第39話 「信仰という名の魔術」
ペトリーナ宅に帰った俺は、一目散にベッドに潜り込んだ。何をする気力が湧かなかった。
「アレイヤ兄ちゃん……」
蹲る俺を見てオリオが心配そうに呟く。本来なら、魔術体育祭優勝を祝ってコルティ家で盛大にパーティーをする予定だった。そんな気分になれない理由は、5歳の子供も理解してくれた。
「アレイヤ兄ちゃん大丈夫? これ! これあげる!」
イブは女の子の人形を俺に手渡した。彼女がいつも遊んでいる人形だ。ペトリーナに誕生日プレゼントで貰った宝物だと、誇らしげに言っていた。
「……ありがとう。でも気持ちだけで充分だ。心配かけて悪いな」
俺は何をやっているのだろう。小さな子供にまで気を遣わせて。
「けっ! 悪いと思うんなら最初からウジウジすんなっちゅー話や! 萎えとんちゃうぞ」
ユーリンは俺がどうであれ普段通りの汚い口調で接する。気遣い皆無の態度に、むしろ安心した。
「ペトリーナ姉ちゃんがお前の事えらい心配しとる。元気なツラ見せてやらんかい! 男なら!」
ユーリンは俺の尻を蹴る。無理矢理ベッドから引き離され、俺は部屋を後にした。
ペトリーナは……どうしているだろうか。
パーティーの準備をして待っていた彼女に、俺はどんな顔で会えばいい。
「アレイヤさん。優勝おめでとうございます……とは、言えないですよね。すみません」
台所で食事の準備をしていたペトリーナが俺を見て顔色を変える。祝福に包まれるはずだった食卓は、今や暗い雰囲気を拭えない。
「ごめん。気遣わせちゃったな。子供達も呼ぼうか。ご馳走楽しみにしてるだろうし」
俺はテーブルに着こうとした。その時ペトリーナが俺を止める。
「ダメです。そんな悲しそうな顔で食べても美味しくないですわ」
ペトリーナは俺の目をまっすぐ見た。彼女に誤魔化しは通用しない。俺が心を暗くしたままパーティーを始めるなんて、ペトリーナが許すはずなかった。
「ペトリーナ……」
「ついて来て下さい。私に出来る事が少しでもあるはずですから」
ペトリーナに連れられて来たのは、コルティ家の『
神降宮は一軒家より狭いような小屋だった。石造りの荘厳な建物に、俺は圧倒される。ここは他のどの大地とも違う、異質で濃厚な魔力が感じられる。魔力を認識出来ないはずの俺でも。
「本当はダメですけど、アレイヤさんだけ特別です。私と一緒に神降宮に入りましょう」
ペトリーナは俺の手を握って神降宮の門を開いた。
「ここって……神様が降り立つ場所」
「えぇ。今はいらっしゃいませんが。祭典の時だけ人間の世界に降臨して下さるのです。私達人間には神様は見えませんし触れませんけど、確かにいらっしゃるのです。魔力の高まりを感じますから」
「やっぱりペトリーナみたいな優秀な魔術師は魔力が感じ取れるのか?」
「いいえ。魔力は普通感じられませんし、『魔流眼』のような貴重な才能が無ければ見る事も出来ません。ですが祭典の日は違うのです。凡人の私にも魔力の高まりが分かるのです」
そうか。もしかしてペトリーナは俺に神様と会わせようとしたのかと思った。でも神降宮に来ても神様には会えないらしい。『メリシアル』と呼ばれている、ペトリーナ達の神に。
神降宮の中央には巨大な宝石がポツンと置かれていた。縄で縛られた宝石が、透明な容器に囲まれて保管されている。人の背では届かないような高さに置かれているその宝石が、きっと神様を呼ぶための触媒なのだろうと思った。
「今から信仰魔術を行いますわ。アレイヤさんもご一緒にして頂けませんか?」
「信仰魔術?」
「はい。神様に祈りを捧げるための魔術です。祈って魔力を放つだけの簡単な魔術ですから、アレイヤさんも私の真似をして下さいます?」
ペトリーナは目蓋を閉じ、両手を重ねて握った。頭を垂れるペトリーナの隣で、俺も同じようにする。
神様に祈りは届くのか。だとしたら、神にでも何でも縋ってやる。
俺に力をくれ。グリミラズを超える強さをくれ。もう大切な人を死なせたくない。俺の弱さが俺の手から命を零してしまうなんて、二度と御免だ。
俺は祈った。魔力を賽銭代わりに捧げ、神に願いを伝える。
その途端、心が安らかになった。重荷が取れたように気分が晴れやかになる。暖かな日差しの中眠っているような、そんな感覚だ。
「これは……?」
「落ち着いたようですね、アレイヤさん。それがメリシアル教の神降宮の効果です。女神メリシアルの魔術は癒しの魔術。祈る者の心に安らぎを与えます」
信仰魔術を終えて、ペトリーナは言った。
「宮守の仕事は主に二つ。神降宮の守護と、毎日の信仰魔術です。賢明に祈る者を、神様は救って下さいますわ。アレイヤさん、あなたも。メリシアル神の慈愛が届いたのです」
ここで祈れば心が安らぐ。だからペトリーナは俺を神降宮に連れて来たのか。絶望する俺を救うために。
「ありがとう。少し落ち着けた」
グリミラズへの怒りは消えないし、根本的な精神の安寧には至らないだろう。でもここにいると一時的に感情を抑えられた。失われた冷静さを取り戻せる。
そうだ。いつまでも絶望していられない。俺は前へ進むんだ。もっと強くなって頂点を目指す。その動機は変わらない。
「良かったですわ。アレイヤさんの悲しい顔、見たくありませんもの」
ペトリーナは両手を合わせ微笑む。その後、真面目な顔で言った。
「すみませんでしたわ、アレイヤさん。あなたがどんな思いでここに来て、どんな思いで『人を殺す』とまで言ったのか、何も知らない私が頭ごなしに否定してしまって」
「え?」
「私達が最初に出会った時です。私は、人殺しは駄目だと言いました。それは間違ってるとは思いません。やはり殺人は罪です。でも、それを分かってなお命を奪う覚悟をされていたのですね。その……グリミラズという男の人を」
「……あぁ」
ペトリーナは最初、俺の復讐を否定した。神官として、それは正しい意見のはずだ。ペトリーナの正義を、俺が偉そうに拒む権利も無い。でもペトリーナは、あの時の事を悔やんでいるようだった。
「アレイヤさんのお友達を大勢殺した先生……それがグリミラズなのですね。そして彼は、またもアレイヤさんから友達を奪った。アレイヤさんの苦しみは私の想像を絶するはず。なのに私は、分かったような口を」
「ペトリーナが謝る必要なんて無いだろ。これは俺の問題だし……それを肯定してくれなんて願わない」
俺の望む復讐は殺人だ。グリミラズをこの世から消し去る行為だ。それはどれだけ取り繕っても罪であり悪。
「グリミラズは悪人だから」「グリミラズを消して助かる人もいるから」そんな理屈で殺人の咎を薄めようと思えば出来るだろう。でもそんな言い訳は無用だ。
俺は俺を正当化しない。俺がグリミラズと同じ殺人者になろうと、奴の息の根を止めると決めた。
だから俺を許そうとしなくていい。ペトリーナは、ペトリーナの正義を貫けばいい。
「アレイヤさん……」
ペトリーナは哀れむように俺を見る。復讐心に染まって抜け出せない俺を救おうとしてくれる。
ペトリーナは優しい。何もかもに慈悲の手を伸ばす。でも、もう十分だ。その気遣いだけで俺は満たされた。
「ありがとう、俺は大丈夫だから。でももう少しだけ、祈らせてくれないか?」
俺は膝を落として神に祈った。気休めしかくれない神様でも、今の俺には一番ありがたかった。
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