6月 - 残り3ヶ月

第22話 パンケーキと幸せの味

 結局、あの日恭介さんと舞奈さんが玄関先でどんな話をしていたのかは分からなかった。けれど「10分で戻る」という宣言通り、彼は本当に10分後には部屋の中へと戻ってきて。



「……ごめん。大学の友達だった」



 と、そんな嘘を私に告げた。


 正直に元カノだって言えばいいのに……と胸の奥が妙につっかえたが、素知らぬふりでやり過ごす。


 別に、恭介さんが元カノの事を教えてくれなくても、私には関係ない。だから「ただの大学の友達」という当たり障りのない関係性を主張した嘘であしらわれても、別にどうとも思わない。……はずなのだ。


 けれど、あんなに餃子が美味しくて幸せだった気分も、なぜだか急に落ち込んでしまう。どうにも胸がざわついて、その後の餃子の味はあんまりよく分からなかった。


 そんなブルーな感情を抱えたまま、迎えてしまったのが土曜日の午後。私は駅前のベンチに座り、『デート』の約束をした九龍さんを待っていた。



(……ちょっと早く来すぎちゃった)



 ふう、と溜息を吐いてスマホの画面を見下ろす。


 九龍さんと会う事は、恭介さんには伝えていない。というか、二人が連絡を取り合っている事すらも多分彼は知らないと思う。


 九龍さんから「恭介には内緒にしといて♡」と頼まれているため、デートの事は伝えなかったが──本当に、黙っていてよかったのだろうか。



(……まあ、でも……私が誰と会っていても、恭介さんは多分、何も気にしないんだろうな)



 少し切なさを感じつつ、私は自分の爪先を見つめた。最近は暑いからとサンダルで出て来たけれど、さらけ出された自分の爪先にはペディキュアもトップコートも塗られていない。


 先日見た恭介さんの元カノさんは、遠目からでも明らかなぐらい綺麗に身なりを整えていた。くるんと長いまつ毛に、キラキラの爪。


 あんな美人さんと自分を比べるなんておこがましいとは思いつつも、ネイルのひとつもしていない自分の手足を見れば惨めに感じてしまう。



(……あーあ。私も、もう少し自分に自信のある女の子だったら良かったのに)



 ──でも、そんなの、もう今更か。


 そう考えて、また溜息をひとつ。


 するとその瞬間、背後からヌッ、と伸びてきた何かが私の頬にぴたりと触れた。同時に感じたのは、甘い香水の匂いと──冷たく湿った何かの感触。



「びゃあっ!? 冷たっ!!」


「あはは! 何その悲鳴~、『びゃあっ!』だって」


「く、九龍さん!?」


「ハロー、鼻たれハナコちゃん。随分早いじゃん、俺とのデートがそんなに待ちきれなかった?」


「ち、違います!」



 今しがた私の頬へと押し付けた『いちご牛乳』のパックを差し出し、現れた九龍さんが「なんだあ、残念」と微笑む。私は手渡されたいちご牛乳を受け取り、慌てて立ち上がった。



「あ、あの、九龍さん……! 今日は、一体何をしに……!」


「え? 何ってデートでしょ。血まみれハンカチの弁償代、残り2万円分の返済デート」


「う……いや、だからその、デートって……具体的に何をしたらいいのか……」


「あー、大丈夫大丈夫! そんな難しく考えなくていいよ。とりあえず俺と仲良くご飯食べて、イチャイチャしてくれればそれでOK♡」


「い、イチャイチャ!?」



 そんなのハードル高すぎる……! と私が顔を青ざめれば、九龍さんはニヤニヤしながら小首を傾げる。



「ん? 何、ほんとにこういうの慣れてないの? 恭介と毎日イチャイチャしてるんじゃないわけ?」


「へえっ!? し、してません!! そもそも、恭介さんとは家がお隣同士なだけで、それ以上は何も……!」


「え、家隣同士なの? あのボロアパートの? あはは! 何それ、ウケる」



 九龍さんはサングラスの奥の目を楽しげに細め、自分の分のカフェオレのパックにストローを差し込んだ。


 直後、彼は私の手を握る。



「──ま、とりあえず歩きながら話そうよ。デートらしく、手でも繋いでさ♡」


「えっ……!?」


「はい、れっつごー」



 ぢゅー、とカフェオレのストローを吸い上げながら、九龍さんは歩き始めた。ゴツゴツしたイカついデザインの指輪がいくつも嵌められた指が、私の小さな手に絡まる。


 私は頬を赤く染め、おろおろと戸惑いつつも、強引な彼について行くしかなかったのであった。




 * * *




「──ねえねえ、ハナコちゃん。こっちのフレンチトーストと特大パフェ、どっちがいいかなあ?」


「……」


「あっ、でもこのパンケーキもいいなあ。ベリーソースとキャラメルソース……んー、迷うねえ」



 メニューを片手に、九龍さんがあれこれと呟く。そんな彼の正面に腰掛けた私は、かちんと硬直してしまっていた。


 床は白木のフローリング、同じく白い木製テーブルと椅子が並べられた店内。全体的に白を基調としたアイテムでシンプルにまとめられたその店は、キラキラのオーラをまとうお姉さんや若いカップル、楽しそうな女子高生で埋まっている。


 こ、これは。

 まさに、私が雑誌でしか見た事がない、あれだ。



(……オシャレなカフェだ……!!)



 はわあ、と感嘆の息が漏れた。瞳を輝かせながらキョロキョロしている私に微笑んだ九龍さんは、「喜んでくれたみたいで良かった~」とメニューを差し出す。



「俺、キャラメルソースのパンケーキにしよ。ハナコちゃんは何にする?」


「え!? あ、えと、じゃあ──」



 つい、オシャレな店内にばかり気を取られてしまっていた。慌ててメニューに視線を落とし、「これで……」とベリーソースのパンケーキを指さす。


 しかし、すぐに私は頬を引きつらせた。



(えっ、高っ!? これで1,500円!?)



 想定外の値段に驚愕し、サッと指を引っ込める。ホットケーキミックスで作った方が良いんじゃ……と元も子もない事を考えていれば、「これがいいの?」と笑った九龍さんにメニューを奪われた。



「あ、いえ、あの!」


「すみませーん、これとこれお願いしまーす。あとコーヒー」


「あぁぁ……!」



 あたふたしているうちに、九龍さんは近くにいた店員さんにパンケーキを注文してしまった。彼はピアスの光る唇をにんまりと緩め、「遠慮したらダメよぉ、ハナコちゃん」と告げてメニューを閉じる。



「ご、ごめんなさい……もっと安いのにしたらよかった……」


「あは、いいってば」


「でも、3万円分の返済するためのデートなのに、私ばっかりお金使わせちゃって……」


「あ、じゃあさー、こうしよ。俺が美味しいパンケーキ奢ってあげる代わりに、何で恭介と“仲良しこよし”してるのか教えてよ」


「えっ?」



 ぱちり、瞳をしばたたく。やがて「付き合ってるわけじゃないんでしょ?」と続いた彼の言葉に、私はぶんぶんと首を振った。



「つ、付き合ってません! そんな、恐れ多い……!」


「ヤッてもないんだ?」


「ヤッ……!? そ、そんな事するわけないじゃないですか!」


「へー。でも、なーんかあるっしょ? ただのお隣さん同士で、一緒になんて普通しないもん」



 頬杖をつき、口角を上げながら彼は問い掛ける。なんでそんな事まで知ってるんだろう……と戸惑いつつも、私はおずおずと口を開いた。



「……べ、別に、何もありません。ただ、私が危なっかしいから、毎日恭介さんが晩ご飯を作ってくれてるだけで……」


「え、何? アイツがハナコちゃんの晩メシ作ってんの? 何で?」


「そ、その……全部、私のせいで……あの……」



 事の経緯いきさつを詳細に説明する事ははばかられ、私はもごもごと口籠くちごもる。すると九龍さんは何かを察したのか、「あー」と目を細めた。



「……なーるほど、だいたい理解した。やっぱ“あの時”と同じだわ」


「……え?」


「くくっ、ほんと、どこまでも想像どおりでウケる。食いまくってる女を放っておけずに捕まえて、そいつに毎日晩メシ食わせながら自分のとこにってわけだ。恭介らしくて笑えるね~。寒気するわ、マジで」



 低い声で呟き、九龍さんは一瞬虚空こくうを睨んだ。その目がどこか冷たく感じて、「九龍、さん……?」と小さく呼び掛けてみれば、彼の瞳はゆっくりと私を映す。


 向けられた視線に思わず息を呑んだ頃──テーブルには、頼んだパンケーキが運ばれてきた。


 刹那、ぱっと彼の表情がほころぶ。



「あ、きた! 食べよ、ハナコちゃん。それとも先に写真とか撮る?」


「えっ……、あ……いえ……写真は、いいです……」


「じゃー食べよー! 見てこれ、うまそー」



 ニコニコと微笑み、九龍さんは早速フォークを手に取った。対する私もへらりと笑い、ケースの中からフォークを取り出す。



(……九龍さんって、何考えてるのか、全然わかんない……)



 密かにそう考えながら、私はベリーソースのパンケーキに視線を落とした。


 ふわふわ、しっとり。オシャレなカフェで食べる、初めてのパンケーキ。


 柔らかなそれを切り取って、ベリーソースと生クリームに絡める。ひとくち、口に運べば酸味と甘味が舌の上でとろけていって、きっとこれが幸せの味というのだろうと思った。


 けれど。



(……恭介さんなら、どんなパンケーキ作るのかなあ)



 そんな風に考えてしまった私は、もしかしたらすっごく嫌なヤツかもしれない。

 今、一緒にいるのは九龍さんなのに。


 だけどどうしても──私の頭の隅には、恭介さんの作る晩ご飯幸せの味の事ばかりが、チラついてしまっていた。




 .


〈本日の間食/パンケーキ〉

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