第87話 「友が助けを呼ぶならば」

「ワントレイン! そこにいるのか?」

 俺は闇雲に手を伸ばす。しかし空気を触る感覚だけだった。

「どうしたのだ、アレイヤッ! 魔力が極めて乱れているッ! 待っていろッ! 今助けるッ!」

 ワントレインの頼もしい声が届いた。そして、背中に触れる大きな手。

「『マジックフロウ・インヴェイダー』ッ!」

 ワントレインが魔術を発動させる。その途端、俺の視界は正常に戻った。聴覚も嗅覚も触覚も元に戻っている。

 魔力の流れを調整する、ワントレインの治療魔術だ。精神の不調は魔力の不調。逆に言えば、魔力の乱れを治せば精神も安定し、精神魔術も解ける。


「治った……! ありがとう、ワントレイン!」

「うむッ! 壮健になったようで何よりッ! しかし何事だったのだッ!? 食べ過ぎで腹が痛くなったのかッ?」

 いやそんな微笑ましいレベルのトラブルじゃない。とはいえ、来たばかりのワントレインに現状を察しろというのも酷な話だ。

「これは……」

「あっしのせいなんな。あっしが、アレイヤ君に精神魔術をかけた。ワントレイン君が来なければ、今頃あっしがアレイヤ君を殺してたのな」

 俺が説明する前にハナミさんが状況を語った。隠す素振りは一切無かった。


「……理解が及ばないのだがッ! 何故ハナミ料理長がアレイヤを襲わねばならないッ! 喧嘩にしては度が過ぎるぞッ!」

「喧嘩じゃないのな。これは戦い……殺し合いなんな。あっしはアレイヤ君の命を狙う刺客だから」

「馬鹿なッ! 乱心したかッ! 正気を取り戻すのだ、ハナミ料理長ッ!」

「ううん。今のあっしは冷静。ごめんね、ワントレイン君。君達はあっしの料理を美味しい美味しいって食べてくれたのに……君達の信頼を切り捨てなきゃいけない」

 低めの声で告げるハナミさん。彼女の意思に気付いたらしいワントレインは、口を開閉させて立ち竦んでいた。


「ほ……本気なのだなッ。アレイヤを、殺すとッ!?」

 ハナミさんは頷いた。それを見て、ワントレインは歯を食いしばる。

「そうかッ! ならばオレも戦わなければならないなッ!」

 ワントレインは俺の前に立った。彼の巨躯を、俺は見上げる。

「ワントレイン……」

「何故、とは聞いてくれるなよッ! 友を脅かす敵がいた……理由はそれだけで良いッ!」

 ワントレインは眼鏡を押し上げ、爽快に微笑んで俺の方を向いた。


「2対1……は、流石に不利だけど。あっしに逃げる道は残されてないのな」

 ハナミさんはまた両手を合わせた。見慣れた食堂の風景が、再び異様な姿へと変貌する。蒸し暑い密林が広がったかと思えば、爽やかな海の風景に浸食される。その中心に立つハナミさんは、姿が滲んで曖昧になった。


「まただ……! 気を付けろワントレイン!」

 一度解除されただけじゃハナミさんの『サーフェス・キッチン』は止まらなかった。今度はワントレインも五感の狂う世界に連れて行かれてしまう。

「むッ! これは面妖なッ! ハナミ料理長は何処だッ!」

 ワントレインは目を見開いて周囲を見渡した。その姿さえ、俺にはぼやけて見える。

 幻術に囚われた以上、ワントレインにまた『マジックフロウ・インヴェイダー』で治して貰うしかないのか。でも治したらすぐにハナミさんは魔術をかけ直す。そんなイタチごっこを繰り返してる間に、俺達はじわじわ追い詰められるだけだ。


「……なるほどッ! そこかッ!」

 だけど、ワントレインは惑わなかった。まっすぐに進み、何かを掴む。ワントレインの手にある『何か』は透明で見えないが、周囲の空間の乱れから、しきりに暴れているのは分かった。

「な、なんで! は、離してなのな!」

 ハナミさんの必死な声が聞こえた。状況はまるで見えないけど、もしかして……。

「離さないッ! オレの修行の成果を味わって貰おうッ! 『マジックフロウ・ゲートキーパー』ッ!」

 ワントレインの重たい声が響く。やがて、『サーフェス・キッチン』の幻覚が解けていった。ワントレインの治療魔術を受けてないのに何故感覚が正常に戻ったのかは知らない。でも、ハッキリ見えるようになった目の前の光景がヒントを教えてくれた。


 ワントレインはハナミさんを掴んで持ち上げていた。巨体のワントレインが小柄なハナミさんを持ち上げると、まるで子供と戯れる父親のように見えた。ハナミさんは床に足を着ける事が出来ず、ジタバタと空中で暴れている。手も足も出ず、完全にワントレインに捕まっていた。

「これは……どういう事なのな! 魔術が使えないのな!」

「うむッ! 成功したようだなッ! これがオレの新魔術! 魔力の流れを操作する『マジックフロウ・インヴェイダー』を改良し、魔力の流れを封じる効果にしたッ! 魔封布のようになッ!」

 魔術を封じる魔術。そんなものをワントレインは編み出していたのか。そうか、だから『サーフェス・キッチン』は解除されて俺の五感は再び回復したんだな。


「そんな……いやそもそも! ワントレイン君も視界を狂わされているはず! なんであっしを見つけられたのな!?」

「簡単な話ッ! オレの『魔流眼』は目であって目に非ずッ! 五感とは別の第六の感覚器官だッ! たとえ視覚を奪われようと、オレは魔力を見続けるッ!」

 ワントレインは得意げに笑った。五感を狂わせる『サーフェス・キッチン』も、魔力を見るワントレインの『魔流眼』は狂わせられなかった。魔術師であるハナミさんは当然魔力を有しているし、ワントレインの探知能力からは逃れられない。透明人間のフリをしても丸見えだった訳だ。


「さぁ、観念すると良いッ! 数時間は魔術を使えないのだッ! もう抵抗する術はあるまいッ!」

 ワントレインはハナミさんを降ろし、手を離した。自由の身になったハナミさんはワントレインから離れ、苦々しく歯を食いしばる。

「……そういう訳には、いかないのな。アズキの命が懸かってる」

「退っ引きならない事情があるようだなッ。しかしどうするッ! 魔術を使えない魔術師が如何にして戦うッ! 己の肉体で立ち向かうというのなら、手を抜く気は無いぞッ!」

 ワントレインは上着を脱いだ。肌の露出が増え、彼の逞しい筋肉が露わになる。

「それは……無理そうなのな。この手先は繊細な動きのためにあるのな。男の子と殴り合いしようなんて、考えた事も無いんな」

 ハナミさんの華奢な体は、筋骨隆々のワントレインと肉弾戦で渡り合えるようには見えなかった。魔術で肉体を強化出来るのならともかく、魔術を使えない今では万に一つも勝機は無い。当然だし、そうあるべきだ。彼女自身が言う通り、ハナミさんの手は料理でこそ輝くもの。繊細で優しいその手は、戦闘に使うべきじゃない。こんな戦いなんて、本当はハナミさんだって望んでないはずなんだ。


「ならばッ……」

「諦めろって? それで済ませていいだなんて、君は優しいのな。でもごめん。諦められないのな」

 ハナミさんはまだ闘志を消していない。まだ打開策がある……そう目が訴えていた。

 魔術を使えない今、それでも戦い続けるための術。四色である彼女には、それがあった。

「まさかハナミさん……貴方も『魔人』に!?」

「違うのな。でも半分正解。あっしには『魔人』とかいうのになる才能は無かったけど……アレイヤ君みたいに人術を使う練習は、やってみたのな!」

 ハナミさんはナイフとフォークを取り出す。ごく普通の食事道具が、彼女の意思に答えるが如く太くなる。

「人術、《君だけのレシピ》。あっしの魔術、さらに大きく!」

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