第14話 ソフトクリーム


「……おい、まだ?」



 呆れたような声が隣からこぼされる中、「ううう」と葛藤しながら顔を上げる。目の前に並ぶ色とりどりの食品サンプルをじっと目で追いかけ、はあ、と嘆息している彼に申し訳なく思いながらも、私はようやく意を決して口を開いた。



「──あの! バニラ味ください……!」


「はあ!? お前っ……! 散々悩んで結局バニラかよ!」


「えっ……!? あ、じゃあ……」


「あー、もういいもういい! すみません、バニラと抹茶で!」



 恭介さんは再び食品サンプルに視線を戻した私のパーカーのフードを引っ掴み、逃げ出した猫の首でも掴むみたいに上へと引き上げた。「ぐえっ」と可愛くない声を出してしまった私だったが、ふと恭介さんが自分の財布から二人分の小銭を出しているのを目撃してしまい、大慌てで止めに入る。



「あああっ、そんな! 大丈夫です! 私、自分の分払いますから!」


「いいって。ソフトクリームぐらい奢らせろよ」


「でも……!」


「あのなー、こういう時は甘えとけばいいの。俺の方が年上だし男なんだから、お前に払わせてたらカッコ悪ィじゃん」


「あぅ……でも……」



 いいんだよ! と半ば強引に押し切られ、結局その場は恭介さんがお金を払う事になった。甘えとけ、って彼は言うけれど、バイクを運転してもらったり、毎日晩ご飯を提供してもらったり、既に恐ろしく甘やかされている事を分かっているんだろうか。多分自覚ないんだろうなあ。


 と、そんな事を考えているうちに、バニラと抹茶のソフトクリームを持った恭介さんが戻ってきた。彼はきょろりと周囲に視線を巡らせ、奥のテーブル席を指さす。



「あの辺に座って食うか、水槽も近くにあるし」


「あ、はい! ……あの、ありがとうございます……」


「いいって。ほら」



 バニラのソフトクリームを受け取った後、私と恭介さんは色とりどりの綺麗な小魚が泳ぐ水槽の前で二人掛けのテーブル席に腰を降ろした。ツン、と尖ったソフトクリームの先端を口に含めば、ひんやり冷たいバニラ味が舌の上に広がる。



「あ、おいしい!」



 申し訳ない気持ちを蔓延らせていた表情から一変。途端に顔を綻ばせた私に、恭介さんがくすりと笑う。



「迷った甲斐があったな?」


「う……優柔不断ですみません……」


「ほんとだよ、大した種類もないのに何を迷ってたんだか」



 恭介さんはそう言いながら、抹茶味のソフトクリームを口に運んでいる。抹茶もおいしそうだなあ、とぼんやり考えながら彼の手元のそれを眺めていると、その視線に気付いたらしい彼がふと顔を上げた。



「……食う? 一口」


「え、いいんですか?」



 ぱあ、と瞳を輝かせれば、恭介さんは一瞬驚いたような顔をする。しかしすぐに目を逸らし、「ん、」と食べかけの抹茶ソフトをこちらに傾けた。



「あ、じゃあ、一口失礼します……!」


「……うん」



 空腹のせいで食い意地に占拠されている私のお腹が、ぐう、とまたも呻いている。私はわくわくと胸を高鳴らせ、彼の抹茶ソフトにぱくりと食らいついた。


 なめらかな舌触りと共に、抹茶のほろ苦さと甘いミルクの風味が舌の上に溶けていく。ああ、やっぱりこっちにしても良かったなあ、とぼんやり考え、私は彼のソフトクリームから顔を離した。



「……ふへへ、美味しいです」



 へにゃ、と思わず目尻が緩んでしまう。恭介さんは暫く私の顔をじっと見ていたが、やがて複雑そうに眉を顰めると「……へえ、なんか意外だな」と小さく呟いた。



「……意外?」


「いや、別に気にしなくていいんだけどさ、」



 彼は再び抹茶ソフトを自分の口元に移し、今しがた私がさらって行った一口分の空白の上を舌でなぞる。そっと掬い取った抹茶のソフトを口の中に隠してしまった頃、再び彼は言葉を発した。



「──絶対お前、とか気にするタイプだと思ってたわ」


「…………」



 ──かんせつきす。


 その言葉が頭の中を飛び交い、私の思考はぴたりと停止する。……かんせつきす……間接キス? あれ、待って。ちょっと待って。



(え? もしかして今、私……)



 恭介さんと、間接キッ──



「……っ!!」



 先程の自身の行動を思い返し、辿り着いた答えに私の顔はボフッ! と発火せんばかりの熱を持った。一瞬で頬が赤く染まり、やばい、まずい、どうしよう、と軽率すぎる己の行動を悔やむが、今更悔やんだところでもう遅い。


 一方で、目の前の恭介さんは私が己の失態を自覚して猛省している事に気が付いたのだろう。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら頬杖をつき、こちらを眺めていた。



「……あー、なんか、俺もバニラ味が食いたくなってきたなあー」



 更には、そんな事まで言い出す始末。


 私はただでさえ熱い頬が一層熱を帯びる感覚を覚え、手のひらに汗が滲むのを感じながらきゅっと眉間を寄せて唇を結んだ。いやこの人、絶対わざと私の反応を楽しんでるでしょ……!



「──なあ。俺にも一口くれよ、それ」



 楽しげに弧を描いた薄い唇が、徐々にこちらへと近付いてくる。私はどきりと心臓が跳ね上がるのを感じ、思わずたじろいだ。


 そ、そんなのだめです、また間接キスになっちゃう。あ、でも私も一口貰っちゃったんだし、こっちも返した方が……ああでも、どうしよう、どうしようかな、あああ、でもでも……! と脳内で葛藤を繰り広げている間に、私の手元まで近付いていた彼の口がかぱりと開いた。


 ──ぱく。



「あ……っ」


「ん、甘」



 一口分、薄く開いた唇が私の手元のソフトクリームを奪い取る。顔を離しながら長い舌で自身の唇をなぞった彼は、悪戯を成功させた子供のような表情でにやっと笑った。



「ほら。早く食わねえと溶けるぞ、ハナコ」


「……っ」



 私は熱く頬を火照らせたまま、コーンの淵から溢れ出しそうになっているバニラを慌てて舌で掬い取った。ちらりと目の前の彼に目を向ければ、何事もなかったかのように抹茶のソフトを口に運んでいる。


 そんな余裕の表情が、なんだか悔しい。



(う、うう……やられたぁ……!)



 今回は、完全に私の敗北だ。


 悔しい気持ちを抱えつつ、些か甘さが増したような気さえするバニラ味のソフトクリームを睨み、奪い取られた空白の上にがぶりと食らいついた。



 ──今日の晩ご飯は、とびっきり美味しいものを作ってもらわないとやってられない!



 そんな思いを胸の内で叫び散らした私だが、恭介さんとの水族館巡りは、まだまだ続くのであった。




 .


〈本日の間食/ソフトクリーム〉

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