第33話 九龍と恭介

「着いた~っ! バカンス~!!」



 出発から約1時間半。

 私達を乗せた車は、大きなペンションの前に辿り着いた。


 海沿いに建つその小綺麗な建物は、三階建て、庭、プール、DJブース付き、バーベキュー台と広いバルコニー、更には温泉まで完備……という、とんでもなく豪華な構造で。


 思わず私は呆気に取られ、恭介さんと顔を見合わせて困惑した。



「……お、おい、花梨! ほんとにここか!? めちゃくちゃ豪邸なんだけど!?」


「チッチッチッ。ワシの交渉術をナメてもらっちゃ困るぞい、村人A。我が長老パワーを使えば、金持ちが貸し出してるペンションを丸ごと1軒借り入れる事なんざ楽勝じゃい」


「お、おさ……! さすがっす……!」



 鳥羽さんもいたく感激した様子で、車を出るとすぐに「ひゃっほいバカンスゥ~!」と邸宅の門をくぐって行く。「おーおー、はしゃいじゃってまあ」と笑う花梨さんの横で鳥羽さんの背中を見送っていれば──不意に、恭介さんが訝しげに顔を顰めた。


 彼の視線を目で追えば、そこには1台の白いセダンが停まっていて。



「……、あの車……」


「……? あの車がどうかしたんですか、恭介さ──」


「ハーナコっ♡」



 ──むぎゅっ。


 と、その時。突如私は背後から抱きすくめられる。


 思わず「びゃああ!?」と可愛くない悲鳴を発したが、ふわりと漂う香水の匂いですぐに抱き付いた犯人が誰なのか悟った。



「く、九龍さんっ!?」


「ハロー、愛しのハナコちゃん、おっひさ~♡ 俺と会えなくて寂しかった? チューする? していい?」


「し、しませんっ! 何言って──」



 ──ぐいっ!



「わぷっ!?」



 突として現れた九龍さんに反論しようとした瞬間、今度は強く腕を引かれる。直後、ぼすっ、と硬い何かに顔面が押し付けられ、柔軟剤の香りがふわりと鼻を掠めた。



「……勝手に触んな」



 程なくして発せられたのは、普段よりも幾分か低い恭介さんの声。どこか怒りを帯びたその声と、彼に抱き寄せられているという現在の状況に私は困惑する。


 え、え?

 待って、何が起こってるの?



「はー? なあに、恭介。いきなり独占欲丸出しじゃーん、キモー」


「黙れよ九龍。やっぱあのセダン、お前のか。つーかなんで居んの? サークルのメンバーじゃねえだろ」


「それを言うんだったら、ハナコも部外者じゃん? 俺も同じだよ、サークル内に知り合いがいるからその付き添いで来ただけ~。別に不自然じゃないっしょ?」



 にい、と口角を上げた九龍さんは再び私に手を伸ばす。しかしすぐに恭介さんが私を庇い、背中へと隠した。



「……触んな、このクズ」


「え? 何なのお前。独占出来る立場かよ」


「立場だよ。カノジョだから」



 低い声ではっきりと、牽制するように恭介さんは告げる。カノジョ──そう明言された私の胸はどきりと跳ね上がった。


 九龍さんは一瞬言葉を詰まらせたが、やがて「ふーん……」と訝しげに目を細める。丸いサングラスの奥の瞳と視線が交わり、私は目を泳がせた。


 すると不意に、花梨さんが声を張る。



「こらこら、ストーップ! 喧嘩はやめんかい、このアホ共」



 ぱしぃん! と二人の頭を引っ叩いた彼女。そのまま呆れ顔で腕を組み、「部外者が追加されたとは聞いてたけど、まさかよりによって恭ちゃんと不仲な九龍とはねえ」と花梨さんは嘆息した。



(えっ……、不仲?)



 初耳の情報に思わず目を見張った頃、九龍さんは人当たりのいい笑みを浮かべて小首を傾げる。



「良いサプライズっしょ? それにしても花梨ちゃん、今日もかわいーね♡ 全然俺のタイプじゃないけど」


「わしもお前なんぞタイプじゃないわい」


「やば、長老キャラだいぶ板についてんじゃん。ウケる」


「ウケんなし。っていうか、アンタがいるって事は、もしかしてもう一人の部外者って──」


「──あ! こんな所に居た~、九龍くんっ! 全然帰ってこないから心配しちゃったよぉ~」



 と、その時。また別の声が耳に届く。


 甲高いその声が響いた瞬間、私と恭介さんはびくっと肩を揺らした。振り返った私達の視線の先に立っていたのは、やはり彼女で。



「……舞奈!?」


「あっ、恭ちゃんっ! えー、偶然~! さっき鳥羽くんに会ったからもしかして~って思ったんだけど、やっぱ恭ちゃんも来てたんだ? 嬉しいっ」


「……っ」



 恭介さんは引きつった顔でたじろぐ。すると舞奈さんは背後の私にも気付いたらしく、「あ……」と一瞬表情を強張らせつつもにこりと微笑んだ。



「こんにちは、今カノちゃん。久しぶり~」


「……あ……」


「……っ、は!? お前、コイツの事知ってんの!?」


「えー、知ってるよぉ? 前に恭ちゃん家の前で会ったもん。ねー、今カノちゃん」



 くす、と微笑む舞奈さんがキラキラのネイルで自身の唇をなぞる。おずおずと目を逸らしながら頷けば、突として九龍さんが舞奈さんの肩を抱いた。



「まあまあ、元カレとの感動の対面はそれぐらいにしてよ舞奈。俺妬いちゃうよ?」


「あは、そーなの? 九龍くんったらヤキモチ妬き~っ」


「しょーがなくない? 俺、ソクバッキーだから。……ってわけで、またね恭介。俺も舞奈カノジョするから、そちらもごゆっくり♡」



 にこり、緩まる目尻。九龍さんは舞奈さんの腰を引き寄せ、ひらりと手を振って門をくぐっていった。


 花梨さんも疲弊した顔で額を押さえ、「あーあ、こりゃ波乱の予感だわ……」と肩を竦めて彼らの後に続く。


 その背を見送った私達は、密着していた体をどちらからともなく離した後、複雑な表情で互いの顔を見遣った。



「……お前、いつの間に舞奈と会ってたの?」



 間を置いて問いかけられ、私は言い淀む。やがて「この前、偶然会っただけです……」と答えれば、「何もされなかった?」と続けて問われた。



「……はい。何も……」


「ホントかよ。……つーか何で言わないの、俺全然知らなかったんだけど」


「恭介さんこそ、何も言わなかったじゃないですか。舞奈さんが、元カノだって……」



 つい言い返せば、恭介さんは声を詰まらせる。私は気まずそうな彼の横顔を一瞥し、また声を紡いだ。



「……それに、九龍さんと恭介さんが、あんなに仲悪いのも知らなかった」


「……九龍とは仲悪いよ。アイツ、俺の事嫌いだから」


「そうなんですか?」


「うん。……なんか、いつの間にか舞奈と付き合ってるっぽかったけど、あれも多分俺への当て付けだと思う。ただの嫌がらせだよ」



 溜息を吐き、恭介さんは私の顔を見下ろす。



「舞奈と俺の関係はもうとっくに終わってるから、九龍が舞奈と付き合ってても、別に何とも思わねーけど……」


「……」


「ハナコが、九龍に何かされたら……俺はめちゃくちゃ嫌だ」



 恭介さんは私の肩に手を置き、眉根を寄せて切なげに目を細めた。思わず息を呑んだが、彼は掴んだ肩を離してくれない。



「……俺に、ハナコの行動を制限する権利なんて無いのは分かってる。でも、頼むから九龍には近付かないで欲しい……マジでアイツ、俺をおとしめるためなら何だってする奴なんだよ」


「な、何をされるんですか……?」


「何するか分かんねーから言ってんの。……今の俺の一番の弱点は、お前だから……」



 最後はか細く告げ、恭介さんは視線を落とした。どこか苦しそうなその表情の真意が、私には分からない。


 そもそも、本当に九龍さんは、恭介さんの事を嫌っているのだろうか?



『逃げていーんだよ、どうしようもない時は』


『もしも迷いがあるんなら、簡単には逃げんな。でも、立ち向かったら壊れるって分かってんなら、さっさと逃げろ』


『──って、恭介なら言う。多分』



 以前そう語っていた彼の言葉からは、恭介さんに対する信頼のようなものを確かに感じた気がする。だが、あれも全て演技だったのだろうか。



「……恭介さんと九龍さんって、最初から仲が悪いんですか……?」



 控えめに尋ねてみれば、恭介さんの眉がぴくりと動く。彼は掴んでいた私の肩を離し、踵を返して歩き始めた。



「……いや。高校の途中までは仲良かった。幼稚園からずっと一緒で、塾も、習字教室も、ずっと同じとこ通ってたし」


「じゃあ、どうして……」


「高校の終わり頃、色々あったんだよ。……悪いけど、あんま言いたくない」



 地面の砂を踏みしめ、下を向く猫背がちな背中が門をくぐり抜ける。やがて彼は俯いたまま、「でも……」と言葉を続けた。



「アイツは、多分、これからも……」


「……」


「……俺の事を、一生許してくれないんだと思う」



 ただ一言、こぼれ落ちた言葉。


 じゃり、と音を立てた砂を踏む私の目には、いつも見てきたその背中が、まるで幼い子供のように寂しげに映った──。




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