第23話 不意打ちにご用心

「美味しかったね~、パンケーキ」



 こつ、こつ、と道路の白線の上を歩きながら、九龍さんが満足げに振り返る。


 店を出て数十分。

 私たちは、最初に待ち合わせた駅前のベンチまで戻ってきていた。


 私はぴたりと足を止め、彼に深く頭を下げる。



「お、奢ってもらっちゃって、ごめんなさい……! ごちそうさまでした! ありがとうございました!」


「んー? 気にしなくていーよ。それより美味しかった? ベリーソースの方」


「あ、はい、とても! フレンチトーストとか、他のメニューも美味しそうでした! 恭介さんに頼んで、作ってもらおうかなあー、なんて……」



 と、つい私が恭介さんの名前を出したところで、九龍さんが私の口元を大きな手のひらで覆った。



「ピピーッ、減点。デート中に他の男の名前出すのはご法度でーす」



 笛を吹く審判のような真似をして、九龍さんは私のひたいに軽くチョップする。「あいたっ!」と眉根を寄せれば、彼はにやにやと楽しそうに私を見下ろした。



「いい反応すんね~、ハナコちゃん」


「……い、意外と痛かったです……」


「ごめんごめん、つい可愛くてさあ。すぐ意地悪しちゃうの♡」


「かわっ……!? も、もう、からかわないでください……」



 かあ、と無意識に頬が熱くなる。おそらく真っ赤になっているであろう私の顔を楽しげに見つめた九龍さんは「からかってなんかないのに~」と軽い口調で続けた。



「──ま、何にせよ、今日のデートはこれでおしまいかな。俺的に、満足度は1万円分って感じ? ……っつーわけで、あと1万円分、次回もデートよろしく♡」


「えっ!? ま、まだあるんですか!?」


「そりゃそーだよ、だって満足度1万円分だもーん」



 しょーがないじゃん? とわざとらしく頬を膨らませる九龍さん。いまいち本心の読めない彼に困惑しつつ、私はおずおずと口を開いた。



「……あ、あの、じゃあ……次は、ちゃんと九龍さんのを、食べに行きませんか?」


「……、は?」


「だって、九龍さん……本当は、甘い物とか……あんまり好きじゃないんじゃないかなって、思って……」



 間違ってたらすみません、と付け加えつつ、彼に視線を向ける。九龍さんはサングラスの奥の目を丸め、じっと私を見つめた。



「……何で、そう思った?」



 やがて、ぽつりと問い掛けられた言葉。

 私は慌てて答えを返した。



「あ、えと……く、九龍さんがパンケーキと一緒に頼んだコーヒー、ミルクも砂糖も入れずに、ブラックで飲んでたから……! しかも、パンケーキと一緒に飲むって感じじゃなくて、最後に口直しでもするみたいに一気に飲み干してて……」


「……」


「もしかして、本当は甘い物、そんなに好きじゃないのかなあって……」



 最後の方は尻すぼみになりながら、私は続ける。勘違いだったらごめんなさい、ともう一度謝ろうとした直後、その場には短い笑い声がこぼれた。


 見上げれば、九龍さんはくつくつと喉を鳴らして笑っている。



「……九龍さん?」


「……ほんと、どこまでもとそっくり」


「……え?」


「恭介が執着すんのも分かるわ、なんか。まあ、何でもいいけど……ひとつだけ忠告はしとくよ、ハナコちゃん」



 九龍さんは急に声を低め、顔を近付ける。私はびくりとたじろいて硬直した。


 そして、彼は告げる。



「──恭介が見てんのは、あんたじゃない。アイツはあんたに別の奴の影を重ねて、をしてるだけ」


「……え……」


「恭介の優しさはあんたのためじゃなく、アイツのただの自己満足だ。アイツは過去のあやまちを無かったことにするために、あんたを利用してる。覚えときな、鼻たれハナコ」



 ──アイツの親切は善意じゃないよ。


 そう耳元で囁いて、九龍さんの香水の匂いが鼻先を掠めた。やがて目が合った彼はにこりと微笑んでいたけれど、その本心はやはり見えない。



「あ、そうだ! 最後に写真撮ろうよ。記念に♡」



 そして今度は唐突に、そんな事を言い出した。



「……あ……あの……」


「はい、こっち見て。笑って笑って~」



 内側カメラインカメに設定されたスマホの画面を掲げ、九龍さんは私の肩を抱いて密着する。戸惑う私は目を泳がせて困惑したが、「ほら、撮るよ~」と続いた声に導かれて顔を上げた。



「はい、チーズ」



 ──ちゅっ。


 刹那、に押し当てられた感触。


 驚いて目を見開いた瞬間、ピッ、とスマホのシャッターが切られた。


 訪れる沈黙。端末に保存される写真。

 やがて恐る恐ると振り向けば、微笑む九龍さんと目が合う。



(……えっ……? い、いま、キッ……)



 何が起きたのかを少しずつ理解して、顔にふつふつと熱が集まる。そんな私を楽しげに見つめた彼は、「ごちそーさま」と笑って私から離れた。



「またね、鼻たれハナコちゃん。次回もよろしく」


「え……あ……」


「あ、今日俺と会った事、恭介には内緒ね。二人だけのヒ・ミ・ツ♡ じゃあね!」



 投げキッスと共にウインクを放ち、九龍さんは背を向けて離れていく。


 遠くなる彼の背中を見つめたまま、私は先程口付けられた頬を片手で押さえ、「ひょわ……」と謎の奇声を発して、立ち尽くす事しか出来なかった。




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