そうに目を丸くした。


(へえ。忍ってば、前は自分と私以外の命なんて紙切れぐらいにしか思ってなかったのに。ちょっとは良い方に変わったのかな)

「あ!」


 弥恵が作った小さな笑みは、愛南から上がった頓狂な声に搔き消された。


「モールで思い出した!」

「お前も忘れてんじゃねえか」

「にははは……そ、それより、これ観てよ!」


 笑って誤魔化しながら愛南が差し出したのは、自身のスマホだった。

 画面に映っていたのは、昨夜のモール火災の現場らしい。どうやら見物人が撮影した動画をネットに上げたもののようだった。

 画面の中央には、モールの壁に空いた穴から出たり入ったりを繰り返す、大柄の女性の姿がある。


「俺じゃん」

「やっぱりか!」


 実のところ、愛南が早朝に忍の元を訪れたのは、この画像の女について調べてもらおうとしたからだった。

 狛犬が知らない野良の超人であれば、見つけて仲間に引き入れるつもりだったのが、思わぬところで解決した。


「だっていうのに、しのぶくんがこんなんなってて。ビックリしてコロッと忘れちゃってたぜ♪」

「たくっ、しょうがねえ女だなァ、お前は」

「どっちもどっちよ、二人とも」


 弥恵の呆れ顔から逃れるべく、忍と愛南は示し合わせたように荷物を脇に避ける動作で話題を切り替えた。


「でも、女神エデン……エデンってヨーロッパじゃ『楽園』やら『天国』のことだけど、その名前を冠する女神ってこと?」

「どうせハッタリだろ。だが、天使の動きについてなら、ちょっぴり読めてきた」

「と、言うと?」

「エデンの魔晶だ。あいつらがエデンの天使だとすれば、それである程度の説明が付くだろ。誰も見つけてねえなら、まだモールに転がってるかもしれねえ」

「なるほど」


 意外にも筋の通った考察に、愛南も真面目な顔で頷いた。


「天使もお金が欲しいの?」

「おっと、ごもっともな疑問をありがとう、弥恵ちゃん。実はだね、魔晶からは魔物デーモンのだよ」


 そして、それこそがAPSSがわざわざ高い金払ってまで魔晶を回収する理由なのだ。

 そのメカニズムは解明されているとは言い難く、どういった条件下であれば復活するのかも定かではない。放置された魔晶に別の魔物デーモンが群がっているだけ、という意見もあるぐらいだ。

 いずれにせよ、魔晶の周囲には必ず生きている魔物デーモンの陰が付き纏うのであった。


「魔晶と知らずに持ってた一般人が悲惨なコトになったって事件、年に数回は起きてるよ」

「怖いわね……」

「だが女神の魔晶なら天使ハチが群がってくるのも頷ける、ってことだ。それに、祟りの原因もそいつかもしれねえしな。つーわけで! モール行くぞ、愛南ァ‼」

「行くのはいいけど、そのカッコでかい?」


 景気よく立ち上がった忍は、愛南の冷水のような一言で固まった。

 相変わらず素肌に半纏、下は辛うじてジャージが履けたが、無駄に大きい胸のせいで着られる服が冗談抜きで一着もないのであった。


「……コートならあるし」

「コートの下は裸って、それじゃ変態よ、忍」

「それに、そんなに大きいとブラジャー無しは辛いんじゃないかい?」

「うん……実はさっき暴れたとき、揺れまくって痛かった」


 協議の結果、ブラジャーの代わりは包帯をサラシに使って代用し、上は厚手のコート、そしてズボンは結局ジャージのままとなった。




「お務め、ご苦労さまです。毎度お馴染み狛犬です」


 営業スマイルで敬礼する愛南と仏頂面の忍が揃いの身分証を提示すると、モールの入り口を警邏していた制服警官が露骨に顔をしかめた。


「狛犬……あんたらが、か?」


 制服警官は不審者に職務質問する時の顔で、二人を交互に見比べた。

 一応はブラウスとスカートに着替えてはいるが、相変わらずの白衣姿の愛南……はまだいいとして。前が全開のコートの下が素肌にサラシのみという忍は、不審者以外の何者でもない。

 だが、むしろ警官は納得したように「ああ」と頷くと、ご苦労さまですと敬礼して二人を見送った。


「何だったんだ、今の間は?」

「さあ?」


 首を傾げがら、忍を先頭に二人は焼け焦げたモールを進んでいった。

 中途半端に原型を留めたモールは、元の姿を知ってるだけに余計痛々しさを感じる。

 弥恵は連れてきていない。シゴトの邪魔になるといけないから、と言って午後の授業だけでも顔出してくると学校に行っている。

 油断すると崩れてきそうな壁や床を警戒しつつ、二人は昨日忍が瓦礫に埋まっていた、二階の雑貨コーナーへとやって来た。


「しのぶくん、夕飯買いに来たんじゃなかったっけ?」

「そうなんだけどよ〜。用もなく来ちまわねえか、こういうとこ」

「分かるような、分からないような……」


 などと雑談を交わしていると、前方にいくつかの人影が現れた。


「ん……愛南と、西城君か?」

「あれ、パパ?」


 うち一人は八雲栄一だった。愛南の養父で、彼女と似たような白衣とダサメガネが冴えない、五十代の紳士である。また、近隣の狛犬組合の会長も勤めている。


「応援ですか、八雲さん?」


 続いてやって来たのは、サラサラしたブロンドのロングヘアーが眩しい、長身の欧米系美女だ。青味が入ったグレーの瞳が、どこか冬の海を連想させた。

 年齢は愛南よりも少し上、背丈は忍と同程度だ。モデルのようなスラリとしたスタイルを持ち、男性物のサーコートでネクタイもキッチリ締めているのに、何故か下半身がビキニパンツ一丁だった。

 突如として現れた前衛的ファッションの変態に、忍も愛南も自分の服装を棚に上げて絶句する。


「おお! 山吹君、紹介するよ。私の娘と、我が組合の若手ホープだ」


 そんな変態と、当然のように会話を交わす栄一は、気にしていないのか馴れてしまったのか判然としない。


「愛南、西城……君? こちらは山吹マリル特級戦闘員。普段は東京都内で活動しているそうだ」

「山吹です。本当は管轄外なのですが、今回は八雲組合長に無理を言って、同行させてもらってます」

「は、はい。八雲愛南、です……」


 愛南はマリルと握手を交わしながら、入り口の警察官が何に納得していたのかを何となく察してしまった。おそらく彼の中では、狛犬というのはこのマリルや今の忍のような、極めて個性的なファッションの連中として記憶されてしまったのだろう。

 今すぐにでも下に降りて全力でその認識を訂正したいところだが、愛南が知っている他の狛犬も、大なり小なり個性的なファッションセンスの持ち主なのだった。悔しいが、その認識を否定しきれない。


「西城忍です。よろしくお願いします、山吹調査員」


 一方の忍はもうどうでもよくなったのか、意外と真っ当に挨拶をしていた。ビジネススーツでも着せていれば案外画になるかも、などと思ってしまう愛南だった。

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