第77話 「海を統べる愛の青色、思い出に恋々とする茶色」

 刺客が同時に二人。想定していない事態ではないけど、可能性は薄いと思い込んでいた。一人で来るか、四人一気に来るものだとばかり。


 先手を打たれた。俺が勝手な思い込みでシアンリ達への警戒をしなかったせいだ。俺の目の前で、堂々と一般市民を人質にされてしまった。

「……エムネェス。あの人達助け出す手段、何か思い付くか?」

 俺は小声でエムネェスに聞いた。

「ごめんなさい。分からないわ。あんな高度な水魔術見た事ない……。下手に引き剥がそうとしたら、中の人がどうなるか」

 エムネェスは首を横に振った。彼女の慎重な姿勢に、俺も賛成だ。重力に従って落ちるはずの人々を水だけで支える、シアンリの謎の技術。あれの正体が分からない以上、無闇に人質を解放しようとするのは危険だ。人を持ち上げる程の圧力を水から発生させているなら、その水圧で人体を潰すのも可能だろう。


「だよな。あの少女を倒して、人質を自由にするよう脅すしかなさそうだ」

 どのみち、俺は逃げる気なんて無い。二人同時に襲って来たのなら、二人同時に倒すチャンスでもある。

「ワタシも戦うわよ。約束したものね」

 エムネェスの協力で、数の不利は無くなった。本当は巻き込みたくなかったけど、こうなってしまったら仕方ない。

「ありがとう。とりあえず俺が前衛になって様子を見る。エムネェスは隙を突いて、『アルコホリック・パーティー』を奴らに」

「了解よ」

 軽く作戦を立てる。まずは様子見だ。あわよくばエムネェスの魔術で無力化出来たら話が早い。


「クハハハハ。覚悟は出来たか? 我は手加減が苦手でな。すぐに終わってしまうかもしれぬが、悪く思うなよ」

 シアンリは両手を広げた。彼女の周りを漂う、大小無数の水の球体。それらは複雑な挙動をとって俺達に飛びかかった。

 俺は水飛沫の散弾を叩き落とした。水だから、手で潰せるくらいに柔い。ぶつけられても大して痛くない。

 当然だ。そんなの分かった上でシアンリは水で攻撃する選択をした。そこには意味があるはずだ。


「クハハッ」

 シアンリは不敵に笑った。その途端、俺が殴って飛散させた巨大水滴が、小さな水滴の群れとなって別々に動き始めた。

 水滴は俺の顔を覆い、鼻と口を塞ぐ。急に空気の供給を断たれて、俺は思わず足を止めた。

「むがっ!」

「愚か者め。水を殴っても意味があるまい? 液体は固有の形を持たぬ脆い物。故に金属よりも恐ろしい刃となる!」

 シアンリは椅子に座ったまま言った。彼女は一体どれだけの数の水を操れるんだ? 数えきれない程の水滴を個別に操作するなんて、並大抵の才能で出来る所業じゃない。


「むぐぐ……!」

 このままでは窒息する。俺は《息長いきながらえ》を発動して呼吸する。「呼吸をする」という肺の機能を過大解釈して、水の中でも呼吸できるようになる人術だ。海水浴にでも行かない限り使わない、かなり使用頻度の低い人術だけど、習得しておいてよかった。

「ぷはっ……死ぬかと思った」

「む? 貴様、息が出来ているな。魔術……いや、グリミラズ様の人術を使ったのか。あのお方の足元にも及ばぬ三下の分際で、やるではないか」

 窒息しない俺を見て、シアンリはようやく立ち上がった。


「グリミラズ『様』? 随分敬意のある呼び方だな。お前、あいつの仲間じゃないのか」

「言い方に気を付けろ愚民! グリミラズ様は崇高なるお方! 『あいつ』などと気安く呼ぶでない!」

 シアンリは急に語調を強くして眉をひそめた。

「あぁ……凛々しきグリミラズ様……。優しきグリミラズ様……。貴方のお名前を口にするだけで我の心は跳ね踊る……。貴方への愛を示すため、我はこの愚民の首を差し出そうぞ!」

 シアンリは恍惚に頬を緩ませ、声を弾ませた。グリミラズへの愛を語る彼女は、俺には理解出来なかった。


「騙されるな! あいつは悪魔みたいな奴なんだ!」

「貴様……グリミラズ様を愚弄するのか? 無礼者め。あのお方こそ我の求めた白馬の王子! そして我こそが……」

 シアンリは激昂する。彼女の感情に合わせるように、水滴の群れは次第に体積を大きくしていった。

 やがて水滴同士は合体し、大きな水の塊へと変わっていく。見る見るうちに、シアンリを中心として辺りは水に沈んでいく。

「我こそが、大いなる海を統べる者! 人魚姫である!」

 シアンリのスカートからはみ出る足は、魚の下半身のように変化していた。


「う、海!?」

 そう、海だった。繁華街はあっという間に海になった。意味不明な現象だが、これが現実だ。

 シアンリの具現化させた水は途轍もなく巨大で、町を水に沈める程だった。道や家が水に沈み、辺り一面水しか無いこの光景は、海と呼ぶに相応しかった。

 そして、海の中を自由に泳ぐ人魚が一人。シアンリだ。


「何よこれ! こんな具現化魔術ありえないわ! 規格外にも程があるわよ!」

 エムネェスは慌てながらも的確に泳ぎ、高い家の屋根に辿り着いた。まだ沈み切っていない箇所もある。陸に生きる人間にとっては、その僅かな足場が命綱だ。

「エムネェスはそこで援護してくれ!」

「アレイヤ、あなたはどうするのよ!?」

「俺は泳いでシアンリを追う! この魔術を止めさせないと!」

 とっくに町中が巻き込まれていた。大洪水のごとき水は、無関係の人や施設を飲み込んでいく。俺を殺すためなら手段を選ばないシアンリのやり方に、今更ながら戦慄した。でも、驚いている場合じゃない。早くこの大規模な水魔術を止めさせないと、多くの人が溺れ死ぬ。


「た、助けて!」

「流される!」

 町の人が助けを求める声が聞こえる。人質にされた人々は、水に囚われたまま『海』に流されていた。俺が逃げないと気付いてから、シアンリは人質に興味を示さない。死のうが生きようがどうでもいいと思っている顔だ。


 そういえば、シアンリの隣にいた男はどこだ? 確か、コルクマンとか言ったか。あいつがいない。シアンリが周囲を海に変える力を持っていると知っていて、避難していたのか? そうでなければ、シアンリは味方ごと水に沈めた事になるが。

 いない奴の事ばかり考えても仕方ない。警戒はするが、それより目の前のシアンリを何とかしないと。


「クハハハハ! これがグリミラズ様から賜った力! 圧倒的! まさに我に相応しい!」

 シアンリは海をスイスイ泳ぎ、イルカのように跳ねた。歓喜の踊りを見せる彼女は、人間の姿をしていた時よりパフォーマーらしかった。


「……ふざけるなよ」

 グリミラズの刺客への怒りが、ますます大きくなる。こいつを許してなるものかと、俺の魂が叫んでいる。

 これ以上調子に乗らせるか。

「《自由遊じゆうゆう》」

 とっておきの人術を見せてやる。町を水に沈めた軽率さを、後悔しろ。

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