第13話 海と魚と腹ぺこ虫

 生まれて初めてバイクに乗ってみた感想としては2つある。


 1つは、安全運転を心がけてくれた恭介さんの配慮のおかげで意外とあんまり怖くなかった、って事。


 そしてもう1つは、地肌に風を受けて走行するのが、5月と言えど思った以上に寒かった、って事で。



「ううう……寒い……」


「大丈夫か?」



 恭介さんは二人を繋いでいた紐の結び目を外しながら、私の顔を覗き込んだ。しかしその問いに答える余裕すらもない私は、冷たい体を縮こめて震える事しか出来ない。



(も、もっと着込んでくれば良かった……)



 今更後悔したところで遅いわけだが、日中でこれならば帰りの道中は更に気温が危ぶまれる。帰り着く頃には凍え死んでいるのでは、とぐるぐる考えていると、ようやく繋いでいた紐を外した恭介さんが「あー……」と言いにくそうに口火を切った。



「えーと……なあ、ハナコ……」


「……はい?」


「その、そろそろ……」



 離れていいんだけど……、と言葉が続き、私はハッと目を見開く。寒さのあまり忘れていたが──私は未だに彼の腰にしがみついたままだったのだ。


 途端に顔が発火しそうなほどの熱を持ち、「びゃあッ!?」と奇声を上げながら私は即座に彼から離れる。



「す、す、すみません!! ももも申し訳ございませ……!!」


「……いや……いいけど……」



 混乱してどもりまくる私の前で、恭介さんは目を逸らしながら首の後ろを掻いた。そのまま後部シートから飛び退いた私に続いて、彼もバイクから降りる。


 ヘルメットを外した彼は、「ちょっと退いて」と私の座っていたシートの下を開けた。

 現れたのは収納スペース。そこに自分のヘルメットと眼鏡をしまっている。そんな彼の様子を眺めながら、へえ、バイクってここに収納出来るんだ……と私はぼんやり考えていた。


 その後、やはりヘルメットをうまく外せなかった私は再び恭介さんにヘルメットを外してもらい、「お嬢様かよ」と呆れる彼に申し訳なく思いながらも有り難く甘えておいた。そしていよいよ、私達は水族館へ向かって歩き出す。



「……ゴールデンウィークだし、やっぱり人多いですよね?」


「あー、今の時期イルカショーとかいつもより気合入ってるらしいしな。子供連れとか多いと思──」


「うわあ! 見てください恭介さん! 海!」


「いや聞けよ、自分から話題振っといて」



 不意に視界に入った青い海につい彼の言葉を遮ってしまい、私は「あ、ごめんなさい」と謝りつつも輝く瞳を抑えきれずに遠くの水平線を見つめた。海のない町で育った私にとって、青々と広がる大海原はいつまでも遠い憧れなのだ。



「……海、好き?」



 ふと、恭介さんが背後から問い掛ける。私は振り返り、彼に向かって頷いた。



「はい! 特にお刺身が好きです!」


「え、そっち? 泳ぐ方は?」


「あ……私、泳ぎは苦手で……。それに小さい時しか、海で泳いだ事ないです」


「ふーん……」



 恭介さんは暫く考え込み、ややあって「分かった」と口を開いた。え、何が? と首を傾げた私に、彼は微笑んで言葉を続ける。



「夏になったら、一緒に海行こうぜ」


「……え!?」


「夏ならバイクも寒くねーし、ちょうどいいじゃん」



 可愛い水着買っとけよ、と悪戯に笑い、彼はきびすを返して水族館へ続く階段を上がって行く。私は視線を泳がせ、「み、水着なんて、授業で使うやつしか着た事ない……!」と戸惑うばかりだった。



(……ね、ネットとかで、買えるかなあ……)



 ちら、とポケットの中で眠っているスマートフォンを一瞥する。その電源を入れるべきか迷ったが──私は小さくかぶりを振り、離れていく彼の背中を、慌ただしく追いかけて行ったのであった。




 * * *




「ふわああ……! 可愛い〜……!!」


「……可愛いか? これ」



 館内に入って、数十分。


 予想通り家族連れや学生、カップルなどでごった返した順路を巡り始めた私と恭介さんは、なかなか前に進めずにいた。──というのも、色とりどりの魚が泳ぐ小さな水槽の前で私が逐一立ち止まり、隣の見知らぬ子供にも負けず劣らずの勢いで「あれ見て下さい!」「これ可愛い!」とはしゃいでしまっているせいなのだが。


 ちなみに、今私が眺めているのは小さなハゼ。地面にぺたんとお腹を付け、ぼんやりしている様子がたまらなく可愛いのだが、背後の恭介さんにはその魅力がわからないようで。



「……あっちにいた、青い魚とかの方が綺麗じゃねえ? コイツ、なんかカエルとオタマジャクシ組み合わせたみたいな形しててキモ……」


「え? カエルって可愛くないですか?」


「はあ? 正気かよ。俺マジでダメ、爬虫類はちゅうるいは全部ダメ」



 カエルは両生類な気がするけど……、と思ったが、なんだか睨まれそうな気がしたから口に出すのはやめておいた。


 どうやら、彼は爬虫類系の生き物──いわゆるトカゲとか、カエルとか、蛇とか──が苦手らしい。


 中でも特に蛇がダメらしく、「あんな見た目も凶悪で毒まである生き物、マジで大嫌いだわ」と顔を引き攣らせていた。自分は爬虫類っぽい顔立ちのくせに、と少し突っ込みそうになったが、何とかこらえつつ人混みをかき分けて順路を進んで行く。



「あ、見て、恭介さん! タイ!」


「おおー。コイツ刺身にしたら美味そう」


「あ、鯛茶漬けとか……!」


「あー、いいな鯛茶漬け。つーか普通に、漬けにして胡麻で和えて食いたい。白飯と」


「あああ、絶対美味しいです……」



 ぐるぐるとお腹の音が鳴りそうになって、私はさっと腕でお腹を押さえつけた。今日はお昼ご飯食べてないから、なんだかお腹空いちゃったなあ、なんて考えながら、じっと水槽の中を泳ぐタイを見つめる。赤茶けたフォルムで優雅に泳ぐそいつが、もはや私の目には食材としてしか映らない。



「煮付けが泳いでる……」


「あー、煮付けもいいよなあ」



 大きな水槽の前で、私たちは大真面目に何を言い合っているんだろうか。


 獲物を見るような目で凝視しているのが伝わってしまったのか、目の前を泳いでいたタイはすっと身をひるがえして遠くへと泳ぎ去ってしまう。……まったく、生簀いけすを見てるわけじゃないのよ絵里子! 観賞用のお魚なのよ! と内なる自分に叫んでみたが、その後の順路を巡りながら思い浮かぶ魚たちへの感想も、徐々に「あれは美味しそう」「あれは不味そう」という評価に変わり始めてしまって。


 おそらくこの水族館のメインであろうパノラマ水槽のエリアに辿り着いた時には、周りに聞こえてしまうのではないかというほどに私のお腹がぐうぐうと喧しく鳴り続けていた。



「……うう、お腹すいた……」


「ぶはっ、サメ見た感想がそれかよ」


「だって……」



 かあ、と頬に熱が集まる。目の前の大水槽には大きなサメやマンタが泳ぎ回っていて、近くにはウツボまでいる。……そういえば、ウツボって食べれるんだろうか──と、またそんな事を考えてしまい、ぐうう、とお腹が喚き出す始末だ。



「……なんか食う? さっきあっちにレストランみたいなとこあったけど」


「食べたいです」


「即答かよ。さすが腹ぺこ虫」



 そういうとこがハナコらしいわ、と彼は薄く笑い、先ほど通ったレストランまでの順路を戻り始めた。欲望に素直になりすぎかな、と少々反省するが、仕方ないと思う。


 だって、私をこんなに食いしんぼうにしたのは──他でもない、彼なのだから。




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