第85話 「弟と日常を天秤にかけた桃色」

「はー、アレイヤ君殺されそうだったのな。世の中物騒なのなー」

 魔術学校の食堂。休日にも拘らず、ハナミ料理長は俺のためにご馳走を振る舞ってくれた。エムネェスと『デート』した時も、研修旅行の弁当を作ってくれた時も、ハナミさんにもお世話になった。

 彼女の料理はどれも絶品だった。若くして料理長を任されるのも納得の腕前だ。いつしか俺は毎日のように学食に通い、ハナミさんと親しくなっていた。


「そうなんですよ。息も休まないくらいで」

 軽く愚痴を叩きながら俺は食事に手を付ける。ハナミさんとの会話は落ち着ける時間だ。

「まぁまぁ。今日は何も考えずお腹いっぱいになるといいのな」

「助かります、本当に」

 二人の刺客と続け様に戦ってヘトヘトだ。何時間か休めてはいるけれど、精神的な疲労はまだ残る。


 疲れた時はよく寝て、よく食べるに限る。他の生徒がいない食堂で、ハナミさんとの雑談をBGMにする食事は最高の休息だった。

「ふーん。その『四色ししょく』ってのがアレイヤ君の敵なんな」

「はい。後二人いるはずなんです。いつ、どこからやって来るのか……それが分かるまで枕を高くして寝れませんね」

「なんで、アレイヤ君が戦わないといけないんのな。君の先生だった人は……何がしたいん?」

「俺が知りたいくらいです。どうしてこうなっちゃったのか」

「そうなのな……なんで、こうなっちゃったんな」

 ハナミさんは目線を下げて声を落とした。

 何だか、目蓋が重たくなってくる。腹一杯食べたから眠くなったのかもしれない。


「……あれ? ハナミさん。どうしたんですか?」

 俺の前にいる彼女は、泣いているように見えた。

「……ううん。ごめんアレイヤ君。あっしの事は気にしないで」

 ハナミさんは俺の背に手を添えた。眠気はだんだん強くなる。食事中だって言うのに、机に突っ伏して寝てしまいそうだ。そんなの……食事を作ってくれたハナミさんに失礼だ。

「大丈夫。アレイヤ君。そのまま寝ていいんよ。そしたらもう、辛い事は無いから」

 どうしたんですか? ハナミさん。何を言っているんです?

 あぁ、ダメだ。眠い。眠すぎる。


 意識を保っていられない。視界が薄くなる。ハナミさんの声が、遠くなる。

 このまま微睡に身を委ねたら気持ちいだろうな。何も考えず、静かな世界に落ちていって……。


 いや。駄目だ。まだ俺はゆっくり寝ていられない。

 戦いは終わっていないんだ。起きろ。何故急に寝ようとしている?

 おかしいだろ。さっきまで目が冴えていたのに。

 この体に巡る、異物のような感覚は……。


「……っ!?」


 俺は慌てて飛び起きた。眠気は一気に消え、完全な現に戻る。考える間も無く、俺はその場から逃げるように転がった。

 何故起きなきゃいけないと思ったのか、その理由は定かじゃない。でも後付けで、『理由』は俺の目の前に存在していた。

「アレイヤ君!?」

 驚いた表情で、ハナミさんは俺を見た。彼女の手にはナイフが握られている。眠りかけた俺の首に刺そうとしていた、鋭いナイフが。


「何をしてるんですか、ハナミさん」

 状況が掴めなかった。でも、俺が寝続けていたら殺されていたのだけはハッキリしている。

「アレイヤ君……なんで起きれたのな。睡眠薬は十分摂取したはずなのな」

「ハナミさん。質問に答えて下さい。そのナイフで、俺を殺そうとしたんですか」

 ハナミさんが俺に睡眠薬を盛った? 料理に混ぜて、俺を油断させて、殺そうとした?

 考えたくはない。でも、現状が揺るがない証拠だった。


「ハナミさん……あなたが三人目の『四色ししょく』なんですね」

 彼女は否定しなかった。震える手でナイフを持って、俯く。肯定と捉えるしかなかった。

 そんな……なんで。

 ハナミさんはいつも俺に美味しい料理を振る舞ってくれて、魔術学校生徒にも人気のシェフだ。俺達学生にとっては必要不可欠な人だ。そんな人が、どうして。


「俺を騙してたんですか! 俺を殺すために魔術学校に忍び込んで、料理人のフリをして!」

「ち、違うのな! あっしがここの料理長なのは本当! 君達にお腹いっぱいあっしの料理を食べて欲しいのも本当! 嘘なんて、吐いてないのな!」

 必死の形相でハナミさんは言った。彼女は嘘を言っていない。本当の事を隠していただけだ。

「本当はあっしだって、こんな事したくないのな。みんながご飯食べて、元気になってる顔だけ見て暮らしていたかったのな。……でも。でも」

「グリミラズに勧誘されたんですね。力を貸してやるから、俺を殺せって」

 ハナミさんは頷いた。彼女は怯えているようだった。シアンリのように愉悦に溺れて戦うでもなく、コルクマンのように淡々と戦うでもなく。武器を手に取るハナミさんは、戦場に立つべき人には見えなかった。


「お金が、必要なのな」

 ハナミさんは弱々しい声で語った。

「弟の病気を治すには、大金が必要なのな。グリミラズさんは約束してくれた。仕事をこなしたら、治療費を全額出してくれるって!」

 金。それがハナミさんが『四色』になった理由だった。単純であるが故に、誰をも殺人者に変え得る動機だ。家族の命がかかっているのなら、尚更。

「でも! グリミラズが用意した金なんて汚い金に決まってる! どんな犯罪で稼いだか分からないんですよ!」

「関係ないんな! あっしはもう手段を選ばないと決めた! 汚い金だろうと綺麗な金だろうと、弟の命が助かるならあっしは渇望する!」

 ハナミさんは叫び、ナイフの切っ先を俺に向けた。


 手段を選ばない? だったらどうして、そんなに躊躇した瞳で俺を見るんだ。どうして俺に謝った? 弟のために俺を容赦なく殺すのなら、その決意で俺の前に立てばいい。なのに、俺を殺す覚悟もなく戦おうだなんて……。

「ずるいですよ……それ」

 そんなんじゃ、俺だって覚悟を決められない。

 いっその事、ハナミさんが同情の余地も無い悪人だったらよかった。あるいは、戦いに矜持を持つ戦士ならよかった。そしたら、俺は全力で立ち向かえる。

 でも、俺の前に立つ刺客は戦士じゃない。戦場に立つべき人じゃない。戦意なんて持たず、美味しい料理を作って、誰も彼もを笑顔にする人だ。

 ハナミさんのナイフは人を殺すためのものじゃない。そんなの、彼女が一番分かっているはずなのに。


 グリミラズ。これがお前のやり方か。

 俺の親しい人を使って……戦う覚悟の無い一般人を使って……俺の心を掻き乱すつもりか。それが『課題』だとでも言うつもりか。

 ふざけるなよ。世話になった人を敵になったからと言ってすぐに切り捨てられるような人間が『優秀』ならば、俺はそんな試験は落第でいい。


「戦わなきゃいけないんですか。そんな事しなくても、ハナミさんの弟さんが助かる道があるかもしれない! 回復魔術の使い手だって、この学校にはたくさんいるんだ! きっと……」

「無理なんな。あっしも何度もお願いしてみたんな。でも……無理だって。アズキの病気は魔術じゃ治せないって言われたのな。治すには魔術じゃなくて医学しかないのな。でも……魔術国家に暮らすあっしが非魔術国家の科学に頼るには、安い金じゃ済まないのな」

 魔術の進歩にばかり力を注いでいた魔術国家は、それ以外の技術に疎い。医療一つとっても、回復魔術で全てを済ませようとする。この国で、魔術で治せない病気にかかる事の意味は重かった。

 非魔術国家なら、最先端の医療科学で治せるかもしれない。けれど非魔術国家の住人にとって魔術師は忌むべき存在。助けを求めたとしても、治療費は極端にぼったくるはずだ。


「ハナミさん……」

「ありがとう、アレイヤ君。心配してくれて。でも、さっき言った通りなのな。あっしの事は気にしないで。本当は、君が寝てる間に全て終わらせたかったけど……。君に、辛い思いなんてさせないつもりだったけど……」

 ハナミさんはコック帽を脱いで、結んだ髪を解いた。キッチンでは表に出さない彼女の長い髪が、さらりと揺れた。赤い色の髪は、根元から順に桃色に染まっていく。


「ここから先は残酷になる。料理人としてじゃなく、魔術師としてのあっしだから」

 『四色ししょく』、ハナミ・ピンクナイフ。俺の知っている彼女は優しく、温もりがあって……だからこそ彼女は戦う。守るべき人がいるから。

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