序章 第1話 鳴り響く警報②

 四十万しじま府立、久城崎くしろざき大学附属医科学病院は全国でも有数の規模を誇る病院。

 院内にある一階の受付だけでも学校の体育館より広く、午後からの診療を受けようとマスクを着用した人達でごった返していた。


 ここを憩いの場だと勘違いするお年寄りは午前中で撤収し、子供を抱える主婦や剛と同じ学生、スーツ姿のサラリーマンが目に付く。


「こちらの番号と一緒に名前をお呼びしますので3番の扉の前でお待ち下さい」


 薄桃色の制服に身を包んだ看護師さんは顔の大部分がマスクに隠されてはいたが、見えている目と細く整えられた眉とが想像を掻き立て、とても美人に思えて来るから不思議だ。


 女性に免疫の無い剛は目を細めて営業スマイルを送る看護師さんに胸を高鳴らせるものの、照れ隠しの為に素っ気ない態度で返事もせずに番号の書かれた札を受け取りそそくさと移動を開始する。


 子供の頃は母親に連れられ来ていた病院も、高2ともなればそれは恥ずかしい。


 勝手知ったる院内の通路、患者の波をすり抜けて辿り着いた “内科” と書かれた3番の扉の前、都合の良い事に用意されている長椅子の端に空いた席に座わる事が出来た。



 生暖かくて気持ち悪っ……



 先の人の温もりの残る椅子、両隣に見知らぬ人が居るよりはマシだと我慢して制服の内ポケットに入れたスマホから流れ込む音楽を聴いて気を紛らわす事15分。


「番号札150番、神宮寺 剛さ〜んっ。 神宮寺さん、みえませんかぁ?」


 他人の温もりが自分のモノと成り変わった頃に名前が呼ばれて立ち上がると、扉から現れた背の低い看護師さんに番号札を見せた。


「すぐ診察になりますから、先生の話がよく聞こえるようにコレは外しておいて下さいね」


 片方のイヤホンを抜かれて ムッ とする間も無く、軽く肩を叩かれ笑顔を向けられれば再び高鳴る剛の心臓。


「はい……すみません」

「こちらにどうぞ〜」


 だがそれは彼女にとっては仕事の一環に過ぎず、すぐに背を向け扉が閉まらないようにと押さえながら手にするカルテに目を通している。


 指示に従い部屋の中に入れば、パソコンが置かれた机の隣に肘掛の付いた黒い椅子と丸型の回転椅子とが用意されており、それを挟んだ反対側には白いシーツの敷かれたベッドがある。


「荷物をその籠に置いたら上着は脱いで下さいね〜。 先生はすぐにみえますから、胸の音が聞けるようにシャツはズボンから出してお待ち下さい」


 言われるがままに待つ事およそ1分、部屋の奥にある通路から現れたのは、見た目20代でオールバックの黒縁眼鏡をかけた男の先生。

 大学病院らしいインテリっぽい印象を振りまき、ボタンを留めていない白衣を靡かせドラマに出てきそうな感じさながらに二人の看護師さんを引き連れての登場だったのだが、剛の頭の中では期待していたお色気ムンムンの女医さんでは無かった事に落胆の色が濃くなっていた。


「ん〜〜、今朝から胸が苦しいねぇ。 今日はそんな人ばかりだね。 この間の感染症とは違うから安心して。

 たぶん風邪の菌が少しばかり肺に入った可能性が高いと思うんだけど、肺の音は悪く無いしね……念のために血液検査とレントゲン撮っておこうか。 栄養剤出しておくから明日また診せに来てくれる?」


 息が合うと言う言葉がピッタリに、手慣れた感じで看護師さんが動いて先生の言葉を邪魔する事なく指示を出して剛を操作すれば、胸の音に喉の奥、下瞼の血色と短時間で流れるような診察が終了する。



 大流行したSARS-CoV-2新型コロナウイルスは肺炎を患うモノだった。


 家族の中で唯一母親だけはSARS-CoV-2新型コロナウイルスにかかり2週間程この病院に入院していたのだが、奇跡的に重症化する事なく結果としてただ家事をサボっただけのお泊まり入院であった。


 ベッドの空いて無かった大変な時期に個室が割り当てられたのはラッキーだったが、もしかしたら軽傷が故に病院側が配慮してくれていたのかもしれない。


 そんな事もありだいぶ時間は空いていたがもしやと心配になり、母親に言われるがままに診察を受けに来ていた。



 その後、更に奥から現れた看護師さんが採血の準備をする横でパソコンに向かって症状を打ち込み終わると、一度も視線を合わせる事なく連れて来た二人と共に颯爽と消えて行く。


 一日で1,000人近くが押し寄せる患者さんを何人かしか居ない医師が診て回るのにはスピードが命なのは理解出来る。

 しかし、現れてものの二分足らずの時間で診察を終えるという事に「ちゃんと診てもらえたのか」と不安を感じる人もいる事は間違いない。


 かく言う剛もその一人なのだが、学校と家との間に在る事や、子供の頃から通い慣れた病院というのは強力なアドバンテージとなり、 “大きな病院だから安心” というイメージの後押しで他の診療所へ運ぼうとする足を押し留めてしまう。



「今まで消毒でかぶれた事や、採血で気分が悪くなった事はありますかぁ?」


 さしたる音も無く、採血をする為の道具の載った小さな台を近付けると、袖を捲って腕を乗せろと指示を出した看護師さん。


「その顔は注射が苦手って感じですね? 大丈夫、本当に少し チクッ とするだけですからね、男の子なんだから頑張れますよね?」


 剛がこの病院に通うもう一つの理由、それはここで働く看護師さんが見たいが故にだ。


 他の病院を知っている訳では無いのだが、この病院に来れば可愛いい看護師さんが優しく接客してくれるのは確実な事。


 外見はごく普通の男子高校生であれど、内向的な性格から男子生徒ですら友達はおらず、学校では一言も喋らない事も日常茶飯事だ。 それ故に共学校でありながら女子に免疫の無い今時にしては稀有な存在となり、影は薄いながらも認知度は低く無いという不思議なポジションを確立していた。


 だがそんな剛も17歳の健全な男の子、異性に興味が無い筈もなく消毒を塗る為に触られた手に注視していれば、たったそれだけで鼓動が加速して行く。


 それを注射が嫌いなのだと勘違いしてもらえたのを良いことに自分に触れる血色の良さそうな細い指をぼんやりと見つめていれば、勢い良く噴き出した血液が僅かな時間で容器を満たし、至福のひとときはあっという間に過ぎ去ってしまう。


「揉むと腫れたりしますから強く押さえるだけにして下さいねぇ。 3分経ったらお声掛けしますから扉の前の席に座っていて下さい。 その後胸部のレントゲンを撮ったら今日は終わりになります」




 レントゲンを撮り終え、受付をした入り口の待合所で会計待ちとなったのだが、この病院の難点はここからが長いという事だ。


 時刻は午後6時を過ぎており、そろそろ腹も減ったし早く帰ってゲームがしたいところ。

 しかしながら一個人の希望通りに世界が回るはずもなく、他の患者共々待たされる事になるのは確定事項の筈だった。


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