第81話 「魔にして人なる者」

 炎が消え、四つん這いのコルクマンが姿を現す。ボロボロになった服から覗く皮膚は、おぞましく爛れていた。焦げた匂いが広がっていく。誰の目から見てもコルクマンは重症だった。

 勝負あった。上級魔術の直撃を受けて無事でいられるはずが無い。生きているのさえ奇跡に等しかった。


 なのに、コルクマンは立ち上がる。焼け焦げて、筋肉が凝固してしまった足で。努力次第でどうにもならないような大怪我で、人術の力で無理矢理立つ。

「……っなんで!」

 俺は目を疑った。目の前の男の揺るがない戦意に。

 何のために立ち上がる。死ぬ寸前の致命傷を受けて、どうして戦おうと思える。それはもう、根性の有無で解決する次元じゃないはずだ。


「何故、だと? 愚問……なのだ。ここで……立てなければ……どのみち……死ぬのみだ!」

 コルクマンの体が震える。パキパキと何かが折れるような音。そして、グチャグチャと何かが溶けるような音が聞こえた。


 その光景に俺は目を奪われていた。コルクマンの体がみるみるうちに再生していく。大火傷は消えて、皮膚が隆起する。ただでさえ巨躯のコルクマンが、なおさら雄々しく肥大化した。筋肉……いや分厚い皮膚が、彼を覆う。

 異形の姿だった。人の域を超えた怪物のようだった。

「その姿は……」

「グリミラズがオイラ達に力を与えたのは、君を倒させるためだけじゃない。『魔人』を生み出す実験台にしたかったらしいのだ。その結果がこれ……実験成功なのか失敗なのかは、分からないのだがな」

 コルクマンは静かに、それでいてハッキリと言った。さっきまで声が絶え絶えだったのが嘘みたいだ。既に全身の火傷は消え、無傷に等しかった。


「『魔人』?」

「オイラに聞かれても何も答えられないのだ。そんな存在がいるなど、グリミラズに聞くまで知らなかった。奴曰く、魔術と人術を使いこなす高位の生命体。人間の新たな到達点……とか何とか」

 何だそれ。妄想の中にあるような、突拍子も無い話だ。

 でも、『魔人』って単語は聞き覚えがあった。魔術体育祭の後にグリミラズと戦った時……俺の体から現れた燃える腕を見て、グリミラズは「魔人の前兆」と呼んだ。あの正体不明の現象が、コルクマンの変化と同質のものなのか?


 グリミラズは何をしようとしている。魔術師コルクマンに人術を教え、『魔人』とやらを作り出そうとして、一体何を目指している。

「今のオイラは……言わば『半魔人』ってところか。慣れない感覚なのだが……勝利への自信だけは、紛れもない!」

 眼前にコルクマンが迫る。後から遅れて、彼が地面を蹴る音が聞こえた。

「っ!?」

 速すぎる。グリミラズの《しつ》にも匹敵するスピードだった。半魔人の先んじる一撃を、俺は躱しきれない。


 重い拳だった。鉄の塊が思いっきり腹に打ち込まれたような衝撃だった。

 あまりの激痛に気を失いそうになる。人術で防御強化をしていなければ、今の一撃で胴体が粉砕するところだった。

「がはっ……!」

 即死こそしなかったけれど、決定的な打撃を受けてしまった。俺の体は吹き飛ばされ、民家の壁に激突する。


 まずい。こんな強烈な攻撃が何度も来るようでは、流石に耐えきれない。怪物じみているのは見た目だけじゃなかった。コルクマンの力は、魔術師も人術使いも超えた別次元に到達している。

「立つのだ、アレイヤ・シュテローン」

 コルクマンは俺の目の前で立つ。高い目線から見下ろす彼は威圧的だった。

「オイラは命懸けでここに立っている。君も、必死で叶えたい願いがあるのだろう? グリミラズを殺し、復讐を遂げるという願いが」

 コルクマンは自分のネックレスを掴んだ。最初は服で隠れていたネックレスは、服が焼失したせいで露出している。

「これが無ければ、君はグリミラズに辿り着けない。想像してみるのだ。悔しいだろう? 耐え難い悔恨だろう? ならば寝ている暇は無いのだ。掴み取らねば、願いは叶わず」

 痛みで掻き乱される脳内に、コルクマンの声が響く。そうだ。その通りだ。俺は、立たないといけない。

 あのネックレスを奪って、グリミラズの居場所を探さないと。早く、あいつを殺さないと!


「あ……ああああああ!」

 呻き声を上げて、俺は全身を持ち上げる。死ぬ程苦しい。意識も朦朧としてきた。余裕なんて一ミリも無い。目の前に立つのは、圧倒的な強者だ。

 だとしても。ここで諦める理由にはならない!

「俺は……俺は復讐者だ! この憎悪を果たすまで、俺は死ねない!」

「そうだ。その意気なのだ!」

 コルクマンは歯を見せて笑う。恐ろしい敵なのに、コルクマンと俺とで魂が通じた気がした。

「コルクマン……! もう一度聞く。お前は何故戦う。グリミラズのためか?」

「いいや。ふふっ……そんな訳ないのだ。シアンリじゃあるまいしな」

 コルクマンは鼻で笑った。同じ『四色ししょく』でも、戦う理由は別々だった。


「オイラはとある用心棒組織にいた。いや、今も所属はしているのだが……リーダーの変わったあの組織を、オイラは自分の居場所と思いたくはない」

 コルクマンは身の上を語った。半魔人だろうと、心を語る彼はまさしく人だった。

「オイラを拾ってくれた師匠は、誰からも信頼される人格者だった。だが師匠が亡くなった後、組織を継いだあの男は……金の事しか考えられない下衆なのだ。それでも組織の長である事には変わりなく、権力には逆らえない。オイラは……オイラの居場所が下衆に奪われたのが我慢ならない! 組織を出て行こうかと何度も考えたが、やはり思い出は捨てられないのだ。出て行くべきは奴の方だ。だが……オイラは弱かった。戦闘でも、人望でも」

 最初は怒りを露わにしたコルクマンは、次第に声を落とした。

「だから力が必要なのだ! 奴を倒し、組織を取り戻す力を! 師匠と過ごした日々を守り抜く力を! グリミラズは、オイラに授けてくれた。協力すればもっと力をくれると約束してくれた。これは契約なのだよ。今のオイラは用心棒ではなく、ただの殺し屋になった。強くなるために悪魔と契約してしまったのだ。笑うか? 思い出に恋々とするオイラを」

 自嘲気味にコルクマンは言った。力を求める人間は多くいたけど、彼の渇望は本気だった。人術の力を分け与えるグリミラズの提案は、きっと悪魔の囁きに聞こえただろう。

 彼は誘惑に負けたんだ。力をくれる存在に屈服したんだ。


「……笑わない」

 コルクマンの気持ちを俺は笑えない。俺だって同じだったから。

 かつて戦争で家族を失った俺は、グリミラズの救済の手を離せなかった。まだ幼かったあの頃、孤独な俺を拾ってくれたグリミラズは、確かに光に見えたんだ。

 俺だって力が欲しかった。残酷な世界で生き抜くための力を求めてやまなかった。あの頃の先生は、間違いなく『先生』だったんだ。


「ふっ……。そうか。こんな形でなければ、君とは良き友になれたかもしれないのだ」

 コルクマンは腰を低くして、拳を構える。戦う以外の道は無い。たとえ、言葉を交わしたとしても。

「そうかもな」

 俺も意識を切り替えた。ここから先は、言葉ではなく。

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