第5話 基本的には危険人物
昼下がりの住宅地、一月の曇り空の下。
神父風のカソック姿の男が、美しい弧を描きながら宙を飛び、回収前の不燃ゴミの山に頭から突っ込んでいった。
「ちょっとぉっ‼ 何してんの、しのぶくん!?」
先制攻撃をかました忍に、愛南が焦って詰め寄った。
しかし忍は至って真面目な様子で、男から意識を逸らさない。
「愛南、弥恵連れて地下に隠れててくれ」
「えっ!?」
驚く愛南、そして背後で息を呑む弥恵を残し、忍は裸足のまま窓から外へと飛び出した。割れたガラス片を踏んだが、砕けたのはガラスの方だった。
同時に、男もゴミの山からゆらりと立ち上がる。
顎が引き締まって目鼻立ちのクッキリした、典型的な欧米系の美男子だったのが、今やその目付きは険しく、血走った怒りの眼で忍を睨みつけていた。
殴られて歪んだ鼻からドクドクと青い血が流れ出してるせいで、絶妙な凄みが効いている。
「この野蛮人が‼」
男が左右に大きく両手を広げると、その背中に白鳥のような翼が現れる。羽の一枚一枚に一点の曇りもなく、雲間から微かに差した陽光を反射し、あたかも白く輝いているかのようであった。
男は翼を羽ばたかせて地上数メートルまで跳躍、電線に突っ込まないよう注意しつつ、対空して忍を待ち構える。
だが、一方の忍は勢い勇んで飛び出したものの、マンション前の信号に捕まって足踏みしていた。この通りは住宅地の真ん中だというのに国道と直に繋がっているせいで交通量が多く、今もかなりの数の車が行き交っていた。
やろうと思えば走っている車の上を飛び石のように渡ることも可能だが、その技は驚いたドライバーが運転を誤る危険性が高いため、本当の緊急事態以外は禁止されている。
「嘗めおってからに!」
まごつく忍の様子にますます怒り心頭の男は、空中で身を翻しながら滑空する。車を避けながら、忍めがけて突撃した。
それを見上げる忍は、身構えながら口の端を吊り上げた。
「わざわざ死にに来るかよ、馬鹿が」
そう吐き捨てた忍は、上空から殴りかかってくる男に向かって自分からもう半歩踏み込んだ。
獲物を狙う猛禽類のごとき速度をあっさり見切ると、殴りかかってきた男の手首を掴んで受け止め、ついでに顔面へ肘を突き刺すカウンターを決める。
急制動による強烈なGも合わさって男の顔面が文字通り潰れるが、それも一瞬だ。
「うおらっ!」
手首を捻りあげて強引に相手の体を切り返し、男を背中から地面に叩きつけた。
動きの型は柔道でいう逆一本背負いに近いが、その衝撃力はアスファルトの地面をクレーター状に叩き割るほどだった。
わずかに遅れて空気の塊が弾けるような破裂音と鉱物が砕ける轟音が周囲一帯に響き渡る。
「おっと!」
大雑把な技の掛け方をした忍自身も反動で跳び上がってしまい、慌ててバランスを取ったー。
哀れ、男はトマトを全力で床に叩きつけるより激しく辺りに飛び散ってしまい、青い血潮と肉片を放射状に広げてしまい、原型すら保っていないのだった。
マンションの壁が真っ青な飛沫で汚れ、忍は手の中に残った男の手首と足元のクレーターを交互に見つめて舌打ちした。
「ちょいと力み過ぎたか。道路壊しちまった」
「力み過ぎたか、じゃないよぉ!!」
「あん、愛南?」
半泣きの怒り顔で駆け寄って来た愛南は、道路とマンションの惨状に悲鳴のような声を上げた。
「あわわわわっ、壁が真っ青じゃないかー! 道路もこれ、修繕しないといけないし‼ もうちょっと加減して戦え、おバカ!」
「わ、悪かったって! けどほら、血糊だったらすぐに落ちるだろ? ほらほら」
忍が指差す通り、壁を染め上げた青い血は、急速に蒸発するようにみるみる薄くなっていった。同時に、散乱していた肉片も輪郭を失い、空気に溶けるように消えていく。
それは最初に忍が始末した裸の子供も同様で、すでに診療所の中や道路に転がっていた死体も消え去っている。跡に残ったのは、小指の爪サイズの、薄い青色をした水晶のような小石だけだ。
忍が持ったままだった男の手首も消滅し、こちらは単四電池サイズの、青白い水晶に変わっていた。
それを見た愛南が、一転して上機嫌な笑顔に変わる。
「ワァオ! 上物の
「お前が自腹切って直すわけじゃねえだろ」
「そりゃま、そうだけど。組織の運用資金から弁償するんだから、お金はあるだけいいのだよ」
「それもそうか。ところでよ」
周囲には、もう男が存在していた形跡は何一つ残っていない。足元のクレーターだけが、ここで起こった出来事を微かに物語っていた。
「愛南。結局こいつらは何だったんだ?」
「知らずにぶっ殺したのか、君は!?」
あんまりといえばあんまりな忍の言動に、開いた口が塞がらなくなる愛南であった。
30分後――。
マンションの前には専門の『業者』が駈けつけ、急ピッチで補修作業が行われていた。
診療所の窓も枠ごと新品に変えられ、元よりキレイになっている。
忍の部屋に場所を移した一行は、弥恵による遅めの昼食を摂りながら、先の出来事を振り返っていた。
「端的にいえば天使だね。さっきの男は」
「へぇ〜」
うどんをすすりながらの気のない返事を寄越す忍へ、愛南が厳しい目を向ける。弥恵は黙って聞いていた。
「あのね、しのぶくん。天使ってのは、君が日頃から相手にしてる『
「んなこた分かってる。俺が知りたいのは、何で天使がここを狙ってきたんだってことだ。弥恵も殺そうとしやがった」
「そりゃあ……何でだろうね」
結局それかよ、と脱力する忍だったが、その隣でここまで大人しかった弥恵が口を開いた。
「ねえ。天使って善玉じゃないの?」
弥恵のもっともな疑問に、忍と愛南は互いに顔を見合わせた。
「……あのな、弥恵。天使ってのは、根本的に人間の害敵なんだぞ」
「そうなの?」
「うん。一般的な『天使の施し』だとか、そういう概念とは矛盾するけどね。実物は、ただ高位なだけの
愛南は、手近にあったメモパッドとボールペンを持ち出し、簡単な図を記しながら弥恵に解り易く説明していく。
「詳しい分類は狛犬の組合か、もしくは
「ええ。狛犬の上位組織よね。忍のお給料もそこから支払われてるっていう」
特殊戦略武装警察――通称APSSは、日本における超自然的事件や超能力犯罪を取り締まる機関である。しかし、戦後日本を襲った怪獣災害へ対応して装備や人員を配備した結果、組織自体が大型化し、小規模の犯罪への対応が逆に困難になってしまったのだ。
また、一人一人の隊員に求められる技術や練度、人格面での適性も高くなり、少数精鋭化。そうしてあぶれた人員の再就職先として発足したのが『狛犬制度』であった。
狛犬の資格試験はAPSS本隊より敷居が低く、ある程度の戦闘能力と知識、そして人類文明への帰属意識が認められればライセンスが付与される。
狛犬は実力と功績によって五級から一級、さらに上の特級と超級に階級分けされており、場合によってはAPSSへの昇格も考慮される。
「でもね〜。一級以上のライセンスって高卒資格が必須だし、本隊に入るには少なくとも大学出てないと駄目なんだよね〜」
「じゃあ中卒の忍じゃこれ以上の出世は無理ってことじゃない。私、早まった人生の選択しちゃったかしら」
「そんな眼で見るな! 二級だってすげえんだぞ!? 多分俺、そこらのプロ野球選手より稼いでるし!」
プロ野球選手の平均年収はさて置いて。忍の場合は十四歳で狛犬になり、去年の年末に二級への昇級が認められた。早い方だが、愛南によれば現役最年少の二級狛犬は現在十三歳とのことだった。
そんな忍の収益を支えているのが、
魔晶は
魔晶の価値は大きさと色の濃さでだいたい決まり、強い
「つまるところ、狛犬の給料はどれだけ多くの魔晶を
「そんなに!?」
「手取金はもうちょっと少なくなるよ。所属してる狛犬の組合費をサッ引いて、百万あるかないか、じゃないかな?」
「マージン五割とは……えげつないわね、狛犬組合」
もっとも、組合には狛犬が任務中に破壊した器物の補填、さらには死亡時の保険制度があるため、ある程度の暴利は仕方ないところがある。何しろ、狛犬と
初めて知った忍の労働環境に、弥恵は呆れたような危ぶむような、複雑に表情を陰らせていた。
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