第15話 デッエビ

 ひんやり冷たいソフトクリームを食べ終わって、どうにか体を冷やしたはずなのに、まだ熱く火照る頬が恨めしい。そんな私とは対照的に、前を歩く恭介さんは涼しい顔で淡々と歩いて行くものだから、更に悔しくてむう、と唇を尖らせた。


 水族館の中は相変わらず幻想的できらきらしていて、とても綺麗。ピークの時間帯を過ぎたのか、人の数も先程よりはだいぶ減ったように思える。


 とはいえ、大型連休の真っ昼間だ。

 気を抜けば恭介さんの姿を見失ってしまいそう。



「あ、ハナコ! あれ見ろよ、カニいる!」



 ふと、恭介さんが立ち止まる。指差した先に居たのは、見たことも無いぐらい大きなカニだった。



「え!? でっかい!!」


「デッカニだな、デッカニ」


「デッカニだあ……!」



 瞳を輝かせ、私はじっと目の前の“デッカニ”を見つめる。特に目立った動きは無いが、とにかく大きくて……、やはり美味しそうだ。



「あっ、見て下さい恭介さん! “デッエビ”も居ます!」


「ぶは! ……くくっ、いや……、“デッエビ”は流石に無理矢理すぎるだろ」



 くすくすと恭介さんが笑う横で、私はむう、と唇を尖らせる。“デッエビ”こと大きなエビは、じっとその場に居座ってどこか遠くを見つめていた。

 こんな大きなエビで作ったエビフライ、一度食べてみたいなあ、なんて。そんな事を考えながら、じいっと恭介さんを見上げてみる。



「……何?」


「……エビフライ……」


「ふっ……、何? “デッエビフライ”が食べたいんですか、お嬢さん」



 ……言うと思った。


 以前“おしゃカレー”で散々いじられたことを思い出し、私はむすりと口元をへの字に曲げる。恭介さんはくつくつと喉を鳴らして、「じゃー今夜は“デッエビフライ”にするか」と楽しげに笑った。ああ、これはしつこくイジられるパターンだな。くそぅ。


 脳内だけで文句を垂れながら更に唇を尖らせる私だったが──その時不意に、「あれえっ!?」と別の声が響いた。


 直後、隣の恭介さんが「げっ……!」とあからさまに表情を歪める。



「──恭介じゃん!? お前、何でこんな所いんの!?」


「……っ、と、鳥羽とば……!?」


「?」



 親しげに声を掛けて来た男の人は恭介さんに駆け寄り、がしりと彼の肩を掴んだ。途端に、恭介さんはたじろぐ。焦っているのか、その目は珍しい事に随分と泳いでいて。



(……お友達、かな……?)



 声を掛けて来た彼は、おそらく恭介さんの大学のお友達だろう。何故か恭介さんはあまり嬉しそうな顔はしていないようだが……と、そう思った矢先に、恭介さんのお友達は彼の肩を引き寄せて大袈裟に声を荒げた。



「おいおい恭介、お前! 俺が誘った時、『水族館なんか興味ねえ』って癖に何で居るんだよ!? ちゃっかりチケットだけ持って行きやがって!」


(……え?)



 ──誘いを、断った?


 どういう事だろう、と首を傾げて、私は立ち尽くす。

 私を水族館に誘ったのは、間違いなく恭介さんだ。確か、「一緒に行く奴が誰も居ないから」という理由で誘われたはずだったけれど……。


 意味がうまく咀嚼そしゃくできずにぽかんとしていれば、不意に男の人──鳥羽さんというらしい──と視線が交わった。彼は一瞬驚いたように目を丸めたが、やがてその目を細め、私の顔をまじまじと見つめる。



「……ん~? あれ? 君、どっかで見た事あるよーな……」


「……え?」


「あ! 思い出した!! 恭介のスマホの中にあったの子!!」


「あっ! おい馬鹿!!」



 閃いたとばかりに鳥羽さんが声を上げる。恭介さんは今度こそ焦ったように彼の口をガボッ! と片手で押さえ付けたが、私の耳にはハッキリと届いてしまった。



「……写真……?」


「い、いや、違っ、……その……!」


「写真って……もしかして、この前の猫の……?」



 じと、と睨むように恭介さんを見上げる。

 そういえば先日、バイトの帰りに猫と戯れているところを彼に盗撮された事があった。あの時、彼は頑なに「撮ってない」と言い張っていたが──やはり撮ってるじゃないか、とつい眉根が寄る。


 しかし予想に反し、恭介さんはきょとんと不思議そうに瞳を瞬いていて。



「は? 猫?」


「……あれ? 違うんですか? ほら、この前、バイトの帰りに盗撮して……」


「……っ、あ、あぁー! そ、そう、あの写真! 猫のやつ! それ、こいつが勝手に見たんだよ! なあ鳥羽!」


「ぐえっ!」



 妙な間を開けてへらりと微笑んだ恭介さんは、隣の鳥羽さんの首を強引に締め上げながら明るく頷く。どこか怪しいその態度に多少の違和感は感じたものの、盗撮された事実の方が聞き捨てならない私はむすっと唇を尖らせて彼を睨んだ。


 そんな私達の周りで談笑していた大学のお友達らしき人達は、「先行っとくよー」と鳥羽さんを残してその場を離れて行く。恭介さんに首を締め上げられていた鳥羽さんは慌てたように振り向き、「あー! 待って俺も行く!」と声を張り上げた。



「ってわけで恭介、俺行くわ! ったく、俺の誘い断って自分だけとデートしやがって。来週大学で説明しろよ!」


「……、かッ!?」



 ──カノジョ!?


 鳥羽さんの口から飛び出したとんでもない単語に、私は目を見開いて硬直してしまった。しかし恭介さんは否定も肯定もせず、「あー、分かったよ……」と面倒くさそうに答えて彼を突き飛ばす。

 いってえ! と鳥羽さんは不服げに恭介さんを睨みつつ、私に向かってニコッと明るい笑みを向けた。



「じゃ、恭介のカノジョちゃん、またね。こいつ、マジでむっつりスケベだから気を付けて」


「……へっ……!?」


「うっせー黙れ鳥羽! 早く消えろ!!」


「ひえー、怖っ!」



 怒鳴った恭介さんにわざとらしく肩を竦め、へらへらと笑った鳥羽さんは先に順路を進んで行った仲間の元へと駆けて行く。彼の姿が人波に呑まれて消えてしまった頃──恭介さんは気まずそうに首の裏を掻き、黙りこくっている私に口を開いた。



「……アイツの言った事、気にしなくていーから」



 ぼそりと呟かれた言葉に、私は目を泳がせる。


 ──若い男女が、休日の昼間に、水族館で二人きり。


 その状況を客観的に想像して、やがて私の頬は急速に熱を帯びた。


 それって確かに、どう考えても──デートだ。



「……わ、わ、私達、って……」


「……」


「そ、そういう風に……見えてるん、ですかね……?」



 おずおずと、みなまで言わずに尋ねる。すると私の言わんとする事が伝わったらしく、「あー……」と首を掻きながら彼は目を逸らした。



「……まあ……見えるだろ、そりゃ……」


「!!」


「仮にも、男と女なんだし……」



 言いにくそうに告げられた言葉。私は頬を赤らめたまま、視線を忙しなく泳がせて「ごごごごめんなさい!!」と真っ先に謝罪する。すると彼は眉を顰めて「はあ? 何が?」と問い掛けた。



「だ、だ、だって……! 私なんかとお付き合いしているってお友達に勘違いさせてしまって、すごく申し訳なくて……っ、あの、即刻誤解を解いて謝罪会見を開きますので……っ!」


「待て待て、落ち着け。何だ謝罪会見って」



 混乱の末に支離滅裂な言葉が次々と飛び出し、恭介さんの呆れたような視線が突き刺さる。「お前、テンパると意味わかんねー事言うよなあ……」と溜息混じりに続けて、彼は首の後ろを掻いた。



「……まあ、気にすんなよ。来週大学で会った時に、ちゃんと誤解だって説明しとくし……」


「……」


「つーか、そんなに嫌なのかよ。俺と付き合ってると思われんの」



 むす、と口元を曲げた不服気な彼が拗ねたようにこぼす。私は顔を上げ、「い、いえ! そういうわけじゃないんです!」と首を振った。



「た、ただ、その、恐れ多くて……」


「何が?」


「ほら、私……地味だし……スタイルも良くないし……恭介さんのカノジョさんになる人は、きっと……もっと、キラキラして可愛い人だろうから……」



 恥ずかしいです、と消え去りそうな声を紡ぐ。すると恭介さんは一層深く溜め息をこぼしてしまって、私はぎくりとたじろいだ。



「……何っじゃそりゃ。超どうでもいい心配だな」


「え、う……」


「お前さあ、もっと自信持てよ。『私みたいな若い子の隣歩けるんだからありがたく思え、ばーか!』とか言えばいいじゃん」


「ええ!? い、言えませんよ、そんなの!」



 はわわ、と顔面蒼白で震え上がる。そんな私に恭介さんはくすくすと笑って、「赤くなったり青くなったり、忙しい奴だな」と目を細めた。



「まあ、俺はハナコのそういう表情豊かなとこ、嫌いじゃねーけど」


「……う」


「ほら行くぞ、日の出てるうちに観て帰らねーと。“デッエビフライ”の準備が待ってるからな」


「……恭介さんの、そういうイジりがしつこいとこ、私は嫌いです……」



 うぐぐ、と下唇を噛み、私は前を歩き始めた恭介さんを追いかけた。



 ──そんな私達の後ろ姿を見つめている、鋭い視線にも、気が付かずに。





「……、恭介……?」


「ん〜? どうしたのぉ、九龍くりゅうくん」


「あー、いや……何でもない」



 ──ちょっと、が居ただけだよ。


 そう吐き捨てられた“誰か”の言葉が、私達の耳に届く事は、なかった。




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