第61話 「研修旅行、一日目」

 研修旅行の日はあっという間にやってきた。俺を含む7人の学生が、学校指導で隣国ユフィーリカへ向かう。

 ユフィーリカ王国は魔術六国の一つで、世界最強の国と名高い。創世神話の時代からアルターラ王家が統治し続けている国だ。とても発展していて治安が良く、魔術研究も最新鋭を進んでいると聞いた。ここなら俺の知りたい事も学べるかもしれない。


 研修は現地集合だ。宿泊先のホテルに、10時半に集まる。

 外国に行くならパスポートとか要るんじゃないか? と思ったけど、魔術六国同士の移動なら手続きは不要らしい。隣町に行くような感覚で隣国に行ける。同盟国とは言え、そんなに警備が薄くていいのだろうか。


「10時半か。ちょっと時間があるな」

 今は7時。ちょっと早く起き過ぎた。とっくにユフィーリカ国境まで来てしまったのに時間が余ってしまったな。

 ハナミさんから貰った弁当は、まだ食べるには早い。「このハナミ・ピンクナイフ料理長が丹精込めて作った弁当なのな! 腹一杯になりやがれなのな!」と言われ渡されたそれは、人の顔程の底面積の三段弁当。彼女が本気で俺を満腹にしたいのだと伝わってくる。


「観光にでも行くか」

 空いた時間はユフィーリカ観光に使おうと決めた。この国にもハンドレド王国と同じく神降宮がある。祀られている神は『六大神 ネ・オルゴーレ』。秩序と恐怖を司る神様だとか。ペトリーナの家と違って、ユフィーリカ王国の神降宮周辺は観光地になっている。一度は見に行くべき有名スポットだ。


 神降宮の正面は、お土産屋や飲食店などが建ち並ぶ広い通路だった。どこにいようと、神降宮近くに建つ超高層ビルが目的地の場所を教えてくれる。魔術学校並みに目立つ建物だった。

「アレは神官達の住居兼、修行場だ。ユフィーリカの神官は世界最強! いつだって訓練を欠かさないんだぞ!」

 お土産屋の店主さんが自慢げに教えてくれた。神降宮の守護者である神官達は強くあらねばならないと、ズォリアもよく言っている。あの高いビルが、この国の向上意識を表していた。


 人混みを通り抜け、俺はついにユフィーリカの神降宮の敷地に辿り着いた。これまた目立つ正門を抜け、修行場である高層ビルを素通りし、観光客用の通りを練り歩く。神話を語り継ぐ博物館だったり、神々の銅像だったり、歴史的価値のある物がたくさんあった。俺はヴィー博士みたいな考古学者じゃないけど、神話の話は興味深いと思える。


「魔術六国に一つずつある神降宮。ハンドレド王国の『鎮静の神 メリシアル』、ユフィーリカ王国の『恐怖の神 ネ・オルゴーレ』、アヴァスッド王国の『憤怒の神 ハブフブフス』、ポウポウ王国の『嫌悪の神 コックト』、ワレモール公国の『魅了の神 ウンデレトマ』、ザファ民国の『無関心の神 シュテイ』。この六柱が、魔術六国の崇める六大神。我々の一族に魔術を伝え、世界を守った偉大なる存在なのです」

 博物館のガイドさんが、俺にも分かりやすく神々について教えてくれた。魔術を扱えるのは魔術六国の人間だけ。それは、創生神話時代に神々と共に悪魔を滅ぼした一族の末裔だからだと言う。

 なるほど。神話と魔術の関係性がここに。しかし、だとすると俺やグリミラズは何故魔術を使えたんだろう。六国の民ではなく、異世界人の俺達が。

「うーん……」

 不思議だ。魔術の才能が生まれながらに決まっているなら俺に使えるはずがないのに。

 この疑問も、ユフィーリカの研究者に聞けば分かるのだろうか。


「博物館も一通り見たな。どこ行こう」

 散々歩き回って、もう博物館で調べられる事は無さそうだ。時刻は9時。そろそろホテルに向かってもいい頃だけど。

 帰るか。そう思った時、真に迫る悲鳴が俺の耳を貫いた。


「きゃあああああああああああああっ!!」


 甲高い女性の声だった。どこからだ。

 俺は咄嗟に博物館を出て、《千里耳せんりじ》や《擬犬鼻演ぎけんびえん》で周辺の様子を探る。

 分かった。神降宮だ。観光地の最も奥に位置する、最も重要な施設。そこに、息絶え絶えの女性の声が聞こえる。

「くっ! 間に合え!」

 俺は《しつ》で全力疾走した。原因は分からないが、神降宮内部にいる女性が苦しんでいる。他に神降宮に人はいないようだから、殺人事件や傷害事件では無さそうだ。では病気か? 見知らぬ誰かが病気で苦しんでいるとしたら、無視は出来ない。今にも死にそうな音が聞こえている。


 神降宮の前には警備兵が何人も集まっていた。悲鳴を聞き付け駆けつけてくれたのだろう。そっか。これだけの人が来てくれたなら俺は必要無いかもな。

 一安心した直後、俺は異変に気付いた。警備兵は神降宮の正面でたじろぐだけで、中に入ろうとしない。女性を助けに来た訳じゃないのか? 何故ボーッと立ち止まっている。

「えっと……そこの人達、ここの警備兵ですよね? 事件かもしれないんですよ。どうして何もしないんですか!?」

 若干糾弾するように強めに言ったけど、彼らは狼狽えるだけでやはり動かない。

「し、しかし……あそこは神降宮だから……その……」

 汗をかいてキョロキョロ周りを窺う警備兵。この瞬間にも女性は悲鳴を上げていた。

「や、やだっ! 来ないで! 入ってこないで! 死にたくない! 誰か助けて!」

 女性の暴れる音が聞こえる。ただ一人のはずの彼女が、「来ないで」と叫ぶ。幻覚でも見ているのか。末期症状のようだ。早く病院に運ばないと取り返しがつかなくなる。

「くっ! 問答しても埒が明かない! 俺が行きます!」

 仕事をしたがらない警備兵を頼りにせず、俺は一人で神降宮に突入した。「あっ!」と慌てて俺を止めようとした警備兵だったけど、一歩たりとも前に進まなかった。


「大丈夫ですか!」

 俺は神降宮の扉を開け、周囲を注意深く見た。神が降臨するとされる祭壇の前に、虚な目で倒れる若い女が一人。彼女は祭壇の宝石に縋るように手を伸ばしていた。

 俺は耳を研ぎ澄ます。大丈夫だ。まだ息はある。死んではいない。

「気を確かに。病院に連れて行きますから」

 周りに誰もいないのを再度確認し、俺は女性を抱えようと前へ進んだ。

 その時、神降宮の壁が爆発した。何事かと警戒しつつ、俺は女性の前に立って盾となる。崩れた壁の向こうには、フード姿の人物が立っていた。


「誰だ!」

 俺が叫んでも返事は無い。フードの人物は目にも留まらぬ速さで女性へ接近し、彼女を抱きかかえた。

「なっ……!」

 なんだこの動きは。只者じゃない。他の人間とは違う『何か』が、こいつにはある。

 壁を破壊したのはこいつか? いや、そんな事より。こいつは今病気の女性を拐おうとしている。

「待て!」

 俺はフードの人物を止めようとした。しかし、その瞬間俺は転んでしまう。爆破の時に飛び散った壁の素材が、たまたま俺の足元にあってそれに躓いたんだ。

 予想外すぎて、俺は《傾立かぶきだち》を使い損ねた。間抜けにも尻餅をついてしまう。俺が転んだ? いや、誰でも失敗はあるし俺だって転ぶ。でも、こんな重要なタイミングで? 都合悪く俺の足を置いた先に、転びやすい形状の瓦礫が転がっていたと?

 偶然にしては出来すぎてないか。……いや、言い訳か。そんな事考えてる場合じゃない!

「くそっ! 何をする気だ!」

 俺は立ち上がってフードの不審者を追った。でも不審者の逃げ足は速く、あっという間に神降宮の外へ出てしまった。そして、岩場や屋根などにひょいひょいと軽く飛び乗り、俺の視界から離れてしまう。女性とは言え人一人を抱えてあんなに軽やかに跳ぶなんて、人間業じゃなかった。


「何なんだ……あいつ」

 神出鬼没にして正体不明。顔すら見えず、性別や年齢すら不明の手練れが、あっという間に女性を誘拐して行った。俺は完全に面食らっていた。女性の身に何が起きたのか、フードの人物の目的が何なのか、全くもって分からなかった。


 事実は一つ。俺が、あの女性を救えなかった事だ。あの不審者は女性を病院に連れて行ってくれるのだろうか。そんなご都合主義の展開を信じるしか、俺には出来なかった。神降宮を破壊するような奴が、そんな善行を行ってくれるとは到底思えない。


「くそっ! せめて、状況の報告だけでも……」

 何も出来なかった俺だけど、警備兵に状況を伝える事は出来る。通報すれば、あの不審者を探して捕まえてくれるかもしれない。

 そう思って神降宮の外の警備兵に近付くと、彼らは眉をひそめて俺を睨んでいた。その視線は『一般市民を助けようとした善意の第三者』に向けるものでは無く、『警備兵が捕まえるべき悪意の第三者』への嫌悪が込められていた。

「え……」

 状況が掴めなかった。警備兵は一斉に俺を取り囲み、剣や槍を俺に向けている。

 なんで? 俺は人助けを試みただけなのに。これじゃまるで、俺が犯罪者みたいじゃないか。俺が、何をしたって?


「ちょ、ちょっと待って下さい! 何のつもりですかこれは!」

 弁明しようと叫んでも、警備兵達の敵意は変わらない。包囲網の中の一人、特別に豪華な装備の男が、俺を指差して大声を出した。

「黙らっしゃい! テロリストの分際で偉そうにぃっ!」

 男は自分の黄緑の髪を弄り、イライラした声で憎悪を露わにした。テロリスト? 俺が? そんな馬鹿な。

「これはネ・オルゴーレ神に対する冒涜ぅ! そしてそして、我らユフィーリカ軍に対する冒涜なるぞ! 神に牙剥く愚か者めぇ……ハハハハ! ハハハハハッ! 諸君! 蹂躙してやろうぞ! 裁きを下そうぞ! 我ら、恐怖の使徒! 秩序の代行者! このリリアンゼ・ゼリリアンの正義執行部隊がっ! 不遜なる犯罪者を処刑するぅぅぅぅ!」

 目を見開いて笑う道化師のような面の男が、そこにいた。 

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