第35話 「そして復讐者は」

「凄いです! アレイヤ君優勝しちゃいました!」

 伝達魔術『エヴァンジェリスト』で石板に付与した映像を眺め、サナ・ヒャララは飛び跳ねた。何なら歌いたい気分でもあったが、流石に人の目があるので控える。


 サナは学校の外、商店街へと繰り出していた。決勝戦の選抜から外れたサナは、観客としてアレイヤとザハドの試合を見届けるしか出来ない。しかし伝達魔術付きの石板を持ち歩けば、いつでもどこでも体育祭の映像を確認出来た。

 私用の買い物があったので、サナは商店街を歩きながら観戦する事にした。声魔術の派生で、試合の音声を周囲に漏らさずサナだけに伝えるのも可能だ。便利な時代である。


 アレイヤの優勝はサナにとっても誉れだった。同じクラスだから、という理由だけではない。仮にザハドが優勝しても、この感情は抱けなかった。

 ではこの感情の名前は何だ?

 サナはまだ、それを上手く言葉に出来なかった。


「えっと、これとこれとこれを買って……」

 着々と買い物を進めていると、突然通行人とぶつかった。人通りの多い商店街では珍しくない。少し不運な事故だ。

 だが彼女の不運は「少し」では済まない。それが『アンラッキールート』だ。


「おいコラ! 何ぶつかってんだよ! あぁん?」

 サナと衝突したのは商店街付近を根城とするチンピラだった。少しばかり魔術の才能があったが故に、慢心して道を踏み外したならず者。そんな輩はハンドレド王国では蔓延っていた。

「ひ、ひいいいいいいいいいいい! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいいいいいい!」

 睨み付けられた途端、サナは猛烈に謝罪した。最早、謝るのが癖だった。サナは幾度となく糾弾され、謝罪を強いられてきた。一刻も早く許されたいという気持ちが、サナに謝罪を染みつかせた。


「おうおうおう! アニキにぶつかって謝って済むとでもぉ? 出すもん出せよオラァ!」

 チンピラの取り巻きは無駄に大声を出して威嚇した。彼らの恫喝行為も、最早癖のようなものだった。怒り、脅す以外で他者とコミュニケーションを取る方法を知らないのだ。


 商店街の客達は見て見ぬフリをした。関わって自分まで被害者になるのは嫌だ。理不尽な罵声や暴力を無視するのが、弱者の処世術だった。


 サナは孤独だ。本当は助けを求めたい。でも頼れる仲間はここにいない。

 チンピラを倒す選択肢は、サナには無かった。自分が謝るだけで済むのなら、暴力を振るいたくは無かった。自分の強さを振りかざして他者を虐げるのは、サナの良心に反した。


 弱気なサナを見てチンピラはつけ上がる。金以外のものも要求出来る気がした。

「おい嬢ちゃん。よく見りゃ可愛い面してるじゃねーか。ちょっとこっち来いよ」

 チンピラは暗い路地裏にサナを連れ込もうとした。サナは凍りついたように固まる。喉が詰まって上擦った声しか出なくなった。

「あっ、あっ、あの……」


 誰か助けて。

 声にならないSOSを、受信したかのように彼は立っていた。


「そこのお兄さん。お嬢さん、嫌がってるようですよ? 離してあげたらどうですか?」

 若い男が、チンピラの腕を掴んで言った。丁寧な口調と紳士的な笑顔で接する彼は、その態度とは裏腹に、有無を言わせぬ迫力があった。

「あぁ? 何だテメェ」

 チンピラはサナから離れ、男の腕を引き剥がそうとした。しかしどれだけ力を込めても、男の腕から逃れられない。

 男は長身だが細身で、腕力があるような風貌ではなかった。それでも、筋肉質なチンピラは男の束縛に力負けしていた。


「こいつ……っ!」

 チンピラは腕を大きく上下させた。それでも男の手は離れない。

「畜生! 離しやがれ!」

「そうですね。嫌がってるのなら離すべきですね」

 諭すように男は言って、握る手を開いた。腕を上下していたチンピラは、その勢いで数歩よろける。


「この野郎……! アニキに手を出すんなら容赦しねぇ! 死にな!」

 チンピラの取り巻きは掌から炎の球を生み出した。炎属性の初級具現化魔術だ。平和な商店街のど真ん中で、取り巻きはいきなり男に炎魔術を放った。


 辺りは火の海と化すかと思われた。しかし炎の球は、男に触れかけた瞬間に消滅した。

「は!? 防護魔術!?」

 チンピラ達は狼狽えた。魔術を無力化する現象となれば、普通は防護魔術だと考える。だが、一瞬で魔術を丸ごと消し去ってしまう程の強力な防護魔術は聞いた事もなかった。


「いけませんね。教育的指導です」

 男はチンピラ達の頭を掴んだ。そして思いっきり上空へ投げ飛ばす。

「う、うおおおおお!?」

 人並み外れた力で空高く飛ばされ、チンピラ達は目を丸くした。商店街の客達が小さく見える。

 このままでは地面に落下して骨折……当たりどころが悪ければ即死だ。

 重力に逆らえず落ちるだけのチンピラ達は、恐怖で頭が真っ白になった。死すら間近となったその瞬間、チンピラ達はピタリと止まった。地面に激突する事はなく、宙に浮いた。


「へ……?」

 誰もが理解を失った。この現象を引き起こした、この男以外は。

「これに懲りたら、もう乱暴はやめましょうね」

 男が指を鳴らすと、チンピラ達の体は重力を思い出したかのように落ちた。「いてっ」と小さく唸ってチンピラ達は這いつくばる。


「参りましょうか、お嬢さん。ここに君が滞在しては危ないですよ」

 男はサナを連れてそそくさと去った。サナはその優しい誘導について行くだけだった。

「は、はい……!」

 不思議な雰囲気の男だと、サナは思った。アレイヤに似ているような気もした。


「あ、ありがとうございます。助かりました」

 安全な場所へ避難して、サナはまず礼を言った。この男が来なければどんな目に遭ったか分からない。

「どういたしまして。でも君、その気になればあの乱暴者達を追い払えたのではありませんか?」

 男はサナの実力を見破っていた。その洞察眼にサナはギクリとする。確かにサナは三つ星の魔術師で、街中で弱い者イジメするだけの弱小魔術師など軽く倒せた。

「だ、だめです! 自分が嫌な事を人にするなんて出来ません!」

 恐怖に心を蝕まれても、サナは自分の良心を信じた。その無垢さに、男は感心する。

「それはそれは。君は清らかな心を持っているのですね。道理で君の魔力は美しい」

「え? は、はひぃ……それ程でも。えへへへ」

 意味は曖昧だが褒められたのは理解したので、サナは顔を赤らめた。自分を認めてくれるのは心地良かった。


「でしたら申し訳なかったですね。君を助けるのに僕が暴力を振るってしまいました。君の主義に反しましたか?」

「い、いえ! 助けてくれて嬉しかったです! それに、さっき手加減してましたよね? 大怪我しないように」

 空に飛ばされたチンピラ達が急に止まって無事に済んだ怪現象。あれはこの男の魔術ではないかと、サナは予想していた。

「はい。ほぼ無傷だと思いますけどね。それなら、君は許してくれますか?」

「ゆ、許すなんてそんな……うちは偉そうな事言える立場じゃないです」

「そうですか。謙虚ですね。とにかく君が悲しまずに済んでよかった。では、僕はこれで」

 男は立ち去ろうとした。サナは慌てて男を止める。

「待って下さい! お礼をさせてくれませんか?」


「お礼、ですか。と言っても特に欲しいものはありませんね。お気持ちだけで十分ですよ」

「それじゃうちが納得出来ません。そうだ! もしかしてお兄さん、旅人さんですか?」

「はい。旅人ですよ。お兄さんと呼ばれる程、若くはありませんが」

 男は若く見られがちだった。蒼く長い髪は、羽のような癖毛が混じっており、若者のような髪型だ。丸い眼鏡は最近のハンドレド王国の流行に沿っており、それもまた若者っぽさを醸していた。

「でしたら、うちが街を案内します!」

「おぉ。それは有り難いですね。人を探しているのですが、行き方が分からなくて困ってたんです。もういっそ屋根を飛び継いで行こうと思いましたが、悪目立ちは避けたいですから」

 旅人は冗談交じりに笑う。本気になれば彼が屋根まで跳べると、サナは何となく予感していた。


「旅人さんはどこから来たんですか?」

 商店街を共に歩きながら、サナは雑談した。

「遠い遠い所からです。サナさんはこの国の生まれですか?」

「はい! ハンドレド王国のフィーレ村出身です! 何にも無いけどいい所ですよ。いつか旅人さんも来ませんか?」

「そうですね。暇があればお邪魔させて頂きます」

 サナと旅人は打ち解けていた。サナの人当たりの良さと、旅人の声の心地よさが、二人の会話を円滑に進めていた。


「今までどんな国を旅して来たんですか?」

 サナは外国に興味があった。旅人との会話は、見知らぬ世界を知るいい機会だった。

「最近だとザガゼロール王国ですね。城下町を見物させて貰いました」

「え!? ザガゼロールですか! あの国は検問が厳しいのによく外国人が入れましたね」

「まぁ諸事情ありまして。入ったというか来てしまったんですが」

「?」

「サナさんは気にしなくて大丈夫ですよ。ところで、サナさんは僕の他に旅人を知りませんか?」

「探してる人ってその人ですか?」

「はい。どうでしょう。腕の立つ子なので、有名人だと思うのですが」

「他の旅人さんですか……」

 サナは心当たりを探った。外国人の知り合いは一人いるが、旅人ではない。旅人……というよりこの国に彷徨ってきた人なら、心当たりがある。

「それって、もしかしてアレイヤ君ですか?」

 アレイヤは異世界から来たと、魔術双六の途中に教えてくれた。異世界からの来訪者は、ある意味旅人だ。


「……アレイヤ君を、知っているのですね。サナさんはお友達ですか? それとも恋人とか?」

「こここここ恋人!? 恋人だなんてそんな恐れ多い! うちが、アレイヤ君の……でへへへへ」

 サナはオーバーな動作で手を振り、早口になった。

「そうなのですか? やっぱりアレイヤ君はミリーナさんを忘れられないのでしょうね。ところで彼の居場所をご存知ですか?」

「え? あ、はい! アレイヤ君なら向こうです。今頃、魔術体育祭の表彰式に出てると思います」

 我に返ってサナは、魔術学校の方角を指差した。

「なるほど。やはりそうですか」

?」

「いえ。ありがとうございます、サナさん。優秀な魔術師であるだけでなく、こんなにも親切だなんて。君は素晴らしい女性だ」

「ほ、褒めすぎですよぉ! えへへ……。うちなんてアレイヤ君やキョウカちゃんみたいに強くないですし」

 謙遜するものの、サナは満更でもなかった。褒められ慣れてないから反応に困るが、認められるのが快感だったのは間違いない。

「君も才能ありますよ。僕は人を見る目には自信あるんです。訳あって、優れた人材を探してますから。サナさんにも唾を付けておきたいくらいです」

「え? そ、そんな、いへへへ……。うち凄いですか? 本当?」

 言葉だけ疑って、サナはすっかり舞い上がっていた。今までずっと忌避されていたからこそ、サナの承認欲求は膨らんでいた。それが一気に解放され、サナは激しく高揚する。


 この人、いい人だ。

 サナは旅人の温かな笑顔に信頼を置き始めていた。


「着きましたよ! ここが魔術学校です!」

 サナは道案内の末、旅人の目的地に辿り着いた。情報石板を見る限り、体育祭の表彰式は終わっている。ある生徒は泣き、ある生徒は笑い、年に一度の大イベントの余韻に浸っていた。


「えっと、アレイヤ君は……」

 サナはアレイヤの姿を探した。早ければもう、学校の敷地外まで出たかもしれない。

「あ! いました! おーい! アレイヤ君ー!」

 アレイヤの顔を見つけ、サナは大きく手を振った。疲労と達成感に染まった彼の表情は、歴戦の勇士のように凛々しく映った。


 アレイヤを見てサナは顔を明るくする。アレイヤも、サナに気付いて安堵する。


 だが、次の瞬間。


 アレイヤの表情から光が消え、見開く眼は恐怖と絶望に沈んだ。

 アレイヤは、焦燥感に背中を押されて口を開く。サナの後ろに立つ、あの男に視線を向けて。









「サナ! 逃げろ! そいつがグリミラズだ!」


              *  *  *

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