第一章 第1話 入所準備③

 嫌そうな顔をする女の子に「また明日」と別れを告げれば、母親と三人で先に入っていった。


 そこから待たされる事1分弱、目の前の銀色の扉がスライドすると、そこには宇宙服のような物を着た人物が一人で待っている。


「どうぞ」


 その姿に一瞬躊躇すると、そんな反応には慣れているのか、すかさず「早く」と声がかかる。


 完全防備の女性の指示通り扉を潜れば、目の前にあるのはガラス張りの個室。


「服についた雑菌を取り除きます。 部屋の中に入ると色々な方向から風が吹き付けますので、目を瞑り、両手を広げて指示があるまでそのままでいて下さい」


 促されるまま部屋に入って両手を広げると直ぐに風が吹きつけてくる。


「これより先は土足厳禁なので靴を脱いで扉の脇にあります箱の中に入れてお持ち下さい」


 指示に従いガラス張りの部屋を出ると、反対側に居た女性と同じく完全防備の案内係が一人で待っていた。


 これ見よがしに置かれていた布製の白い簡易スリッパに履き替えると、早く出て行けと言わんばかりに出口の扉へと腕を振る。




「神宮寺 剛さんは少し風邪気味のようですねぇ。 《Cパケッツ》となりますので、この部屋を出られましたら係の指示に従ってCと書かれた扉を潜って下さい」


 3つある扉の一番右に入れと言われて行ってみれば、今度は黄色のナースキャップ二人が待っていた。


 椅子に座らされ、言われたとおりに捲った左腕を体育館にある平均台のような長細い台の上に置けば、タブレット端末から読み出された情報を元に既に押された『554』の隣に『C』の判子を追加された。


「見ない方が良いですよ」


 動かないようにと二本のバンドで固定された左腕、背後に立った看護師が剛の肩に手を置き落ち着いた声で告げると、親指と人差し指の間の骨の無い部分に スッ とする薬品が塗られ “いよいよヤられるのか!” と緊張が高まる。


「注射、嫌いですか?」


 顔の強張る剛に優しく微笑みかける目の前の看護師。 人当たりの良さそうな笑顔に多少なりとも解れる緊張だったが、残念ながら照れるのも忘れるほどに身体に力が入り、手に汗を握っている。


「通常の注射と違って軽い麻酔を含んだ消毒をしましたから、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。 小さなお子さんでも泣かずににケロっとしてるくらいですから、痛みなんて殆どありません」


 同じ痛みを知っているとアピールするのは患者に安心感を与えるのに有効なのだろう。


 自分もやったよと左手に貼られた1㎝角のシール状のガーゼを見せて来る目の前の看護師だったが、苦笑いしか返す事が出来なかった剛を見て「早く終わらせよう」と考えたようだ。


「じゃあやりますので見ないように反対側を向いててくださいね」


 極度の緊張から早く解放されたくて硬く目を瞑り横を向くと、置かれた剛の手に看護師の柔らかな手が添えられる。


「はい、終わりましたよ。 お疲れ様でしたっ」


 思ったより早かった終了に驚いて目を開けば、その看護師とお揃いのガーゼが張られた所だった。


 何か異物が押し込まれた感覚はあった……が、しかし、痛みと言う痛みなど皆無だった事に首を傾げていれば、そんな剛を見て再び微笑む看護師の女性。


「濡らしても大丈夫ですから手洗いはしっかりしてくださいね。 お風呂も二時間ぐらい空けてもらえれば大丈夫ですけど……1時近くになっちゃいますね」


 不安材料が無くなり落ち着きを取り戻せば、目の前に座る小柄な女性が自分の手を触っている事が理解出来る。


「あらあら? どうしましたぁ?」


 その事実に赤面した剛をからかうように、バンドを外されたのに未だ台の上に置かれたままの左手に自分のもう片方の手も添えて来る看護師。


 視線の下がった剛を覗き込む丸くて大きな目と背の低い小鼻とが幼さを感じさせる世間一般で言うところの童顔で、栗色に染められているものの仕事に差し支えないよう短く切られた髪が幼さを助長させている。


 人目に多く触れる職業である看護師として従事する病院で患者に接していればいれば、瞬く間に人気を博しそうな可愛いさを持つ女性に見つめられ益々顔を赤くして更に俯いてしまう。


「絵里ぃ〜? まだ仕事中よ? つまみ食いは全部終わってからにしてくれる?」


 助け舟が入り ホッ としたのも束の間、緊張を和らげる目的でずっと肩に添えられていた手の感触に今更ながらに気付いて思わず身を震わせた。


「でも……ちょっと好みかも」


 耳元で囁かれた声に反射的に飛び退き、籠に置いてあった鞄を抱きしめ、後退りながらも二人に振り返った剛。


「あの、あのっ……あああああありっ、ありがとうございましたっ!!」


 切れ長の目に黒縁眼鏡をかけた看護師はその様子にびっくりして キョトン としたまま固まっている。


 言う事を聞かないほどに慌てふためく手でどうにか部屋の扉を開けると、逃げるように飛び出して行った剛を見送ると二人の看護師は互いの顔を見合わせ吹き出した。


「かっわいい〜っ。 高校生ならもっとがっついてても良いのに、今時あんな子がいるのね」


「美香があんな事言うからでしょっ」


「そぉお?」


 看護師にしては珍しく肩まで伸ばした黒髪は、縛られる事もなく自然な有体で、天井から降り注ぐ光で艶やかに光って見える。


「絵里はいいわね、お目当てが見つかって」


 美香自慢の黒髪を掻き上げ同僚を羨むように細めた視線を向ければ、当の絵里は気にした素振りも見せずにあっけらかんと返事を返す。


「そう思うなら美香もCパケにこればいいんじゃない?」


「簡単に言ってくれるわね……さぁ、もう少しで終わりだからさっさと片付けるわよ」


 そう告げると絵里の返事を待たずに左耳のインカムへと指を当てたのだった。


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