第68話 「苦肉の策」

 体を動けなくして思考を鈍らせる毒……麻痺毒か? あるいは睡眠薬……違う。

 これは、筋肉を壊す毒物か。細胞を溶かして筋肉の動きを弱らせる。前の世界で似たのを見た事がある。

 大量に摂取すれば1分も生きられない劇物だ。毒ナイフで掠っただけだとしても致命的になり得る。


 しくじった。俺は解毒の人術を習得していない。多少の怪我ですら、普通の人よりは治りが早いものの、回復魔術を使わないと即座には治らないレベルだ。

 今から解毒人術を編み出すか? 無理だ。間に合わない。それに、新人術をイメージする集中力も残っていなかった。


「ぐ……あ……」

 力が抜ける。頭が回らない。言うまでもなく絶体絶命だ。

「死にそうな演技……じゃねぇようだな。毒も効かねえような化け物じゃなくて助かったぜ」

 フォクセルは俺に近付く。俺からの反撃が来ないと知って、トドメを刺す気か。くそっ、どうする……!


「アレイヤ!」

 その時、ザハドの掲げた手が光った。車両を埋め尽くすような眩しい光。俺は思わず目を閉じた。

「うっ!」

 フォクセルも動揺の声を漏らした。この光量では誰も目を開けていられない。

 これは、リリアンゼが使ってたのと同じ光魔術か。ザハドも扱える光魔術は、全力で放っても列車を壊したりしない。そうか、考えたなザハド。


「ちっ……目潰しか。うぜぇ!」

 光が止んだ頃、フォクセルは目を開けて憤った。そして、周囲をキョロキョロ見渡す。

「……あぁ? どこ行きやがった」

 俺が目の前にいるのに、フォクセルは通り過ぎて行った。ラクゥネも動揺した様子で辺りを警戒している。

「あいつら、逃げたの? ドアが開いた音は聞こえなかったけど……」

 ラクゥネは背後のドアと、向かい側のドアを注意深く見つめた。二人とも何をやってるんだ? 俺もザハドもすぐ側にいるのに、全く見えていないようだった。


「……『オーバーライト・スペクタクル』。君らはもう、俺らを見つけられない」

 ザハドの光魔術。リリアンゼ達を欺いた、幻覚の魔術だ。なるほど。激しい光で視界を奪った後に、幻覚魔術で俺達を見えなくする。いい作戦だ。

「ありがとう、ザハド」

「行くよアレイヤ。この隙に……」

 足の怪我を治し終えたザハドが俺を担ぐ。一旦撤退するのが賢い選択か。仕方ない。このまま戦っても勝ち目は薄い。

 しかし、逃げるにしてもどこへ? 電車はまだ駅には着かない。走り続ける列車に、逃げ場など無かった。少なくともフォクセルとラクゥネが乗車している間は、この電車は危険地帯だ。


 せめて魔術か人術で解毒する時間くらい稼がないと……。そう思った矢先、フォクセルはじろりとこちらを見た。

「……そこか」

 フォクセルは長い布を投げた。布は鞭のように畝り、ザハドの腕に絡まる。布で拘束されたザハドはバランスを崩し、その場に倒れてしまった。当然、担がれている俺も一緒に倒れる。

 何故居場所がバレた? フォクセルは俺達の姿が見えないはずなのに。

「精神魔術か? それとも噂の光魔術か。驚かせやがって。でもなぁ。視覚にしか干渉出来ないんなら黙っとくべきだったなぁ、お前らよぉ」

 フォクセルはすぐさまザハドに接近し、布でザハドを縛り上げた。透明人間のようになった俺達を、話し声だけで見つけたって言うのか。口で言うほど簡単な事じゃない。それを、こいつは当たり前のように。


「くっ……これはまさか『魔封布』! やられたな……」

 束縛されたザハドは倒れたまま動かなかった。魔術を封じる特殊な布、『魔封布』。こんな物で全身を縛られたら、魔術師は力を奪われ身動き取れない。ザハドの幻覚魔術も、とっくに効力を失ったようだった。

「ザハド! 大丈夫か!」

「ごめんアレイヤ……逃げてくれ……」

 弱々しく言うザハドの口と目も、魔封布で覆われた。両手両足両眼と口。魔力を魔術に変換する全ての部位を抑えられては、魔術師は何も出来ない。


 逃げろと言われても、こんな状態では《しつ》も使えない。満足に逃げる事など不可能だった。

「まだあるぜ。お前は特別、キツく縛らなきゃなぁ」

 フォクセルはさらに魔封布を取り出し、俺の腕に巻いた。拘束から逃げ出す力も、毒に侵された俺には残っていなかった。

 だがこの瞬間、俺に反撃のチャンスが生まれた。勝ちを確信したフォクセルは、俺が抵抗出来ないと思って近付いている。

 実際、今の俺は手足がまともに動かない。立ち上がるのだって困難だ。でも口は動く。声は出せる。なら十分だ。

 魔術は、口からだって出せる。人の心に干渉する、声の魔術ならば。


「ここから……出て行け」

 俺は魔力を乗せて命令した。キョウカとの修行で使った命令魔術。いや、未だ完成していない『劣化命令魔術』だ。人の心を支配する程の強力な力は無い。でも、キョウカがそうだったようにフォクセルも俺の言葉で様子がおかしくなった。

「……っ!? あ、がっ……。何だ、何しやがった!」

 フォクセルは胸元を押さえて歯を食いしばった。震えながら立ち、俺からゆっくり離れる。

 口に魔封布が巻かれていないから、声の魔術は何とか発動出来た。至近距離で俺の声を聞いたフォクセルは、その効果をモロに受けてしまう。


「どうしたのよフォクセル!」

 ラクゥネが心配そうに言う。しかし現状を把握出来ずどうすればいいのか分からないようだった。

「分からねぇ……。が、大した事なさそうだぜ」

 フォクセルは息を乱しながらも、まだ立てていた。ちょっと体調が悪くなった程度で、致命傷にはならなかったらしい。俺の未完成の魔術じゃ、これが精一杯だ。


 もう一度。俺は声を出そうとした。しかし、そうはさせるかとフォクセルは俺の襟を掴んで持ち上げる。そして、思いっきり壁に叩きつけた。痛みで声が出ない。

 流石に同じ技が何度も通用する相手じゃない。でも、せっかく離れたのにまた俺に近付いたのは下策だったな。

 俺は拳銃をフォクセルに向けた。胸ぐらを掴まれた時にフォクセルから盗んでおいたんだ。

「てめぇっ……!」

 これはフォクセルも予想してなかったようで、彼は即座に体を逸らした。射線から離れたフォクセルを、俺の銃口は追う。

 上手く拳銃を握れない。モタモタしていたら、ラクゥネが撃ってくるだろう。時間は無い。早く引き金を引いて決着を付けないといけない。

 俺はフォクセルが避ける先を予測して銃口を向けた。この一発で決めるしかない。俺は祈るように引き金に力を入れた。


「あう……。トイレ、どこぉ?」


 その瞬間だった。ドアが開いて、向こうの車両から少女が入って来た。彼女はボーッとした様子で立っている。

 まずい。少女は、俺の銃口の向く先にいた。このまま銃を撃てば彼女に当たってしまう。それに気付いた時にはもう遅かった。俺は、指に全力を込めてしまっていた。

 銃声。無慈悲な銃声。

 俺は絶望を覚悟した。俺がうっかり、無関係な子供を殺してしまったという絶望を。最悪の展開を。

「…………痛ぇな」

 だけど、そうはならなかった。俺の銃弾が貫いたのはフォクセルの二の腕だった。少女はフォクセルに突き飛ばされたらしく、電車の隅に尻餅をついている。


「え?」

 俺は目の前の光景を理解するのに遅れた。まさか、フォクセルが少女を助けたのか? 自分の身を挺して?

「おい、ガキんちょ。ここは危ねえから戻ってろ。トイレは反対の車両だ」

 フォクセルは平然そうな声で言った。少女は目を丸くしながらも「う、うん!」と頷いて元の車両に戻って行く。

「なんで」

 俺は戦いすら忘れて声を漏らした。俺の想像するフォクセルとは全く違う行動を、本人が行ったから。これが六つ星賞金首? 世界が恐れる大悪党?


「返せ。慣れてねぇ奴が銃なんて持つんじゃねぇ」

 フォクセルは俺から拳銃を取り上げ、俺の腕を縛る魔封布を引っ張った。その痛みで、今戦闘中だったと思い出す。

「ラクゥネ。反対側も縛るからお前はそっち持て」

 フォクセルはラクゥネにもう一枚の魔封布を投げ渡した。

「分かったわ。でも二人がかりで拘束する必要ある?」

 ラクゥネは疑問を口にしながらも俺の反対側の腕も縛った。フォクセルはその間に俺の口を塞ぐ。

「念には念を、だ」

 俺がまた反撃するかもしれないと、フォクセルは警戒を強めていた。両腕を魔封布で束縛されて、さながら俺は散歩する犬のように自由を奪われた。必死に進もうとしても、『飼い主』の力でブレーキをかけられてしまう飼い犬。


 こうなってしまえば、俺に勝ちは無い。認めるしか無いようだ。


 けれど、お前の勝ちでもない。絶体絶命の状況を引き分けに持って行く最後の足掻きは、俺に残されていた。

 俺は両腕にリードをかけられた状態だ。だったら、元気な飼い犬のように暴れてやろう。

「ああああああああああ!」

 俺は力を振り絞って腕を引っ張った。魔封布を握っていたフォクセルとラクゥネも同時に引っ張られる。

「はぁ!? こいつ、まだこんな力を!」

 フォクセルは魔封布に力を入れて俺を引き寄せようとする。フォクセルとラクゥネの二人がかりの綱引きに、俺は全力で抵抗した。

 人術は過大解釈の力。人の本来持つ可能性を最大限引き出す技術。火事場の馬鹿力は得意分野だ。

 もう数十秒しか、俺は動けないだろう。それだけでいい。この最後のチャンスを、何としても掴むしかない。


 俺は列車の扉を蹴って壊した。隣の車両に移るための扉ではなく、列車の外に出るための扉。まだ荒野の線路を走っている列車の、開いてはならない扉を無理矢理開けた。

「ば、馬鹿かてめっ……! やめろ!」

 俺がやろうとしている事を察したようで、フォクセルは叫んだ。無論、聞いてやる義理は無い。

 高速で走る列車から飛び降りても、俺は無事で済むだろう。でも、お前らはどうかな?


 さぁどうするサブヴァータ。その布を離すか? そしたら俺は逃げ出せる。本物の車掌さんに状況を伝えて列車を止めてもらうも良し。通報してユフィーリカ警察を呼ぶも良し。その隙にアドリブで解毒人術を作り出すも良し。ほんの数分俺がフリーになれば、形勢は逆転出来る。


「ちょっと! 変な真似はやめなさい! 死ぬかもしれないのよ!」

 ラクゥネは魔封布を掴んだまま警告する。俺を逃してはならないと分かっているようで、二人とも手を離さない。俺との力勝負に勝つつもりでいるようだ。

 そのつもりなら、分かった。お前らが覚悟を決めたなら俺も覚悟を決めよう。

 死ぬかもしれないなんて、言われなくても知ってる。走る列車から落ちた衝撃と摩擦に、俺の《鋼被表皮こうひひょうひ》がどれほど耐えられるか。そもそも、毒で意識が朦朧としている今、まともに人術が使えるのか。

 これは命懸けの策だ。でも、そんなの当たり前だ。命懸けじゃない戦いなんてあり得ない。

「むがが! むぐぐぐ!」

 目を口を塞がれたザハドが、何か訴えている。何も見えなくても音だけで状況を察したのかもしれない。内容は、なんとなく分かった。ザハドも俺を止めようとしている。

 でも、もう止まらない。


「おらぁっ!」

 俺は細胞を震わせ筋肉を暴れさせる。限界を超えた力で二人を引き寄せた。フォクセルとラクゥネは体勢を崩し、俺の元へ倒れ込む。二人を抱きかかえて、そのまま俺は開いた扉から外へ身を投げた。


 ふわり、宙を舞う感覚。背中に寒気が襲った。列車の慣性を受け継いだ俺の体が、地面へと近付く。近付く。近付く……。

 近付かない。俺ら三人は、いつまでも宙に浮いたままだった。

「……え?」

 時が止まったとさえ思った。しかし世界は動いている。理解が追いつかない俺に、頭上から声が飛んできた。


「うははは。やっぱりこうなると思っておったわ。無茶をする少年じゃの」

 誰だ? この男は。

 ピンク色の髪の、若い男が俺ら三人を掴んで空を飛んでいた。人間三人を軽々持つ腕力も、当然のように空を飛んでいるのも、常識を超えていた。

 魔術師か? 見ず知らずの魔術師が、なんで俺らを助けてくれた?

「なんだよ。見てるだけじゃねぇのか? ジェイル」

 フォクセルは男に言った。ジェイルと呼ばれた男は「邪魔はせん、と言っただけじゃ。これは邪魔ではないじゃろ?」と笑う。

 二人は知り合いなのか? フォクセルが魔術師と仲間? それこそ意味が分からなかった。

 と言うか、『ジェイル』? どこかで聞いた名前だ。


「ま、感謝しとくぜ。助かった」

「正直でよろしい」

 フォクセルに礼を言われ満足げなジェイルは、俺達をゆっくり地面に下ろした。彼のおかげで誰一人として死んでいない。救世主のような男だけど、俺の味方であるようには見えなかった。

「ジェイル。あなた、そんな事も出来たのね。これも『呪い』の力?」

 ラクゥネが息を整えてジェイルに言った。ジェイルは首を横に振った。

「これは違うが……。それより、じゃ。お主ら怪我は無いか?」

 ジェイルはサブヴァータの二人を見る。そしてフォクセルの腕の怪我に気付いたようだった。

「ほう。撃たれたか。やられたの。この少年は毒で動けないようじゃから、勝負は引き分けと言ったところかの」

「さぁな。帰るまでが任務だ。オレらが無事にこいつを連れて帰ればオレらの勝ちだろうよ」

「うはは。違い無いの。では戻るか。車は用意してある」

 ジェイルは荒野を進んだ。俺は本格的に魔封布で縛られ、フォクセルに担がれる。既に力を出し尽くした俺は、僅かの抵抗も出来なかった。

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