第21話 餃子とチャーハン
──ピコン。
『おはよーハナコちゃん。今夜ヒマ? 晩ご飯食べにいかない?』
『ごめんなさい、夕食はちょっと……』
──ピコン。
『じゃー昼間ならいいわけね。来週土曜にランチしよ、残り2万のハンカチ代返済デート♡』
『あの、わたし、あんまりお金なくて……』
──ピコン。
『おにーさんが奢ってあげるから安心しなさい、はい決定〜。来週土曜に駅前に迎えいくね。あ、恭介には内緒で♡』
「……う、うぐぐ……」
下唇を噛み、私はむむむと眉根を寄せる。バイブが震える音と共に、次々とメッセージを受信するスマホ。その向こうにいるであろう相手は、先日知り合ったばかりのお兄さん──九龍さんであった。
数日前に出会って以降、彼とはたまにメッセージでやり取りをしている。
正直、見た目が怖いし何考えてるか分からないし、あんまり関わりたくないけれど──ブランド物のハンカチを鼻血で汚してしまった弱みがある上に、スマホの中の連絡先まで消してもらった恩があるため──彼の連絡を無視する事には少し抵抗があって。
結果的に、こうしてずるずると連絡を取り合っているのだった。
「はあ……九龍さんも、押しが強いタイプの人だなあ……苦手……」
ぼそりと本音を呟き、夕焼けに照らされてオレンジ色に染まった階段を登る。するとその時、不意に私の鼻がぴくりと反応した。
「……!」
感じ取った匂いと共に、項垂れていた顔が勢いよく持ち上がる。ふわり、アパートの階段下まで漂うこの香り──分かる。分かるぞ、この匂い。
ニラ、ニンニク、ゴマ油……溢れる肉汁と、こんがり焼き色のついた魅惑の羽根。そのカリカリ感と外側のもっちり感がたまらない、そう、これは、きっと……!
「──ギョウザだあ!!」
「うおぉっ!?」
我慢ならず、開いていた窓を覗き込んで部屋の中に叫ぶ。するとコンロの前に立っていた恭介さんは大袈裟に肩を震わせ、目を見開いて振り返った。
「びっ……くりしたァ……! お前、いきなり叫ぶんじゃねーよ!」
「餃子! 餃子ですよね!?」
「無視かコラ。……正解だけど」
網戸を開き、呆れ顔の恭介さんがサランラップの箱でぽこんと私の頭を叩く。「痛いっ」と顔を顰める私を鼻で笑った後、「鼻がよく利いて
しかしそれすら気にならないほどに、私の胸は高鳴っている。それもこれも、全ては今夜の晩ご飯が餃子だからだ。
「餃子、餃子っ! 私、荷物置いてシャワー浴びたらすぐ行きますねっ!」
「……何、いつになくニコニコしてんじゃん。餃子好きなの?」
「大好き!」
即答し、口の中で勝手に溢れるよだれをごくんと飲み込む。窓の淵に肘をついた恭介さんは、「ふーん」と目を細めて微笑んだ。
「じゃ、とびっきり旨いヤツ作らねーとな」
「わあ、楽しみ……!」
「ほら、さっさと準備してこい。焼き上がっちまうぞ」
「ラジャー!」
ぴっ、と片手を上げ、満面の笑みで自宅へと戻る。「……ほんと、食いもんの事になると元気だよな……」と密やかに呟かれた声は、聞こえなかったふりをした。
* * *
「わー! すごい! 綺麗な羽根付き餃子!!」
シャワーを済ませ、髪も濡らしたまますっ飛んできた私は、既に焼きあがっていた餃子に瞳を輝かせる。
そんな私に恭介さんはタオルを投げつけ、「おい、また風邪ひくだろ! ちゃんと髪拭け!」と目尻を吊り上げた。先日私が熱を出してしまって以来、彼は健康管理に厳しい。
「最近暑いし、そんなに心配しなくても大丈夫ですよぅ」
「だーめ。お前危なっかしいんだから。この前もめっちゃ怪我して帰ってきただろ、溝にハマってコケた~とか言って。子供かよ」
「……あ、あれは反省しています」
ぐむむ、と眉根を寄せて首にかけたタオルを握り込む。逃げるように顔を逸らした私は、やがて焼きたての餃子が置かれたテーブルの前にゆっくりと腰掛けた。
目の前の餃子は、油を纏ってキラキラ輝いている──ように見える。
「ふわぁ……餃子、たくさん……!」
「二人分の量がいまいち分かんなくてさ……気付いたら80個も出来ちまった。何回かに分けて焼こうぜ」
「ええっ、そんなに!? ま、祭りじゃ……!」
「うむうむ、祭りじゃな」
妙にテンションが上がってしまっている私のノリに合わせてくれた恭介さんは、程なくしてもう一つのお皿を運んできた。
香ばしい匂いの漂うそれは、綺麗なドーム型に形成されてお皿の上に乗せられている。
「あ! チャーハン!」
「冷蔵庫の余りモンで作った」
「美味しそう!」
ことんとテーブルに置かれたそれは、醤油とにんにくの香りが大変に美味しそうな中華の王道・チャーハンだった。
レタス、卵、ウィンナー、玉ねぎ、かまぼこ……そんな具材と共に炒められたそれが、オシャレなお皿の上で輝いている。恭介さんは最後に春雨サラダのお皿を置いて、私の向かい側の椅子に腰掛けた。
「恭介さん、早く、早く! “いただきます”しましょう!」
「あー、はいはい。じゃあ、両手を合わせてください」
「はい!」
「いただきます」
「いただきます!」
いつもの挨拶と共に、私は早速お箸を握る。綺麗に広がる茶色い羽根をぱりぱりと崩し、餃子を一つ摘んで迷わずそれを口に運んだ。
じゅわり、溢れる肉汁。ニラとニンニクの風味が口の中いっぱいに広がり、その美味しさにはもはや感動すら覚える。
やはり、彼は魔法使いなのだ。間違いない。
「おいっっしい! 天才です!」
「はいはい、今日の大袈裟褒め言葉いただきました〜。酢醤油とラー油いる?」
「あ、いります! でもすごい、何もつけなくても美味しい!」
「ちょっと濃いめに味付けた。とびっきり旨いの作るって言ったろ?」
有言実行だな、と不敵に笑い、彼も餃子を口に運ぶ。
見た目までこだわる恭介さんの餃子は、ひだの形まで丁寧で、皮が破れたりもしていない。一つ一つのタネを包んで、80個分もひだを作ったのだろうか。手間かけてるなあ、と思わず感心した。私にその根気はない。
そんな事を考えながら、私はチャーハンにも手を伸ばす。洗い物が増えるだろうに、ちゃんとレンゲまで用意してくれるあたりが彼らしい。
「わー、すごい! ちゃんとパラパラチャーハン!」
「良いだろパラパラ。具材は余りモンだけど、味は店のにも負けず劣らずだぞ」
「ほんとだ、美味しい! やっぱり恭介さんは天才です! 私の作るチャーハン、いつもベチャベチャになっちゃうもん」
「家庭用のコンロで作るにはコツがいるんだよ、チャーハンは」
恭介さんはそう言い、また餃子をぱくりと口に運ぶ。
「使うなら、炊き立てよりも冷凍してチンしたご飯。でも普通に炒めたらベチャベチャになるから、一旦水洗いして粘り気を取んの。そんで具材炒めてご飯も入れたら、フライパンは極力振らない事。それがコツかな」
「え、振らない方がいいんですか? なんか、チャーハンって振りながら炒めるイメージあるのに」
「あれは料理人の使うコンロの火力が強いから、焦げないように振ってんだって。一般家庭のコンロだとそこまで火力ねーから、振れば振るほど空気が混入してベチャベチャになるんだと」
「へえ〜」
美味しいチャーハンを口に運びながら頷く。なるほど、私はチャーハン作る時にたくさんフライパンを振ってたから、あんなにベチャベチャになっちゃってたのか。
「手間かけずにパラパラにしたいなら、卵とご飯をあらかじめ混ぜてから炒める、っていうお手軽なやり方もある」
「先に卵かけご飯状態にしてから炒めるって事ですか?」
「そうそう。でも俺は卵のふわふわ感も楽しみたいから、あんまりやらないな」
そう言い、恭介さんは冷たい緑茶を一口飲んだ。「にんにく食う時は緑茶がいいんだよ。匂いが明日まで残るのを防いでくれるから」と、これまたどこで得たのかよく分からない知識を口にする彼に一瞬ぽかんとしながら、私も慌てて緑茶を喉に流し込む。
「確かに、今日はにんにくフルコースですね……」
「明日、バイトは?」
「お休みです」
「じゃーいいじゃん」
俺は明日一限からだからやべー、と言いつつ、彼はまた餃子に箸を伸ばした。
それにしても、ニンニクって性格が悪い食べ物だなあ、と思う。だって次の日まで臭いが残るくせに、こんなに美味しいんだもの。
「……ふふっ」
「……? お前どうした、いきなりニヤけて」
「いえ、なんでもないです……あまりに自分のセンスがなくて……」
「はあ?」
何言ってんだこいつ、とでも言いたげな視線を向けられる。それをへらりと笑って誤魔化した頃、ふと、伸ばした箸の先に残る餃子がラスト1個になってしまっている事に気が付いた。
「あ、もうなくなっちゃった」
「第2弾も焼くか」
「ぜひ!」
満面の笑みで答えれば、見計らっていたかのようにお腹がぐぎゅぎゅっ! と音を立てる。慌ててお腹を押さえた瞬間、恭介さんは「ぶはっ!」と吹き出して優しく目尻を緩めた。
「いや、どこがセンスないんだよ、超センスあるだろお前。このタイミングで腹鳴るって……ぶくくっ……!」
「む……」
「あー、おもしろ。ほんと、腹鳴りハナコが健在で安心するわ。食い意地モンスター、腹ぺこ虫」
ふっ、と笑った彼はそう言って椅子から立ち上がり、空になった餃子のお皿を引き上げる。『
「私の名前はエリコです!」
「そーでしたっけ」
「……でも最近、“ハナコ”呼びに少し愛着がわいてきました」
「じゃーいいじゃん」
2皿目の餃子をフライパンに並べながら、恭介さんは楽しげに答える。むうう、と頬を膨らませてチャーハンを口に運ぶ私だったが、ふと、先日九龍さんにも「ハナコ」と呼ばれた事を思い出した。
「そういえば、私……恭介さんのお友達からも、ハナコって呼ばれてるんですよ」
何気なくそう口にすれば、恭介さんの動きがぴたりと止まる。程なくして振り向いた彼の表情は、どこか
「……は? 俺の友達って誰?
「あ、いえ、鳥羽さんじゃなくて──」
──と、そこまで続けた時。
不意に部屋の中には、ピンポーン、とインターホンの音が鳴り響いた。恭介さんはちょうど点火しかけていたコンロから手を離し、玄関の扉に目を向ける。
「……あ、宅配かも。ちょっと待ってて」
彼はそう言い、コンロの火はつけずにキッチンから離れた。
何か頼んでたのかな、と大して気に留めず、私は再び美味しいチャーハンを口に運ぶ。
しかし、玄関へと
「やっべ……!」
「えっ?」
「ちょ、ハナコ! お前ちょっと寝室に隠れてろ!」
「へ!? え、え!?」
「いや、マジでちょっとごめん! しばらくそっちの部屋で食ってて! マジごめん!」
恭介さんは慌ただしく私を立ち上がらせ、寝室の
い、一体何事……? と戸惑いながらも気になってしまい、私は今しがた閉められた襖をこっそりと開く。
すると同じ頃合で玄関の扉も開かれたようで、やがて彼の声が聞こえてきた。
「……あのさあ! 俺、家には来んなって言わなかった? こういうのマジでやめて、迷惑だから……」
「えー、そんな事言ってたかなあ? ていうか、久しぶりに会ったのに恭ちゃん冷たくない? ひっどーい!」
「……!」
続いて、耳に届いたのは女の人の声。その声に私が目を見開いた頃、恭介さんは大きく溜息をこぼした。
「……今、飯食うとこなんだよ。忙しいからまた今度にして」
「じゃ、明日来ていい?」
「嫌だ、無理。来んな」
「えー」
「とりあえず、今日はもう帰れよ。話なら電話で聞くから。──なあ? 舞奈」
直後、恭介さんの口から発せられたのは、彼の元恋人の名前。それを耳で拾い上げ、私はつい息を呑む。
僅かに開いた
.
〈本日の晩ご飯/餃子とチャーハン〉
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