第37話 誰かの代用品

 海からペンションへと帰ってきた私たちは、すぐに他のメンバーさん達と合流してバーベキューの準備に取り掛かる事になった。


 とは言え、火起こしや機材の準備はすでに終わらせてあり、後は肉を焼いて食べるだけ。花梨さんは鍋奉行ならぬ“肉焼き奉行”となってグリル台の前に付きっきりになり、鳥羽さんは早速お酒を開けてお友達と大騒ぎ。恭介さんは“調理係”らしく、キッチンの中に篭ってしまった。


 手持ち無沙汰となってしまった私は、「あ、あの、何かお手伝いしましょうか……?」と花梨さんに尋ねてみたが、「大丈夫大丈夫! エリコっちはゲストだからさー! 先にお風呂でも入って、後は楽にしてて!」と言われてしまい──ひとまず言われた通りに風呂を済ませ、今に至る。



(……本当に、やる事ないや)



 ケラケラと楽しそうに花火や動画撮影を楽しむサークルの人々の姿をぼんやり見つめ、空いている椅子にポツンと腰掛ける。「どんどん焼くから、好きに食べて〜!」と大皿の上に盛られていくお肉や野菜にも手をつけず、私はぐうぐうと音を鳴らす空っぽのお腹を押さえていた。


 すると不意に、甲高い笑い声が響く。



「キャハハハ、やだあ、も〜っ」


「!」



 上機嫌に笑い声を響かせ、見知らぬ男の人に寄りかかりながら千鳥足で歩く彼女。グラデーションの掛かった長い髪を掻き上げたその人は、私の存在に気付くと猫のような目をにんまりと細めた。



「あ〜っ、今カノちゃん! やっほー!」


「……舞奈さん……」


「あはは、もしかしてボッチ? 恭ちゃんに置いてかれた? かわいそーっ」



 随分と酔っているのか、ライムの入ったお酒の瓶を揺らした舞奈さんがケラケラと笑う。彼女は一緒に歩いていた男の人から離れ、またグイッとお酒を喉に流し込みながら私の隣の椅子に腰掛けた。



「ふひ〜、飲み過ぎたぁ」


「あ、あの……大丈夫ですか?」


「ん〜? なあに、心配してくれんのぉ? 優しいねえ、今カノちゃん。こんな嫌な女にも優しくしてくれるんだあ? ヨユーですね、愛されカノジョさんはぁ」



 へにゃ、と嫌味を交えながら小首を傾げる愛らしい顔。嫌な女、という発言を否定する事も出来ず、私はそっと目を逸らす。



「ねぇねぇ、今カノちゃんさー、どーやって恭ちゃん落としたの? 海でめっちゃ大事にされてたじゃーん、あたしの事は全然キョーミなかったくせに。見る目なーい」


「……別に、私は、何も……」


「あは、何? 何もしてないけど、向こうが勝手に惚れてくれましたって? やだぁ、羨まし~っ」


「そ、そうじゃなくて……!」


「あー、でも、いいよね。あんたみたいな“守られ体質”の女はさ。弱そうに泣いてりゃ、すぐ愛されるんだもん。……恭ちゃんにも、九龍くんにも」



 舞奈さんはそう言い、瓶ビールの淵に口をつけた。どこか憂いを帯びた表情に、私は瞳を瞬く。



「舞奈さん……?」


「男って、みんなバカ。愛想よく笑ってりゃ、抱けると思って近寄ってくんの。別にこっちも本気じゃないし、遊べるしラッキー、って感じだけど」


「……」


「でも、恭ちゃんと九龍くんは根本から違う。私の事なんてこれっぽっちも興味ない。──私じゃない別の女を、あの二人はずっと見てる……」



 無表情に続いた舞奈さんの言葉が、私の胸をちくんとつつく。


 脳裏に浮かんだのは、私に空虚な愛の言葉を告げ続けていた航平元カレの顔。


 それから、以前のデートの際に九龍さんから忠告された言葉だった。



『──恭介が見てんのは、あんたじゃない。アイツはあんたに別の奴の影を重ねて、をしてるだけ』


『アイツは過去のあやまちを無かったことにするために、あんたを利用してる』



 頭の中で響く彼の声。

 けれど私は、そんなはずないと唇を噛み締める。


 恭介さんは、航平とは違う。


 ちゃんと私を見てくれてる。


 “絵里子”を見てくれてる。


 そうだよね?


 ……そう、だよね?



『──1回だけ、お願い』


『1回だけでいいから……“恭ちゃん”って、呼んでくんない?』



 ……ねえ、恭介さん。


 何であの時、私に──“恭ちゃん”って、呼ばせたの?



「──結局、あの二人にはが全てなのよ」



 ライムの入った瓶を揺らし、遠くを見つめた舞奈さんは呟いた。アキ──どこかで聞いた覚えがある、その名前。


 ああ、そういえば……パンケーキを食べた後で、九龍さんが言ってたような。



『……ほんと、どこまでもアキとそっくり』



 たしか、そんな感じの事を……。




「……私、アキって人と似てるんですか?」



 ぽつりと、舞奈さんに問いかける。彼女は訝しげに目を細め、「は?」と首を傾げた。



「九龍さんに、そう言われた事があって……どこまでもアキにそっくり、って」


「……」


「……? あの……」


「──あっははは!! え!? 待って、何、そういう事なの!?」



 一瞬硬直した様子の舞奈さんだったが、程なくして突如吹き出し、そのまま大声で笑い始めた。私はびくっと肩を竦め、大笑いする彼女にたじろぐ。



「あはは!! なーんだぁ、そっかあ! あんた、別に愛されてるわけじゃなかったんだ! 納得~、そういう事!」


「……あ、あの……」


「変だと思ったのよ、あの二人が妙にあんたに執着してるからさぁ! どんな手使ったんだろ~って。でも、なーんだ、安心した」



 ふふっ、と愛らしい顔が笑みを浮かべる。まるで憐れむみたいな、どこか嘲笑ちょうしょうにも似た、蔑んだ笑顔。



「──あんた、“アキ”のだったのね」



 そうして告げられた言葉は、私の心を冷たく凍り付かせた。



(……代用、品……?)



 胸の奥、ぴきりとひずんだ何かにヒビが入る。風に乗って鼻を掠める煙の匂いが、つんと染みて、痛い。


 舞奈さんは空になったお酒の瓶を持ち、上機嫌に椅子から立ち上がった。



「あーあ、なーんか謎が解けてハッピーな気分~っ! 今カノちゃん、アキの代役ごくろーさまっ! 大変だろーけど頑張ってね~っ」


「……っあ、あの! 待って、舞奈さん!」


「んー?」


「だ、代用品って……! その、アキさんって……何なんですか!? 本当に私に似てるんですか!?」


「えー、そんなの知らないよぉ、見た事も会った事もないもーん。知ってるの名前だけ。あと、恭ちゃんと九龍くんの幼なじみで、大事な人だった~って事だけ」


「……恭介さんと、九龍さんの……?」



 眉を顰め、俯く。すると舞奈さんは目を細め、「そんなに気になるんだったらさ~」と笑顔で続けた。



「九龍くんに聞いてみたらぁ? 恭ちゃんは答えてくれなかったけど、九龍くんはわりと教えてくれるからさ~」


「……え……」


「ああ、それと、カワイソーな代用品ちゃんにイイコト教えてあげる~」



 にひ、と悪戯に笑い、舞奈さんは私の耳元に顔を寄せる。ふわりといい匂いが鼻先を掠めた瞬間、彼女は耳打ちした。



「──恭ちゃんの部屋の、多分本棚のどこか。汚れた黄色いクッキー缶があるの。マジックペンで『タイムカプセル』って書いてあるやつ」


「……!」


「その中に入ってる、読んでみるといいよ」



 それだけを告げ、彼女は離れる。ひらひらと手を振って去っていく姿を見つめながら、私は無意識に自身の下唇をきゅっと噛んだ。


 黄色い缶。手紙。アキ。


 ──代用品。



『──なあ。航平って、何で吉岡絵里子と付き合ってんの? あいつ地味で大人しいし、なんかパッとしなくね』



 思い出したのは、高校時代に偶然聞いてしまった──あの会話。



『んー? 俺、別に絵里子の事とか全然好きじゃないよ。もっと活発な子が好き』


『はー? じゃあ何で付き合ってんの。航平から告ったんだろ?』


『そんなん決まってんじゃん、アイツのに近付くための“繋ぎ”だよ。でも妹、めっちゃガード硬いんだよね。絵里子は何でも言う事聞くのに。だからとりあえず、絵里子が本命


『うわー、クズー』



 あはは、と放課後の教室に響く笑い声。夕焼け色に染まる廊下。私は一人立ち尽くして、その会話を聞いていた。


 ──知ってた。分かってた。


 航平の告げる愛の言葉が、私に向けられた言葉じゃないって事。私と違って、人とのコミュニケーションを取るのがうまくて活発な妹の方が、親からも彼からも愛されているって事。


 私は少しの間を置いて、笑い声の響く教室の扉を控えめに開ける。するとそれまで響いていた笑い声はぴたりと止まり、引きつった表情でこちらを見る航平と目が合った。



『……あ……絵里子……』


『……』


『き、聞いてた? 今の……』



 問いかける声。同じように息を呑む、周りの男子達。


 でも、やっぱり私は、笑う事しか出来なくて。



『……ううん。今来たところだよ。一緒に帰ろ、航平』



 自分が誰かの代用品でも、誰かの1番になれなくても。その愛が間違っていると分かっていても。


 あの頃の私には、作った笑顔の崩し方も、間違った愛の手放し方も、分からなかった。


 だから、はっきりと別れを告げる事も出来ないまま──彼の元から、逃げ出したんだ。



「……また、代用品、なの……?」



 からっぽのお腹が、私の呟きに答えるように音を鳴らす。脳裏に浮かぶのは、家に残してきた一眼レフのカメラ。


 ああ、これは罰かもしれない。

 また裏切った、ってきっと怒ってるんだ。


 ずっとキミだけの一番でいる、って、そう決めてあのアパートにやって来たのに。



「……」



 私は俯き、そっとスマホを手に取る。


 光るディスプレイの中に表示されたのは、最近ぱたりと連絡を取らなくなった、彼の名前。


 芦屋 九龍、と記されたそのトーク画面に、私は指先で文字を打ち込んだ。



『九龍さん。少し、お話しませんか』



 また、間違えるかもしれない。

 間違えるかもしれないけど、知りたいの。


 ねえ、私、誰の代用品なの?




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