第18話 ゼリー飲料〈side 恭介〉
時刻は午後3時過ぎ。
歌いたい曲もすっかり無くなっちまったし、そろそろ帰ってもいいかなあ。そう考えながら欠伸をこぼす。──鳥羽からの連絡が来たのは、ちょうどそんな頃だった。
──ブーッ、ブーッ。
着信を報せるバイブ音。俺は煙草片手にスマホの画面を一瞥し、トンッ、と指先でそれをタップする。
「……もしもし」
『あ、もしもし、恭介? 俺、今お前ん家の近くのコンビニいるんだけど、お前のカノジョちゃんがさ──』
「え? 何? カノジョ?」
『そう、ほら、お前が水族館で連れてた子! あの子に偶然会って、今一緒に居んの』
続いた言葉に、俺は眉を顰めた。
どうやら鳥羽はハナコと一緒に居るらしい。そう理解した途端、無意識のうちに眉間の皺が深くなる。
「はあぁ? いや、何してんだお前。アイツお前みたいなグイグイ系苦手なんだよ、見りゃ分かんだろ。さっさと離れろこの馬鹿」
『いや、それがさ、カノジョちゃん今かなり体調悪いらしくて』
「は?」
『いやマジ、デコめっちゃ熱いし、顔色も超悪い! 俺、今から車で家まで送ろうと思ってんだけど、一応恭介に連絡しといた方がいいかと思って──』
「──んだよそれ」
早口で続く鳥羽の言葉を
舌打ちをこぼした俺は即座に立ち上がり、まだ吸い始めたばかりだった煙草を灰皿に押し付けて伝票を手に取った。
「……状況はだいたい分かった。今からすぐそっち向かうけど、電車乗るからちょっと時間かかるわ。お前、車なら先にそいつの事送ってやって。俺と同じアパートだから」
『え? 恭介、同じアパートの子に手ェ出してんの? やだ〜、えっち〜』
「よし、お前あとで会ったら即グーパンな」
乱暴に扉を開け、苛立ちながら告げれば『ごめんて!』とへらへら笑う声が耳に届く。こいつ、マジであとで殴ろう。そう考えつつ階段を駆け下り、俺は受付カウンターの前で足を止めた。
「じゃあな。支払いすっから、一旦切るわ」
『ほーい』
「……あと、そいつに何もすんなよ。変な事したら殺すぞ」
最後の一言は思いのほか低い声で発してしまい、自分でも少し焦る。『えっ、怖……心配しなくても何もしませんよ彼氏サマ〜』とおどけた鳥羽はそのまま電話を切ってくれたが、俺の内心は穏やかではなかった。
いや、何マジになってんの俺。本当に付き合ってるわけでもねーのに。
(……つーか鳥羽のヤツ、『デコ熱かった』って言ってたけど……アイツに触ったのかよ……)
チッ、と再び無意識に舌打ちを放つ。モヤつく胸の奥をざわめかせたまま、俺はカウンターのバーコードにスマホを
* * *
それから約20分後、俺はアパートの前まで全力疾走で戻ってきた。駅からアパートまで普段ならば片道15分はかかるところを5分で駆け抜けて来たのだから、少しは褒めて貰いたいものだ。
アパートの下に停めてある鳥羽の
奥の助手席には、くたりと窓に寄りかかったハナコが鳥羽の
「おー、恭介! 思ったより早かったじゃん!」
「はあっ……、ガチ走りした……」
「わお、愛だねえ〜」
ドアを開け、鳥羽はにやにやと笑いながら外に出てきた。ひとまず先程の宣言通り、その肩を一発グーでぶん殴っておく。「痛ぁっ!?」と喚く
顔色の悪いハナコはすやすやと規則正しい寝息を立て、静かに眠っている。
「……確かに、顔色悪いな」
「痛たた……、だろー? デコも頬っぺも激アツだし、脈も爆速だったぜ、マジで! 俺の予想だと38度2分」
「つーかお前さ、勝手に色々触ってんじゃねーよ」
苛立ちつつ睨めば、鳥羽は「やだ怖い、恭ちゃんヤキモチ?」と肩を竦めた。クソ面倒くせえ、と嘆息し、俺はハナコの肩を揺さぶる。もちろん直接は触れず、服の上から。
「おい、起きろ」
「ん……」
「ハナコ、家ついたぞ」
呼びかければ、閉じていた瞼がゆっくりと持ち上がった。しかし随分ぼんやりしているようで、視線がうまく交わらない。意識が覚醒するまではもう暫くかかりそうだ。
「……結構やべえな、これ。一旦俺ん家に運ぶか……」
「おいコラむっつり恭介、理由つけてお持ち帰りする気だろ」
「馬鹿か、病人に手ェ出すほど飢えてねーわ」
鳥羽の額にチョップを放つ。「アウチッ!」と大袈裟に声を上げるバカは無視して、俺はハナコに背を向けた。そのまま細い腕を肩にかけて前に回し、彼女が頭をぶつけぬよう細心の注意を払いながら背負って立ち上がる。
少し地肌に触れてしまうが、これは仕方ない。『お互いの体に触れない』という決まりだが、『やむを得ない場合は除く』という追記があるのだから、この場合はセーフだ。やむを得ない、やむを得ない。
そう考えた瞬間、ふとハナコが持っていたビニール袋の中身がバラバラと足元に落ちる。そこに散らばっていたのは──複数の、ゼリー飲料だった。
「……っ!」
「あー! 何やってんだよ恭介、落としちまって……これもカノジョちゃんのだから、ちゃんと持っていけよ」
「……」
「……? 恭介?」
落ちたゼリーを拾い集めて手渡した鳥羽に、俺は一瞬反応出来なかった。しかしすぐに我に返り、差し出されたゼリーの袋をぎこちなく受け取る。
「あ、あぁ……。鳥羽、色々ありがとな……」
「……あれ? 意外と素直じゃん。どうした急に」
「い、いや……何でもない。また連絡する。じゃあな」
辿々しく言葉を紡ぎ、俺は鳥羽に背を向けた。彼は暫く不思議そうに首を傾げていたが、やがて「おー、カノジョちゃんお大事にー」と片手を上げる。
そのまま再び車に乗り込んだ鳥羽に軽く手を振って、俺はアパートの階段を上がった。
──カン、カン、カン。
ハナコを背負ったまま階段を上がり、プップー、と軽くクラクションを鳴らして去っていく鳥羽の
俺は小さく息を吐き、くたりと力が抜けているハナコを踊り場で背負い直すと、片手にゼリーの袋を下げた状態で自室のある2階まで階段を上がった。
しかし、階段を上がった途端に俺の足はその動きを止める。ふわりと鼻を掠めたのは、ほのかに甘い、よく知る香水の匂い。
「……!」
「よーォ。遅かったじゃん、恭介」
「──っ、
思わず声が大きくなり、俺は身を強張らせた。
部屋の扉の前にしゃがみ込んでいた男──九龍は、丸いサングラスをかけ直しながらくすくすと笑って立ち上がる。
咥えていた電子タバコの吸殻を携帯灰皿の中に捨ててふらりと近付いてくる九龍を、俺はつい睨んでしまった。
「お前……っ、何しに来たんだよ……」
「おいおい、そんな嫌そうな顔すんなよー。幼なじみで大親友じゃん? 俺ら」
「……何が大親友だ。お前、俺の事嫌いだろ」
「あははっ! うん、まあね! 超絶大っ嫌い! 早く死んでくんねーかな~、っていつも思ってる♡」
黒いサングラスの奥で、悪びれる様子のない切れ長の瞳がにこりと細められる。「でも、可愛い女の子に『恭ちゃんが帰ってきたら教えて』って頼まれちゃったからさ〜、仕方なく待ってた〜」と続けた九龍の発言に、俺は全てを察してげんなりと表情を歪めた。
「……やっぱ舞奈か」
「そー、俺ってば可愛い女の子の
くす、と九龍は楽しげに口角を上げる。この
「好きにすれば。別に俺にはもう関係ねーし」
「クールでかっけー、さすが恭介! そうだよね〜、関係ないよねえ。──だって背中に、アイツの代わりが乗ってるみたいだもんねえ」
直後、低く発せられた言葉。俺は鍵を取り出したままぴたりと再び動きを止める。
握り込んだ鍵束が、チャリ、と静かに音を立てた。
「……何の事だよ。背中のこいつ、別に舞奈の代わりとかじゃねーけど」
「またまたぁ〜、しらばっくれてんじゃねーよ。俺が舞奈の
目を逸らし続ける俺の元へ、革靴の足音が近付いてくる。九龍は俺の背中で眠るハナコを一瞥し、「ふーん」と鼻で笑った。
「随分アイツにそっくりなの見つけたじゃん? しかも何、このゼリー。わざと? そういうとこまでアイツに重ねてんの?」
「……、違う……」
「じゃあマジでこのゼリー、この子が買ってきて食ってんだ? ははっ、ウケる! マジでアイツと同じじゃん。それで何、この子の世話して罪滅ぼしのつもりかよお前」
「うるせえ! 違うって言ってんだろ!! もう、帰れよ……お前」
顔を逸らしたまま声を荒らげ、俺は部屋の鍵をドアノブに差し込んだ。素早く鍵を解錠し、扉を開ける。
やがて「九龍、」と呼びかければ、サングラスの奥の目がじろりと持ち上がった。
「……お前、もう二度とここ来んな。舞奈には、俺が話するから」
それだけを告げ、扉を閉める。目を合わせようともせずに逃げる俺を、九龍は鼻で笑った。
「──そういうとこが嫌いなんだよ、恭介」
最後に告げられた彼の言葉も、俺は聞こえなかった振りをした──。
* * *
部屋に入って靴を脱ぎ、俺はまっすぐと直進して寝室の
年季の入ったフローリングを踏み締め、冷蔵庫の扉を開ける。
手に下げていたコンビニ袋を見下ろせば、『カロリーゼロ』と記されたゼリー飲料が5つ、その中に入っていた。
──そういうとこまでアイツに重ねてんの?
先ほど九龍に告げられた言葉が、不意に脳裏をよぎる。
「……違う」
呟き、ゼリーの入ったコンビニ袋を冷蔵庫の中へ詰め込んだ。ばたん、とやや乱暴に扉を閉め、俺は俯く。
──恭ちゃん。くーちゃん。
思い出したのは、そう呼んで俺達の背中を追いかける、幼い声。
「……違うよな……、アキ……」
呟いた名前は、静かなキッチンで回る換気扇の音に、掻き消された。
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