第3話 ニマニマにんまり

 特に刺激があったわけでもなく、忍は自然と目を覚ました。

 見覚えがあるような天井と、普段と違う布団の感触を堪能しながら薄目を開けると、何故か自室ではなくリビングで寝ている。布団も客用のものだ。

 部屋の中は暗く、見える範囲に時計も無いが、腹具合から推測して朝の5時前だろう。今は1月の末、夜明けは大分先だ。

 頭が働かず、昨夜の出来事が判然しないが、ひとまず異様に乾いている喉をどうにかしたいと思い、上体を起こそうとした。


「ん、ん……?」


 体の上に微かな重みを感じる。穏やかな息遣いが胸の上から聞こえ、首だけ起こして視線を向けた。

 掛け布団が不自然に膨らんでいるので摘み上げると、重力に逆らってたわわに実った二つの半球体を枕にして、弥恵が気持ち良さそうな寝息を立てていた。


「弥恵」

「ん……」

「起きらんねえんだけど。弥〜恵〜?」

「……い〜や」


 小さく首を振った弥恵は、忍の胸を左右から抱え込むように寄せ上げ、一層深く顔を埋める。

 その仕草は乳飲み子のようでエラく可愛らしいが、同時に目の前の現実を忍に否応なく突き付けてくる。


「……なぁんで女のコになってんだよ、俺」


 改めて口に出すと、認め難い現実が嫌でも心に染み込んできた。


「また変なもの拾い食いしたんじゃないの?」


 忍の気分を知ってか知らずか、弥恵は軽口を叩きながらニマニマと楽しそうな笑顔で忍を見上げる。寝起きだからか、ややトロンと呆けたような目付きが妙に艶めかしい。


「食中りで性別変わらねえだろ。つーか、いい加減にどいてくんね?」

「別に重くはないでしょ? それに昨日――もう一昨日かしら。一生抱えてくれるって言ったばかりじゃない」

「物理的にじゃねえよ。このままだと起き上がれないんだけど」

「今の忍の胸、気持ちよくって離れたくないのよね」


 弥恵は忍の胸を両手で鷲掴みにして、指先の感触を楽しむようにふにふにと弄ぶ。身長140センチそこそこの弥恵と180センチ超の忍との体格差だと、母親にじゃれつく幼児のように見えなくもない。

 楽しそうな弥恵を強引に引き剥がすのも気が引けた忍は、仕方ねえなと彼女のリクエストに応えることにした。肩と脚を支える、所謂「お姫様抱っこ」で持ち上げる。


「キャハ♥」


 弥恵はますます気を良くして、自分から忍の首に腕を回した。猫のように頭をグリグリ押し付けて甘え、そのまま唇を重ねにいく。


「ん〜♪」


 ほんの1、2秒、ついばむ様な軽いキスだが、弥恵は大変にご満悦であった。


「やっぱり朝はよね〜」

「やっぱりって、昨日までしたことなかっただろうが」

「ええ。だからこれからの日課、ってことでどうかしら?」

「……まあ、いいけどな」


 などと素っ気ない風を装いながら、忍の口許もだらしなくニヤけているのだった。



 二人でシャワーを浴びた後、弥恵が用意していた昨夜の夕飯を食べたところで、時刻は朝の7時を回っていた。

 最初から泊まっていくつもりだったらしい弥恵は、忍のマンションから800メートル程先にある中学の制服に着替えている。登校の仕度を済ませた後は、胡座を掻いた忍を椅子にして朝の情報番組を眺めていた。

 なお、忍は身長がそのままで体型が激変したため満足に着られる服がなく、素肌に半纏を羽織って下はトランクス一丁と、かなり酷い有様だ。外出するには運動用のジャージでも着るしかないが、ネックなのは胸元だ。

 面白半分に弥恵がメジャーを持ち出したところ、トップバストは驚きの121センチもあった。ウエストは70センチだった。


「なんつーか……馴染んでるな、お前」

「何が?」


 弥恵が悪戯っぽくニマニマしながら、枕にしている忍の胸に一層深く頭を沈めて見上げてきた。

 弥恵は相当忍の胸が気に入ったらしく、この短い間に何度もつついたり揉んだり顔を埋めたりしてくる。


「いや……今の俺って普段と完全に別物だろ? でもお前は当たり前におれだって思ってるし。違和感とかねえの?」

「そっちだって、結構ノン気してると思うけど。でも、そうね――」


 弥恵は膝立ちになって振り返ると、忍の頬を撫でるように両手を添えた。


「忍とを間違えたりしないから、かしら。それに、今でも顔とかは結構そのままよ?」

「そ、そうか?」

「ええ。あなたって元からすごくきれいな顔してるから、骨格がちょっと変わったぐらいじゃないかしら。声もちょっと……結構高くなったけど、それだけだし。けど――」


 弥恵は視線を下げて、忍の巨大な胸を両手ですくい上げる。

 片方だけで3キロは下らないは、ジャージの下にメロンでも隠しているかのような存在感を放っていた。

 大きさだけではない。当然ながら女性用の下着など持っていない忍だが、彼の胸は支えがなくとも左右対称の美しい円錐型を保っている。

 15歳にしてまるで成長の兆しがない弥恵とは比べるべくもない。


に関しては何の嫌がらせかと思ったけど。私への宛付けかしら?」

「違うって!」

「そうなのね。忍ってば本当はおっぱいスキーだったのね。ごめんなさいね、発育の悪い小娘で」

「お前なぁ〜」


 わざとらしく拗ねてみせる弥恵に、忍は弱ったように苦笑した。そして、今度は自分から弥恵を抱き寄せる。

 再び忍の膝に収まった弥恵は、胸の感触を楽しむように頭を押し付けて、くつろぎ態勢に戻った。


「それで、結局これってどういうなの? オカルト? 宇宙人に改造でもされた?」

「正直分かんねえんだよな。気が付いたらこの有様。昨日の夕方ぐらいまでは普通だったと思うんだけど、な〜んか記憶が曖昧なんだよ」

「そう言う割りには落ち着いてるわね」

「慌ててもしょうがねえしな。後で愛南あいなんとこ行くから、ついでに色々と診てもらうつもりだけど」


 八雲やくも愛南というのは、マンションの一階で診療所を開いている女医だ。ついでにマンションのオーナーでもある。忍とは昔からの顔馴染みで、弥恵とも親交がある。

 その名前を聞いて、弥恵の眉根が僅かに動いた。


「愛南ちゃんとこ、か。……だったら私も行くわ」

「いや、学校行けよ、受験生」

「お生憎様、うちって大学までエスカレーターだから。その分、卒業式までみっちり授業あるけど。今日は忍の一大事ってことで一つ」


 そう言って、弥恵は上目遣いに忍を見つめた。

 思わず「しょうがねえな」と頷きかけた忍だったが、ここはグッと堪えて年上としてたしなめる場面だ。


「だ〜め〜だ。行けるうちは行っとけ、意外と楽しいから」

「えぇ〜? どうしても駄目?」

「だ〜め!」


 と、きっぱり言い切ってはいるものの、動揺して瞳が彷徨いまくっているのが弥恵からすれば丸わかりだ。

 実のところ、弥恵は忍をほんのちょっと困らせてみたかっただけなので、必要以上に食い下がるつもりもなかった。

 しかしである。忍の仕草に天性の小悪魔ドS心を刺激されてしまった弥恵は、ニンマリ笑顔で忍に抱きつくと、耳元に触れるか触れないかぐらいの位置まで唇を寄せた。


「今日は二人でいたいんだけどな♪」


 吐息と共に囁く声。忍の肩がゾクリと跳ねたのを見逃さず、弥恵は畳み掛けるように声にを作る。


「だって、せっかく恋人になったのに、昨日は全然ゆっくり出来てなかったじゃない。今日ぐらいは時間とってくれてもいいでしょ?」

「えっ、やの……あえ?」

「そ・れ・に♪」


 意味不明のうめき声を漏らす忍へ、弥恵はダメ押しに、ちょっぴり狙って頬を染めて、


「今日は寒いから、二人で温まりましょ♥」


 その一言で、忍の何かがプツンと切れた。

 弥恵を軽々抱き上げた忍は、敷きっぱなしだったリビングの客布団ではなく、自室のベッドまでわざわざ彼女を運んで行く。

 そしてちょっとしたツテで貰ったキングサイズのウォーターベッドに弥恵の小さな体を放り出すと、息を荒くして半纏を脱ぎ捨てた。


「や、弥恵……っ!!」

「うん。いいわ、よ?」


 忍は、両手を差し出して準備OKの弥恵目掛け、勢いよくダイブしようとして――、


『し〜の〜ぶ〜くーん!! いるのは分かっています、大人しく出てきなさーい!』


 けたたましく連打されたドアチャイムと、友達を誘いに来た小学生のようなテンションの大声に水を差されて固まった。


「あ、愛南ちゃん!?」


 弥恵も頓狂な声を上げてはね起きる。

 聞き覚えのあるその声は、さっきもちょっぴり話題に上がった噂の女医、八雲愛南のものだった。


「……弥恵!」

「えっ、続けるの!?」


 それでもめげない忍に、弥恵も若干呆れ気味だ。

 が、愛南のピンポン連打&ハイテンションな呼び声は絶え間なく続く。


『し〜の〜ぶ〜くーんっ!! 早く出てこないと君のバイオレンスなR指定必須の秘密を公開しちゃ――あ、これマジでヤバいヤツじゃん! じゃあ、中学時代の女装写真を公開しちゃうぞ〜』

「あのアマぁ……」


 とうとう堪えきれなくなった忍は、半纏を羽織り直してドカドカと玄関へ向かって行った。

 残された弥恵は、やれやれと溜息を吐きながら、ふと、


(そういえばあの人、女同士でのやり方なんて知ってたのかしら? ……私も念の為調べておかないと!)


 そんな事を思い立ち、スマートフォンを手に取る弥恵なのだった。

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