第40話 お前のせいで〈side 恭介〉

 一泊二日の合宿は、無事に二日目を迎える。しかし、昨晩騒ぎまくっていた鳥羽を初めとするサークルの面々の多くは二日酔いを訴え、すっかり生気を失った顔で「気分悪い……」と憔悴しきっていた。


 そんな鳥羽に運転させるわけにも行かず、合宿の帰りの運転は必然的に俺がする事になる。鳥羽の車は何度か運転した事があるため、特に問題はなかったが──なぜか助手席に座らされたハナコとの空気の重苦しさだけは、俺のメンタルを容赦なく追い詰めていた。



(……昨日のアレ以来、まともに喋ってねえ……)



 昨晩、彼女を押し倒した上に口付けようとして盛大に拒絶された際のダメージが戻ってくる。ああ、考えないようにしてたのに……と俺は肩を落とした。


 邦楽ロックの流れる車内、後部座席で爆睡する鳥羽と花梨、俯いて何も喋らないハナコ。そして昨晩の後悔を引きずったまま、苦く奥歯を噛み、黙って運転を続ける俺。


 昨日の夜に彼女が告げた最後の言葉が、頭の中で何度も巡る。



『──私、誰かの代わりには、なれないみたい……』



(……誰かの、代わりって……)



 ふわり、風に揺れるセーラー服が脳裏を過ぎる。恭ちゃん、と呼びかける声も同時に蘇り、俺は焦燥に駆られた。



(もしかして、聞いたのか? アキの事……)



 3年前の、9月10日──俺の誕生日と同じ日に、自ら命を絶った大切な人。


 あの日消えてしまった彼女の事を、俺は誰かに話した事はない。

 だが舞奈と付き合ってる当時、俺の部屋を物色してを見つけ出したのか、「アキって誰よ」と彼女から詰め寄られた事はあった。



(舞奈のやつ、ハナコに余計な事言ったんじゃ……でも、舞奈もアキの事は詳しく知らないはずだし……だとしたら──)



 そこまで考えを巡らせ、辿り着いたのは、やはりドルガバの香水を纏うあの男。



(……九龍……)



 へらりと笑う彼の姿を思い描き、ハンドルを強く握り込む。また彼に接触されたのでは、と懸念して眉を顰めるが、直接それをハナコに尋ねるのも躊躇われた。


 九龍に近付かないよう警告してはいたが、結局のところ、俺達の関係には名前がない。ただの隣人同士で、他人同士。つまり俺の警告に拘束力などまるでないのだ。


 仮に彼女が九龍と関係を持っていたとしても、それを咎める権利だって勿論ない。


 それが酷く、歯痒い。



(本当にアイツに何かされてたとしたら、俺、結構マジで九龍の事ぶん殴るかも……)



 胸に満ちる苛立ちを抱えつつ、俺はサービスエリアへと停車するためにウィンカーの明かりを灯し、車線を変更したのだった。




 * * *




 数分後、サービスエリアで鳥羽と花梨を叩き起した俺は、相変わらずハナコとろくに会話もしないまま喫煙スペースへと向かった。


 煙草に火をつけ、溜め息混じりに煙を吐く。しかしいくら肺に煙を流し込んでも、蔓延はびこった苛立ちと後悔が収まらない。



(……昨日、マジで余計な事するんじゃなかった)



 衝動に任せて華奢な体を押し倒し、ハナコを脅すような真似をしてしまった昨晩の己の行動を強烈に悔やむ。あんなに気を付けていたのに、つい苛立ちが爆発してしまった。



「……俺、マジでこじらせ過ぎだろ……」



 呟き、また煙を吐き出した、その時。


 不意に横から何者かの影が落ち、「アレ?」とどこか聞き覚えのある声が投げ掛けられる。ふと顔を上げれば、アイドルさながらに顔立ちの整った金髪の男と目が合った。



「あー、やっぱり! 昨日絵里子と一緒にいたお兄さんじゃん、どうもー」


「……!」



 へら、と笑ったその顔に、俺の心臓がどくりと脈打つ。なんと、偶然隣に腰掛けた男は──もう顔も見たくないと思っていた、ハナコの元カレだったのだ。


 声を詰まらせ、あからさまに動揺してしまいつつも「あー……ども」と俺は顔を逸らす。

 程なくして横目でちらりと盗み見た彼は、煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら頬を緩めていた。……おい、お前未成年なんじゃねーのかよ。



「偶然っすねー、何か見た事あるなと思ったら。昨日はどーも」


「……」


「で、絵里子は? 一緒じゃないんですか?」



 細い足を組み、中性的でいかにもモテそうな甘い顔が向けられる。気安く「絵里子」と呼ぶ彼に再び苛立ちが芽生えたが、ただの隣人である俺と違ってコイツは彼女の『恋人』だった男だ。俺に文句を言う権利などない。



「……さあ。車で寝てるんじゃねーの」


「へー、そうなんだ、残念。色々話したかったのに」



 男はついぞ『残念』などと思ってもいなさそうな軽い口振りで笑い、また煙草に口をつける。苦い香りが鼻を掠めた後、彼は続けた。



「……つーか、生きてた事にびっくり。居なくなったし、てっきり死んだんだと思ってた」



 そうして紡がれた言葉に、俺の片眉がぴくりと動く。



「……? 卒業、してない……?」


「え? 何、知らないんすか? 絵里子、今年の2月にいきなり高校辞めて失踪したんすよ。あと1ヶ月で卒業、って時に。突然」



 彼から告げられた真実に、俺は言葉を失って硬直した。


 ──高校を卒業せずに、辞めた……? 卒業まで残り1ヶ月だったのに?


 固まる俺の横で、男は更に続ける。



「なーんか、で入院したって話は聞いてたんすけどね。そこから学校来なくなって。実はイジメられてて誰かに怪我させられたんじゃないか、って噂にもなったけど……絵里子いつもニコニコしてて友達も多かったし、イジメとかじゃなかったと思うんだよなあ」


「事故……?」


「そう、詳しく知らないけど事故で怪我して。妹と揉めたって噂だったけど……でも、まあ……原因は俺だったんじゃないかな~って、ちょっと思ってんすよね」



 ふ、と笑い、男は遠くを見つめた。俺は眉を顰め、煙草を咥える彼に視線を向ける。



「つーか、お兄さんって絵里子の何? 彼氏?」


「……、いや……」


「ああ、やっぱり。じゃあ俺と同じってわけだ」


「は? 同じ? 何が?」


「あはは、別に隠さなくていいっすよ。俺もそうですし。──ただのにしてるんでしょ? 絵里子の事」



 淡々と続く言葉が、俺の鼓膜にじりりと焦げ付く。同じように焦げ付いて灰になる煙草の先端が、俺の足元にぽとりと落ちた。



「……は……?」


「いやー、俺、ぶっちゃけ絵里子とかあんま興味なかったんすよ。どっちかっつーとアイツの妹の方が好みで。あ、妹の事知ってます? 絵里子と違って元気で明るい、クラスの人気者~って感じの子」


「……」


「ただ、妹の方はガードが硬すぎたんすよね。それに比べて絵里子は気が弱いし、男経験もないから、従順で都合がよくって。顔は妹に似てたし」



 ──なんだ、それ。


 無意識に拳を握り込み、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。力み過ぎたのか、短いそれはぐしゃりと潰れて灯していた火を消してしまった。



『──よく言われるんです、妹の方が良いって。妹の方が偉いって……』



 いつだったか、そう切なげにこぼしていたハナコの顔が、脳裏に蘇る。



「絵里子もさあ、多分知ってたんすよ、俺が妹にしか興味ない事。でも何も言わずにニコニコして、逆になぜか尽くして来るようになって。なんつーの、愛想つかされないように必死? っていうか……」


「……」


「一度、ご機嫌取りのためにアイツの料理褒めた事あるんすけど、その後が特に最悪で。俺、体鍛えるために食事管理してんのに、なんか毎日弁当作って来るんすよ。茶色くてダッセーの」


「……黙れ……」


「大体、女が男に肉じゃが作って喜ばれると思ってんのがウケる。何年前の話だよって感じ。そんなんイマドキ流行らな──」


「──もういいから、黙れよお前」



 ついに己の中で何かが音を立てて切れた瞬間、俺は男の咥えていた煙草を投げ捨てて胸ぐらを掴み上げた。途端に男は息を呑み、目を見開く。



「……は……っ!? え、いきなり何……」


「お前のせいかよ……全部お前のせいで、アイツは……っ」



 握り込んだ拳が怒りに震え、今にも殴りかかりそうになる衝動に何とか耐えた。


 約束を交わした日、陽だまりの乗ったハンバーグを食べながら、泣いていたハナコ。『私にはもう何も無い』『大事なものが欠けてしまった』と、そう言って全てを諦めようとしていた。


 何でだよ。コイツさえちゃんとハナコと向き合っていれば、アイツはあんなに深く傷つかなかったかもしれないのに。あんな馬鹿な考えに至らなかったかもしれないのに。


 俺と、あんな“約束”なんかしなくても、笑っていられたかもしれないのに。



『……喜んでくれたら、良かったんですけどね』


『あんまり、喜んで貰えなくて。お弁当も作った事あったんですけど、“なんかダサい”って言われちゃいました。……おかず、茶色いのばっかりだったから』


『……初めての、彼氏だったんです。高校2年の時から、1年ぐらい付き合ってて……』


『私……ちゃんと、好きだったのかな。航平の事も、みんなの事も……、あはは、変ですよね、私。彼氏なのに、友達なのに……好きなのか分からないって……』



 アイツは、こんなクソみたいな男でも──きっとちゃんと愛そうとしていたのに。



「全部、お前のせいだろ……っ、お前のせいで、絵里子は!!」



 胸ぐらを更に掴み上げ、強く握り込んだ拳を振り上げる。そしてついに彼の左頬を殴り飛ばしかけた、その瞬間──振りかぶった腕は、背後から伸ばされた手に捕えられて動きを止めた。



「……っ!?」


「はーい、ストーップ」



 のらりくらり、気の抜けるようなのんびりした口調で俺の腕を掴んだ男が間に割り込む。刹那、鼻を掠めたのはよく知るドルガバの香水。


 すぐにその正体を悟り、俺は表情を歪めた。



「……九龍……っ」


「ダッセー事してんなよ、恭介」



 丸いサングラスの奥で細められた目が、呆れたように俺の姿を映していた──。




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