第10話 寝室へお邪魔します

「ゴールデンウィークって何か予定ある?」



 恭介さんが突然そんな事を言い出したのは、バイトから帰ってきた私が彼の部屋を訪れてすぐの事だった。私は瞳をしばたたき、暫し考え込む。

 ゴールデンウィーク。そういえばもう4月も後半に差し掛かっているのだから、大型連休と呼ばれるそれがやって来るのは当然だ。



「……今のところ、何にも……。あ、バイトぐらいなら」


「へー。だろうな」



 最初から分かっていたかのような口振りにいささかムッとする。いやまあ、勿論予定なんか無いんだけど。



「……何でそんな事聞くんです?」



 首を傾げつつ問い掛ければ、彼は「あー……」と少し言いにくそうに視線を泳がせ、やがてポケットから何かを取り出した。



「……これ。興味ある?」


「これって……」



 ぴらり。彼の手の中から出て来たそれをじっと見つめる。やがて、私は身を乗り出した。



「水族館!」


「……の、チケット。手に入れたんだけど、一緒に行くやついねーし、ハナコ行かねえかなって」


「い、行きたい……!」



 目の前の紙切れを見つめ、キラキラと瞳を輝かせる。


 隣の区に大きな水族館があるのだという情報を耳にしたことはあったが、まさか実際に行ける機会が来るとは思いもしなかった。



「で、でも、私でいいんですか……? 大学のお友達とかと行った方がいいんじゃ……」


「……いいよ。水族館とか行くやついねーし……」



 喜ぶやつと行った方がいいだろ、と小さくこぼして、恭介さんはそっぽを向いてしまう。首の後ろを掻きながら目を逸らす彼に、私はおずおずと頷いた。



「……じゃ、じゃあ、行きます」


「いつだったら空いてる?」


「うーん……。多分まだ希望休出せるので、いつでも……」


「ふーん。分かった」



 恭介さんはそう言ってスマホを取り出し、何やら画面を操作する。程なくして、「3日でいい?」と彼は私に問い掛けた。それに私はこくこくと頷く。



「分かりました」


「おっけ。じゃあ5月3日な。昼過ぎに迎え行くわ」


「はい! 覚えました! 53ゴミの日ですね!」


「……その覚え方、ちょっと嫌なんだけど……」



 不服げに眉根を寄せる恭介さんに、私はハッとして「ごめんなさい!」と即座に謝った。とは言え優しい彼なので、「……ま、覚えやすいならそれでもいいよ」と小さく笑ってキッチンに戻って行く。


 あ、そっか。よく考えたら、今は晩ご飯の準備の途中なんだった。



(……そういえば、今日は何作ってるんだろう)



 いつもならお出汁の匂いとか、大きなお鍋でコトコト煮込む音とか、そういうのでどんな料理を作っているのか何となく分かるのに。今日は彼が一体何を作ろうとしているのか、まだよく分からない。ちらりとキッチンを見ると、何やらたくさんの野菜が切って並べてあることだけは分かった。


 人参、ブロッコリー、アスパラ、スナップエンドウ、セロリ、カブ……あ、パプリカまである。彼の背後から不思議そうに眺めている私の視線に気が付いたのか、恭介さんは「今日のは多分難しいぞ」と微笑んだ。



「……難しいんですか?」


「ハナコが今まで一度も食ったことないやつかも」


「ええ……! パエリアとか……!?」


「え、パエリア食ったことねーの? 作ってやるよ今度」



 意外そうに目を丸めた恭介さんがさらりと言う。え、そんな簡単に作れるものなのパエリアって、と今度は私が目を丸めてしまった。あんまり馴染みのない料理でもあっさり「作ってやる」って言えるんだから、やはり彼はすごいと思う。



「……で、あの、正解は……?」


「ん?」



 じっと恭介さんを見上げると、彼は悪戯っぽく口角を上げた。あ、また少年みたいな顔。



「内緒。出来た時のお楽しみ」


「えー……」


「いいから座ってろ。……あ、そうだ。今日、あっちの部屋で食うから」


「へ?」



 きょとん、と私は瞳を瞬いた。彼の言う「あっちの部屋」とは、ふすまの奥にある彼の寝室のことである。

 普段は今いる部屋のテーブルに料理を並べて食事をしているのだが、何故だか今日は奥の部屋で食べるらしい。きょとんとしたまま首を傾げる私に、小鍋を片手に持った彼が半笑いで口を開いた。



「何で? って顔してんな」


「え、だって……。そもそも、あっちの部屋って入っていいんですか?」


「いいよ別に。変なもんとか無えし。……多分」


「多分……?」


「いや、無い無い無い。……でも漁んなよ!」


「漁りませんよ……」



 恭介さんは慌ただしく念を押す。おそらく何かやましいものを隠している、なんてことが無くも無いんだろうけど、流石に他人の寝室を勝手に物色したりはしないからそこは安心して欲しい。


 私は頷き、「じゃあ、あっちで待ってますね」と一言断って彼に背を向けた。「なんか適当に座ってて」と言う彼の言葉に頷きながら、ぺたぺたとフローリングの上を歩いていく。


 自分の部屋と同じ間取りの1DK。

 これが私の部屋であれば、この襖を開けても、薄っぺらい布団と小さいダンボールが1箱置いてあるだけだ。


 そっ、と襖を開けてみる。薄暗い空間からは、ひんやりとした空気に混じって少しだけ煙草の匂いがした。電気のスイッチをカチリと押せば、暗かった部屋が明るさを取り戻す。



「……」



 そこは、モノトーンを基調とした家具の揃えられたシンプルな部屋だった。私の部屋と同じ、和室六畳間。なのに雰囲気は全然違う。


 グレーのシーツが掛けられた簡素なパイプベッドに、黒いローテーブル。その上には同じく黒いシンプルな灰皿。畳の上には薄いカーペットが敷かれていて、本棚や収納箱は中身が見えないように薄手の布できちんとカバーが掛けてあった。

 ノートパソコンにはよく分からない英単語──おそらくバンド名──の記されたステッカーがいくつか貼ってあったり、壁にもよく知らない海外アーティストのカラフルなポスターが貼ってあったりするけれど、それ以外は全体的に無地のモノクロで統一されている小綺麗な部屋。そんな印象。


 恭介さんは服装も普段からシンプルだから、柄物とかはあんまり好まないのかもしれない──そんなことを考えながら、私はまじまじと彼の寝室を観察してしまっていた。



(……なんか、いい匂いするし)



 柔軟剤の匂いだろうか。どこからともなく、甘くていい香りがする。


 部屋は綺麗だし、料理は上手だし、いい匂いするし……。


 よく考えたら恭介さんって、その辺の女の子よりもよっぽど女子力高いよなあ、なんてちょっぴり惨めな気分になりながら、私は座椅子の上に腰を下ろした。



(あーあ……)



 ふう、と思わずこぼれ落ちた溜息。

 私みたいな何のこだわりもない女の子、ロクでも無い女だと思われたりしてないかなあ……してるんだろうなあ……。そんな被害妄想に耽っていると、ぐうう、と私のお腹が大きな音を立てる。図々しいお腹だ、ほんと、単純なやつ。


 今しがた音を立てたお腹を、私はぎゅっと両手で押さえ込んだ。からっぽのお腹。ぐうぐう、音が鳴るだけの。



(……なんだか、眠たい……)



 柔軟剤のいい香りと、トントントン、と野菜を切る一定のリズムが、心地よく耳に届いて。徐々に重たくなり始めた瞼をそっと素直に閉じてみたら、あっという間に意識が微睡まどろみ始める。



(……ねむ、い……──)



 そのままとっぷりと、私の意識は夢の中に沈んでしまったのであった。




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