第54話 「修行日和の夕暮れ」

「なぁ、ザハド。戻った方がいいんじゃないか? キョウカ、苦しそうだったし」

 吐くほど体調を崩したキョウカを一人にするのは後ろ髪を引かれる思いだった。何か俺にも出来る事があったんじゃないかと後悔してしまう。心配せずにはいられなかった。

「ううん」

 キョウカがいない教室まで来たザハドは、首を横に振った。

「駄目だよアレイヤ。君の優しさは今は封印して。だってキョウカは、俺達に吐瀉物を見られたのを恥ずかしがるような性格だろう?」

「恥ずかしがる? むしろ怒るような……」

 実際、キョウカはものすごい強烈な視線で俺を睨んだ。あれは怒ってるからだと思う。

「そりゃあね。怒るのは恥の裏返しさ。自分のかっこ悪い所、汚い所なんて、誰だって隠したいものだよ。特にキョウカはプライドが高いし。俺達がいたら彼女の尊厳はボロボロになる一方だ。早々に去るのが、俺達の出来る最大限だよ」

 ザハドに言われて、俺は納得するしかなかった。考えてみれば、余計な気遣いなんて逆効果かもしれない。彼女を嘔吐させた本人が慈愛を以て接してくるなんて、キョウカにしてみれば屈辱以外の何物でもない。


「そうだな。ごめん」

 指摘されて初めて、俺は自分の軽率さを自覚した。彼女が他人の優しさに甘えたがるような人間じゃないと、知っていたのに。

「俺に謝る事でもないさ」

 ザハドは爽やかに笑った。言外に「気にしないで」と伝えてる気がした。

「キョウカはね。協調性は無いけど他人の目を気にしない訳じゃあない。むしろ気にしてるからこそ当たりが強いのかな? 最近はファンクラブなんて出来ちゃって、一層かっこ悪い所見せられないなって頑張ってるみたいだ」

「え? ファンクラブ?」

「あー、知らない? キョウカって結構モテるんだよ。あの軽蔑する目付きとか容赦ない罵倒とかが男女問わず一部の生徒に受けて」

「それは……何て反応すればいい?」

 言葉を選ばず言えば、ドMに人気って事か。

「ご自由に。キョウカはね、誰にも舐められたくないと思ってる。それなのに、自分を慕ってくれる人達に……意地悪に言えば『自分より立場が下の人達』に見下されるなんて、最悪そのものだろうね。だから彼女は虚勢を張るんだ。『天才』の看板に傷を付けないように」

 それが、ザハドから見たキョウカの姿だった。威嚇を続ける孤独な狼のような彼女は、内心に脆さを共生させていた。

 見下す相手から見下される、その逆転劇は尊厳を大いに破壊する。だからこそ俺は人を見下さないように心がけてるけど……キョウカのように侮蔑が癖になってる人は、常にプライドを殺される恐怖に晒されてるだろう。立場を求められる人間は、往々にして本人にしか分からない苦悩を抱えているものだ。


「ちなみに俺もファンクラブがあるぞっ! なんとその規模、王国単位!」

 ザハドは誇らしげに言った。嫌味や謙遜の一切無い堂々たる自慢だった。

「あ、そ、そうなんだ……」

 ザハドの勢いに気圧されて頷く。ザハドは顔が良くて成績優秀だから、さぞかしモテるだろう。でも王国単位のファンクラブって……謙遜しないにしても極端な表現だ。


「ははは! 凄いだろう! みんなに認められれば、努力した甲斐があったと思えるさ! 君だって必ず評価をされるとも。いや、もう始まってる。入学早々優勝旗を掻っ攫った期待の新人、実はボチボチ噂になってるんだぜ? アレイヤ」

「そうなのか? 俺自身が実感してないんだけど」

 俺の当初の目標だった『目立ちたい』は達成された訳か。グリミラズが俺の居場所を知った以上、もう目立つ必要も無いんだけど、それはそれとして評価されるのは悪い気分じゃない。

「みんな案外見てるのさ。この修行だっていつか実を結ぶ」

「評判だけ良くなってもな。グリミラズを倒せなきゃ、全部無意味だ」

「ついて来るのは評判だけじゃあ無いさ。まだ未完成みたいだけど、さっきの君の新技は目を見張るものがあった。これから研鑽すれば君は師さえ超えるよ。きっと」

 ザハドは太鼓判を押してくれた。彼の言葉は裏表が無く、それがたとえ気休め程度だとしても信頼出来た。

「ありがとう、ザハド」

 やっぱり学校に来て正解だった。自分を高めてる時間は、不安を取り除いてくれる。この時間の積み重ねが自信に変わるはずだ。


 学校中にチャイムが響いた。平日ならそれは、放課後の開始を告げる音色だった。窓を見れば夕日が差し込んでいる。

「あはは。もうこんな時間か。急に疲れを思い出してきたな。帰るぞ帰るぞ」

 ザハドはへこたれるポーズをしつつ、真面目なトーンで言った。

「……なぁ、アレイヤ。明日、サナの葬式がある。来るよな?」

 唐突だった。でも、寝耳に水の話じゃない。サナの葬儀については前から聞かされていた。

 俺は当然、頷いた。サナに別れを告げずにいられるはずがなかった。

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