第36話 俺は好きだよ

「楽しかったー、海!」


「絶対焼けたわー、ひりひりする」


「ていうか腹減ったな」


「さっき駐車場でたこ焼き売ってたから、買って食おーぜ恭介ー」


「いや今から晩メシだろ」



 そんな会話を弾ませながら、本日の夕飯の材料を買い込んだ私達はレジ袋いっぱいに詰め込まれた食材をぶら下げてスーパーを出た。自動ドアが開いた途端、むわりと熱い空気が体を包む。



「あっちー……鳥羽、先に車の冷房付けてきて」


「了解~。ってわけでおさ、荷物持ちよろしく」


「何でじゃい」



 自分の持っていたレジ袋を花梨さんに押し付けた鳥羽さんは、彼女に蹴られながらもへらへら楽しそうに笑って車へと走っていった。花梨さんも後に続き、「食材クーラーボックスに入れとく~」と私たちに手を振る。


 スーパーの入口前で待機となった私と恭介さんは、ふわふわ漂うたこ焼きの匂いを嗅ぎながら顔を見合わせた。



「いい匂い……」


「はらぺこ虫?」


「……虫じゃないもん」


「ふっ、どうせすぐ腹鳴るくせに」



 お見通しだと言わんばかりに目を細めた彼の表情が、私の胸の鼓動を速める。ああ、もう、かっこいいなあ、とつい目を逸らしてしまった。



「たこ焼き、どーする? 買う?」


「え……で、でも、今から晩ご飯……」


「別に、1パック買って4人で食うぐらい良いだろ。俺も腹減ったし──」



 と、その時。不意に恭介さんのスマホが震える。



「あ、やべ、電話」


「え……」


「ごめん、ちょっと話してくる。ハナコはたこ焼き買っといて、俺の財布使っていいから」


「へ!? ちょ、そんな──」


「よろしく!」



 強引に財布を押し付けられた直後、恭介さんはスマホを耳にあてた。そのまま通話を始めてしまった彼がその場から離れる中、残された私はオロオロと戸惑いながら客が数人並んでいるたこ焼き屋へと視線を向ける。


 彼の財布を使うのは些か忍びないが、自分の財布が入っているかばんは車の中。今回ばかりは致し方ない。


 私はきゅっと彼の財布を握りしめ、たこ焼き屋のメニューの看板を見つめた。



(何個入りのやつを買えばいいんだろう……種類も結構あるなあ……ネギマヨ、チーズマヨ、キムチマヨ……)


「──え? 絵里子?」



 ──ぴたり。


 不意に横から名前を呼びかけられ、私の動きが止まる。え、と焦燥しつつ顔を上げれば、先に並んでいたグループの数人がこちらを見ていた。


 目が合った彼女たちの顔ぶれに、私の背筋は一気に底冷えする。



「……っ!」


「──やっぱり!! 絵里子だよ!!」


「え!? 嘘、絵里子!? ほんとに!?」



 目の前に並んでいたのは、なんと高校時代の同級生達だった。ユミ、チカ、ホナミ、カナ──あの当時、仲の良かった友人ばかり。


 どうしてここに、と目を泳がせている間に、彼女達はすごい剣幕で詰め寄って私の肩を掴む。



「ちょっと、絵里子!! あんた今まで何してたの、いきなり居なくなって!! 行方不明だって大騒ぎだったんだから!!」


「……っ、あ……」


「ていうか、何この髪!? 前髪も後ろ髪も滅茶苦茶じゃん!! 誰かにやられた!? あんなに長くて綺麗な髪してたのに……!!」



 掴みかかって怒鳴るホナミは、次第に瞳に涙を浮かべる。よく見れば、背後の3人も同じように泣きそうな顔をしていた。



「……っ、でも、良かった……無事で……! 電話も、ラインも繋がらないし……ほんとに、心配したんだからっ……!」


「……、ご、ごめん……」


「ごめんじゃないよ、このバカぁ!」



 ぎゅう、とホナミは私に抱きつく。良かった、良かった、と繰り返す彼女に、私はひゅっと息を呑んだ。



 ──本当に、そう思ってる?



 そう口にしかけた言葉を、私は寸前で飲み下す。



 だめだ、ちゃんと笑わなくちゃ。


 心配しなくていいよって。大丈夫だよって。


 笑わなくちゃ。



 ……がんばらなくちゃ。




『──お姉ちゃんって、いつも笑ってるよね』




 けれど、強引に口角を上げようとした瞬間。


 脳裏にはリツカの声が蘇った。



『ずっとにこにこして、へらへらしてる。ずっとだよ? 嫌な事があっても、怖い事されても、ずっと』


『馬鹿なんじゃないの? なんでそうやって笑えるの?』


『へったくそな顔でにこにこして。ほんとに馬鹿みたい。大馬鹿だよ、お姉ちゃん』



 突き放すように、軽蔑するように。

 私を見据える彼女の目を思い出す。


 私とよく似た幼い顔立ち。涙の溜まる丸い瞳。揺らぐその瞳の中に、無理して笑う私の顔が映っていた。



『──それでも、また、笑うの? お姉ちゃん』



 私の脳内で、泣き出しそうな顔をする妹が問いかける。


 しかし、その直後──凍りついたままの私の耳には、「おい、何してんの!?」と張り上げられた恭介さんの声が届いた。


 どうやら通話を終えて戻ってきたらしく、彼は同級生に囲まれている私の元へ慌てて駆け寄ってくる。



「は!? な、何これ、どうした、何事!?」


「……? 絵里子、この人、誰? 知り合い?」



 ホナミは鼻をすすり、困惑している恭介さんの顔を不思議そうに見上げた。私は声を詰まらせ、「えっと……」と視線を泳がせる。


 すると、背後のユミが訝しげに目を細めた。



「……まさか、彼氏とか?」


「──え!? 嘘、そんなわけないでしょ!? だって絵里子、じゃん!」


「……!」


「……は?」



 放たれたホナミの発言に、恭介さんが眉を顰める。私の背筋は一層凍りつき、じわりと嫌な汗が滲んだ。


 彼は眉根を寄せ、私を見下ろす。



「え……お前、彼氏とはもう別れたんじゃ……」


「……っ、あ、あの……」


「え? 嘘でしょ? 航平、まだ絵里子とは別れてないって言ってたよ。連絡つかないから、ずっと絵里子の事心配してて……ねえ、そうだよね!? ──!!」



 ホナミは振り向き、声を張り上げる。呼び掛けられた名前に、今度こそ私の全身からは血の気が引いた。



 え、待って。


 そんな、まさか。



 思考がぴしりと動きを止めた瞬間、奥の車からは恐れていた人物が出てくる。


 目が合い、止まる呼吸。



 ああ、いやだ。


 どうしよう。



「……、絵里子……?」



 驚いたように丸くなる瞳。清涼感のある短い金髪、白い肌。

 私は震える声で、彼の名を紡いだ。



「……航、平……」


「──絵里子っ!! 無事だったんだ!?」



 彼──航平はすぐさま私に駆け寄り、両腕を広げて強く私を抱き締める。懐かしい彼の匂いに包まれて、硬直したままの私は声すらも出せない。


 嫌だ、と思った。



「良かった……俺、すごく心配した」



 ──嘘つき。



「リツカちゃんに連絡しても『分からない』って言うしさ」



 ──ああ、まだ連絡取ってるんだ。



「ていうか、その髪どうしたの? 俺、長い方が好きだったのに」



 ──知ってる。



「なんか、その髪さ、」



 ──……。



「すっげえ、ダサ──」


「おい」



 ふと、低い声が航平の言葉を遮る。刹那、彼に抱き寄せられていた私の体は背後から伸びてきた腕によって強引に引き戻された。


 まだ一言も声を発せない私に代わるように、恭介さんが低く声を紡ぐ。



「……俺達、急いでんの。ごめんね」



 彼はそう言い、私の手を握って歩き出した。俯いたまま手を引かれる私の背後からは、



「え、何アレ、もしかして浮気?」


「絵里子が何も言わず居なくなったのって、そういう事?」


「うそ、航平可哀想、心配してたのに……」



 などと勝手な憶測を耳打ちし合うユミ達の声が聞こえる。


 しかし航平は、至って冷静に私の名前を呼びかけた。



「絵里子」


「……」


「──また連絡する」



 振り向く事も、答える事もできない。私は黙って俯き、手を引く恭介さんに連れられるまま、ただ歩き続けた。


 やがて鳥羽さんの車まで辿り着いた恭介さんは、やや乱暴に扉を開けて車へと乗り込む。鳥羽さんは「うわっ!?」と驚いて私達を見た。



「あ、あれ!? どしたの恭介、今迎えに行くとこだったのに」


「るっせー、待ちきれなかったんだよ。早く車出して」


「うげ、不機嫌マックスじゃん……そんな待たせてないだろ~、せっかちさんめ」



 明らかに不機嫌な恭介さんの様子にたじろぎつつ、鳥羽さんは「出発しまーす」と告げて車を発進させた。


 邦楽ロックが流れる中、楽しげに談笑する花梨さんと鳥羽さんの笑い声が響く、賑やかな車内。

 一方で後部座席に座る私と恭介さんは、“決まり事”を無視して繋がれた手の指を絡めたまま、黙っている。


 しかし程なくして、恭介さんが口を開いた。



「……アイツだろ」


「……」


「お前の作った弁当に、『ダサい』って言った彼氏」



 目も合わせず、彼は呟く。私は何も答えなかったが、きゅうと強く彼の手を握った。



「……勝手にアイツらから引き剥がして、ごめん。もし、まだアイツの事好きだったら、ごめん」


「……」


「……まだ、好きなの? アイツの事」



 絡む指先が、そっと私の手の指をなぞる。彼の問いかけに、私は小さな声で答えた。



「……初めての、彼氏だったんです。高校2年の時から、1年ぐらい付き合ってて……さっきの子達も、みんないい子で、仲良くて……」


「……」


「でも、私……ちゃんと、好きだったのかな。航平の事も、みんなの事も……、あはは、変ですよね、私。彼氏なのに、友達なのに……好きなのか分からないって……」



 ──お姉ちゃんって、いつも笑ってるよね。



 ふと、過去のリツカの言葉が脳裏を駆ける。


 ああ、そうだ、私はいつも、何も言わないで笑ってた。周りに合わせて、嫌な事から目を逸らして、笑ってたんだ。


 航平にだって、何も告げずにいなくなった。別れようとも、別れたいとも告げずに、ただ居なくなって、縁を切った気になってた。


 私、航平を好きになるように必死だった。


 みんなを好きになるために頑張ってた。


 好きにならなきゃって、思い込んでた。



『好きだよ、絵里子』



 私に触れる航平の言葉が、嘘だと知っていても──。




「……俺は好きだよ」



 ぽつり。不意にこぼれ落ちた恭介さんの言葉。


 私は目を見開き、顔を上げる。



「え……」


「その髪型。独創的でいいじゃん、似合ってるし。別にダサくない」


「え、あ……か、髪型……」



 ……なんだ、びっくりした。


 密かに嘆息し、私は自身の髪の毛先を摘む。数ヶ月前にみずから切り落とした髪は、相変わらず滅茶苦茶でバラバラ。


 多分、さっき航平がこの髪を“ダサい”って言おうとしたから、フォローしてくれてるんだろうな。



「ありがとうございます……」


「……うん」



 どこか切なげに私を見る、彼の瞳。そしてまた恭介さんは黙り込み──程なくして、再び声を紡いだ。



「1回だけ、お願い」


「……え?」


「ほんとに、1回だけでいいから……“恭ちゃん”って、呼んでみてくんない?」



 突として、彼の口から放たれた“お願い”。私は戸惑いながらも、その望みに従う。



「……恭、ちゃん……?」



 控えめに、ぽつり、告げる名前。


 対する恭介さんは何も言わず、ただ儚げな笑みを浮かべて、私から顔を逸らした。



(……え……何だったんだろ、今の……)



 決まり事を無視したまま、繋がれ続ける二人の手。時折きゅうと強く握られ、つい胸が高鳴って、私も強く握り返す。


 丁度そんなタイミングできゅるると唸った私のお腹の音が、まるで芽生えてしまった恋心を咎めているみたいだと──西の空に暮れゆく陽だまりの赤を見送りながら、思った。




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