第4話 分かってくれよと言われても
「し・の・ぶ・く〜ん!! いい加減に起きろーっていうか中に入れて! 雪降ってきちゃって寒いんだよぉ〜っ!!」
近所迷惑も気にせず玄関を叩く、ジャージの上から白衣を羽織った
素地は良いのに髪はボサボサ、赤いセルフレームのダサメガネで台無し感の強い美人で、その姿は医者というよりもマッドサイエンティストと言える。
「し〜の〜――」
「うっせーんだよ、朝っぱらから!!」
「ふごっ!!」
怒号と共に開いた扉にふっ飛ばされた愛南は、廊下の手摺りに思いきり後頭部をぶつけてのたくった。
現れたのは弥恵といい雰囲気だったのに水を差され、すっかりご機嫌ナナメの忍であった。
「大声出さねえでも聞こえてんだよ!! くだらねえ要件だったら承知しねえぞ、愛南ァ!!」
「ひぃぃぃぃぃっ!?」
鬼瓦が泣いて謝りそうなほど恐ろしい形相の忍に、愛南は先程までの気勢が完全に消え、そのまま這って帰ろうとまでした。だが、ふと何かに気づいて振り向いた。
「……あれ、しのぶくん……なんだか雰囲気違う?」
忍をつま先から頭頂部までじっくり見回し、愛南は小首を傾げる。
「全体的に丸っこいというか、ふっくらしたっていうか……あ、髪伸びた?」
「うっせーな、こっちだってわけ分かんねえんだよ。まあ、ちょうどいい。お前にも相談――」
「ていうか、なんだそのデッカイおっぱいは!? 詰め物にしたって大きすぎるだろ!」
「掴むな。揉ーむーなー」
瞬時に立ち直った愛南が、電光石火の速さで忍の胸に飛びついた。
着ているのは半纏一枚きりなので、忍が特に抵抗しないのもあって愛南は熟れた西瓜のような巨大質量を直接触って確かめにいく。
支えも無いのに美しく形状を保ち、一方でそっと触れただけでも容易く形を変える、限りなく真球に近い球体の感触に、愛南は恐れおののいた。
「こ、この感触は紛れもない本物! お前、明らかにしのぶくんじゃねーなー!! あいつのは分厚い胸板であって、こんな……こんなデュフフフフw」
「そろそろいーかー?」
トリップしだした愛南の首根っこを掴み、強引に引っぺがす忍であった。
「結論から言おう! わけ分かんないね。なにこれ?」
時間は跳んで、昼下り。マンション一階の八雲クリニックだ。
診察室奥のフリースペースで、愛南が自信満々に何とも情けなく宣言した。
八雲クリニックはマンションの一階フロアと、地下スペースのおよそ半分を占拠しており、個人経営の診療所としてはかなり広い。加えて設備も院長の趣味により、下手な大学病院よりも整っている。
それでも忍の身に何が起きたのか、把握することは出来なかった。
真顔でキッパリ言い切った愛南に、忍も「やっぱりか」と乾いた反応を示す。
「そりゃそうだよね〜。性別が変わる病気なんて聞いたことないし。あ、魚とか虫なら後天的に変わるのがいるね」
「誰が不思議生物だよ!」
「本当に何も分からないの、愛南ちゃん」
ちゃっかり学校を休んで検査に付き合っていた弥恵が尋ねると、愛南は自信満々に頷いた。
「そうだね! 現代医学では何一つ分からなかった!」
「て言うと?」
「ぶっちゃけ呪いとか祟りとか、そっちの部類だってのは確実だね。細胞レベルで妙な霊力の痕跡があった。しのぶくん、お地蔵様におしっこ掛けたりした?」
「するか、罰当たりな」
若干声を荒げた忍だが、愛南の言葉には得心が行ったとばかりに頷いていた。
「呪いって……医者の言葉とは思えないわね」
「けど僕、むしろそっちがメインだし」
弥恵から飛んできた指摘を、愛南は涼しい顔で受け止めた。
自分で言うように、愛南――というより八雲クリニックは本来、霊障や悪魔憑きなどが専門の『拝み屋』であった。
それが愛南の養父である先代院長・八雲
近年ではネットを通じて遠方からも霊的トラブルを抱えた『患者』がちょくちょく頼ってくるようになった。
そして、そういったトラブルの中でも特に厄介なものを力技で解決するのが、忍のシゴトだ。
現代社会の闇に潜む『怪異』を暴力によって排除する、通称『狛犬』と呼ばれる国家公認の始末人。その業務は多岐に渡り、時には超能力犯罪者や犯罪超人との戦闘も含まれる、怪異対策のプロフェッショナルである。
忍はその中でも、素手で悪霊を倒せると認められた二級戦闘員ライセンスを取得した、17歳の若きプロなのだ。決して、就学もせずブラブラしているだけのロクデナシではない。
「でも、そんなプロが呪われてちゃ世話ないわよね」
「うぐっ!?」
「それに愛南ちゃんも、結局原因が分かってないのでしょ? 駄目じゃん」
「あぐっ!?」
弥恵に痛いところを突かれた忍と愛南に返せる言葉は無く、診察室が一時重い空気に包まれた。
「ま、そんなことは置いといて、だ」
だが、忍はすぐに立ち直り、重いものを横に退ける手振りを交えて話題を変えた。愛南も「だね♪」と同意する。
「原因がそっち系だったら、元凶を断てば元の姿に戻れるハズだよな。分かるか、愛南?」
「そこんとこはな〜んにも。しのぶくんの方こそ、心当たりないの? 朝から順に思い出してみてよ」
「そうだな……――」
愛南のアドバイスに従った忍は、昨日の出来事を一つずつ思い返していく。
「そうだ。昨日は夜中の2時ぐらいに目が覚めちまった」
「ずいぶん早起きだね」
「ああ。何しろ弥恵がベッドでウゲっ」
話を初めた途端、能面のような表情の弥恵が忍の口に手を突っ込んで強引に遮った。突然の奇行に、愛南も思わずキョトン顔だ。
忍は弥恵の小さな手を口から引っこ抜き、ジト目で彼女を見やった。
「なんだよう」
「余計なことは言わないでいいの。大事なことだけ話しなさい」
「いや、大事なことだろうが!? 俺とお前が初めてグエっ」
今度は逆の手を拳ごと喉まで突っ込まれ、さすがに黙らざるを得なかった。
「ベッド……初めて……あっ」
だが、すでに出てしまった断片的なワードから、すべてを察してしまった女がいた。
「えっ!? もしかして二人とも、そうなの!? そうなのね‼」
年頃の少女のように瞳をキラッキラさせて食いついた、八雲愛南27歳独身(彼氏イナイ歴=年齢)である。
「な〜んだ、付き合ってるなら言ってよ〜。水臭いな、もう」
「モガモガ」
「ごめんね、タイミングが無くて」
「モガモガ」
「そっかそっか〜。二人って僕にとっても弟妹みたいなもんだから、ち〜っと複雑な気分だけど。まずはおめでと♪」
「モガモガ」
「あ、ありがと……あ、あはは……」
右手をパタパタと扇ぎながら愉快そうな愛南は、すっかり元の話を忘れてしまったようだった。
実のところ彼女のこういったリアクションが予想できたので、わざと黙っていた弥恵である。得意のニマニマ顔ではなく、浮かべた笑いが乾いていた。
「モガモガモガ」
「あ。そろそろ手ぇ引っこ抜いてあげたら?」
「あ、そうだった。ごめんね、忍」
「げぼぉ」
弥恵は、ヨダレでベトベトになってしまった左手を洗うべく、隣の診察室にある洗面台へと向かっていった。
そうして弥恵が席を外した間に、愛南は忍にだけ聞こえる声で囁いてくる。
「ついに手を出しちゃったか、このロリコンめ♪」
「うっせーなぁ、耐えた方だろ」
「普通は最後まで耐えるところだけどね。まあ、君らなら仕方ないか」
「ちっ」
茶化してくる愛南に、忍も肩を狭めて小さくなる。ぶっきらぼうな仕草には、かなりの照れと若干の気まずさが表れていた。
普段から生意気で不遜な忍にしては珍しいその態度に、気を良くした愛南はワシャワシャと彼の頭を乱暴に撫でた。
「やーめろっつうの」
「おお! いつもだったら有無を言わさず叩き落とされるところなのに! むすっとしてるようで機嫌がいいとみた!」
「こんな有様になってて上機嫌だぁ〜あ? 冗談キツイぜ、おい」
「にっはっはっは。でもさ――」
不意に真顔になった愛南だったが、話は部屋の外から響いたガラスの割れる音で遮ぎられた。
『いやあっ!!』
その時だ。隣室から聞こえた弥恵の悲鳴に、忍は椅子を蹴り倒す勢いで走り出した。ドアを開けるのも億劫で、戸板を体当たりでぶち破った。
診察室の表通りと面した窓ガラスが割れ、そこから入り込んだらしい翼の生えた全裸の子供が、尻餅をついた弥恵を携えた弓矢で狙っている。
それを認識した瞬間、忍の意識はドス黒く塗り潰された。
「弥恵ッ‼」
反射的に叫んだ声が弥恵に届くよりも、さらに素早く。謎の子供に急速接近した忍は、鋭い手刀でそれを打ち払った。
怒りに任せた一撃は、子供の体を文字通り粉微塵に砕き、診察室中にバラ撒いた。
「忍っ‼」
弥恵が指差す窓の外に、さらに二体。翼の生えた子供が忍と弥恵をそれぞれ狙っている。
弥恵を狙った一体は速攻で医療用の鉗子を眉間に投げつけて黙らせ、もう一体には放ってきた矢を掴み取って投げ返す。
二体はほとんど同時に道路に転がった。
忍が診察室に踏み込んでから、その間わずか4秒であった。
「しのぶくんっ!? なんなのさ、これ!!」
追ってきた愛南が、診察室の惨状に目を丸くする。しかし、弥恵を背中に庇った忍は、鋭い視線で窓の外を睨みつけたまま動かない。
愛南も忍の様子に気付き、窓の外に向き直る。
「幸先よく見つけたと思えば、この様か。まったく、手間が掛かる」
いつの間にか窓の向こうにカソック姿の男がおり、死体の散乱した屋内を物憂げに見回していた。
長身でガッシリした体格の、金髪の外国人だ。だが吐き捨てるように出た言葉は日本語だった。
男の視線が忍に止まり、険しい目付きで睨みつける。
「ふん。忌々しい、人間風情が! 我が主の手を煩わせるまでもない」
男は無作法にも窓枠を乗り越えて侵入しようとするものの、それを大人しく待つ忍ではなかった。
「うおるあっ!!」
「うぼっ!?」
瞬時に間合いを詰めた忍は、男の顔面がめり込むほど強烈なパンチを叩き込み、通りの向こうまで文字通りにぶっ飛ばしたのだった。
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