第9話 茶碗蒸し
部屋の扉を開けた瞬間、
「炊き込みご飯ですか?」
「お、鋭いな。ちなみに何の炊き込みだと思う?」
「え? ……うーん……」
恭介さんはにやにやと笑いながらお鍋を火にかけ、中身をかき混ぜている。その隣のコンロでもお鍋を火にかけているようだが、そちらの蓋は閉められたまま。私は暫し考え込み、ややあってようやく答えを出した。
「……舞茸!」
「ブッブー、違います」
「じゃあ、しめじ!」
「それも違う」
「んー……! えのき……!?」
「違う。てか何で全部キノコなんだよ」
彼は小さく笑って、「他にもあるだろ色々」と呆れたようにこぼした。むう、と唇を尖らせる私の横をすり抜け、彼は保温状態になっている炊飯器の蓋をカチリと開ける。
「……あ!」
「この時期と言えば、これだろ?」
ふんわり、白い湯気と共に美味しそうなお出汁の香りが空気に溶けた。程よく色付いたご飯に混ざり、細かく刻まれた人参、油揚げ、しいたけと共に堂々たる面持ちでそこに居たのは。
「たけのこ!」
「そ。たけのこご飯」
に、と恭介さんの口角が上がる。しゃもじで中をかき混ぜれば、おいしそうな香りを閉じ込めた湯気がふわふわと空気に溶けた。途端に私のお腹はぐう、と音を立てる。
「私、たけのこ大好きです!」
「へえ、その割にはさっきキノコの名前ばっか出してたじゃん。てっきりキノコ派かと思った」
「う……! き、キノコも好きですけど! 私はタケノコ派です!」
「ふーん、俺はキノコ派だけどな」
にや、と弧を描く彼の口元に対し、私はむむむと眉根を寄せた。キノコ派タケノコ派って、食材のことだよね? お菓子の話じゃないよね? と、そんなどうでもいい考えを巡らせている間に彼はたけのこご飯を茶碗によそい始める。
「色はいい感じだな。味見してないけど」
「絶対美味しいですよ! 恭介さんの作った料理がまずかったことなんか一度もないです!」
「……ハードル上げるのやめてくんない?」
気まずそうに視線を逸らした彼は、よそったご飯を持って一度キッチンに戻って行った。とんとんとん、と包丁の音が心地よく響いた後、ご飯の上には三つ葉が散っていて。
「わ、急にオシャレに!」
「……オシャレか? 三つ葉散らしただけだろ」
「美味しそうなハードルが爆上がりです!」
「……それは確かに」
あんまり見た目にこだわるとハードル上がっちまうよな、と恭介さんは顎を引いた。盲点だったと言わんばかりの顔だが、彼の性格上、今後も見た目と食器に並々ならぬこだわりを追求してしまうであろうことは目に見えている。
私は恭介さんから二人分のお茶碗を受け取り、テーブルへと運んだ。「座っといていいのに」と彼は言うけれど、私の方がおそらく年下だろうし、少しぐらいお手伝いしないと。
「他には何を作ったんですか?」
ひょっこり、鍋をかき混ぜている彼の背後から顔を出す。鍋の中で煮込まれていたのは、美味しそうな煮物だった。
「美味しそう!」
「筑前煮。せっかく大量にタケノコ貰ったし、どっちにしろ早めにアク抜きしねーといけねーから、思い切って大量に使ってみた」
「給食の匂いがします!」
「いや何で給食?」
お前時々変なこと言うよなあ、と彼は呆れながら火を止め、用意していた食器にほかほかの筑前煮をよそう。鶏肉、人参、こんにゃく、ごぼう、しいたけ、レンコン、絹さや、そしてタケノコ。煮物って地味なイメージだけれど、色々具材が入っていると意外と彩り鮮やかだ。恭介さんが上手なのかな。人参は形が崩れてないし、絹さやも青々と色が映えて瑞々しい。
「このタケノコ、こんなにたくさん誰から貰ったんですか?」
筑前煮をテーブルに運びながら問いかける。と言うのも、近くのローテーブルに置かれている大きな鍋の中にはアク抜きされたまま使われていないタケノコが何本か放置されているのだ。
恭介さんはもう一方のコンロの火を弱め、「あー、それね」と口を開く。
「お向かいの婆ちゃんがくれた。橋田さん」
「えっ、また橋田さんですか? 家庭菜園やってるって言う……?」
「そうそう。なんか畑以外に山も持ってるらしくてさ。タケノコ大量にあるって言うから貰ったんだよ」
「や、山まで……」
畑も山も持ってるなんて、あのお婆ちゃんは一体何者なのだろうか……? と、いまだ直接的な面識のない橋田さんに密かに戦慄してしまう。そんな橋田さんと妙に仲の良い恭介さんもちょっと謎だけど。
そんなことを考えていたら、「ハナコ」と彼が私を呼んだ。
「はい」
「もう出来るから座って待ってて。あと麦茶出しといてくれたら助かる」
「わかりました!」
力強く頷いた私はすぐさま踵を返して冷蔵庫へと向かった。そんな私の背後で、カチリとコンロの火を止める音が響く。ただでさえぐうぐうと空腹を訴えていたお腹が、待ちきれないとでも言うように一層大きな音を立てた。
「おい、うるせーぞ腹ペコ虫」
「む、虫じゃないもん……!」
顔を真っ赤に染める私にくつくつと喉を鳴らし、彼はお鍋の蓋を開けたのだった。
* * *
数分後、テーブル上に並べられた品々は見事に「タケノコ尽くし」だった。タケノコご飯、筑前煮、お味噌汁。
そして。
「──どう? 茶碗蒸し」
「おいっしい! です!」
ぷるぷると表面を揺らす茶碗蒸しの味に、私は非常に感動していた。三つ葉、鶏肉、かにかま、しいたけ、タケノコ。それらの具材の味ももちろんだが、とにかく周りの卵の部分のお出汁加減が最高だった。くるくる回るお寿司屋さんかコンビニに売ってるやつぐらいしか食べる機会のない茶碗蒸しの美味しさに、私の瞳は輝きっぱなし。
恭介さんって、実は魔法使いなんじゃないだろうか。具材はどれも似たようなものなのに、それぞれ全然味が違うんだもの。
正面で茶碗蒸しをつつく彼は「銀杏がねーんだよな……」と少し不服げ。だが、銀杏なんて無くても私は全然構わない。だっておいしいもん。
「私、手作りの茶碗蒸しって初めて食べたかもしれないです!」
頬を緩めながら言えば、恭介さんは「ふーん?」と少し意外そうに瞬いた。
「家で食ったりしねーの? 茶碗蒸し」
「うーん……コンビニで買った奴なら、食べてましたけど……」
「何それ、逆に食ったことねえ。コンビニに売ってる?」
「売ってますよ、レンジで温めるやつ」
「ふーん……」
知らねえなー、と彼は呟いて頬杖をつく。確かに、これだけ料理が上手ならわざわざコンビニのものなんて買わないのかも。恭介さんがコンビニ弁当を食べている姿など想像できない。いや、見た目的には全然違和感ないんだけど。
「恭介さんってコンビニ行くんですか?」
「いや、行くわ普通に。俺のこと何だと思ってんの?」
つい尋ねてしまった問いに、恭介さんは不服げな声を返す。しかしやがて「まあでも……」と言葉を続けた。
「確かに、あんまり食いもんは買わねーかも。揚げ物とかはたまに買うけど」
「昔からですか?」
「んー、そうだな、ガキの頃から。俺の地元、超ド田舎だったからコンビニもスーパーも近くに無くてさ。そもそも俺の母親が料理上手な人だったから、わざわざコンビニに行くような機会もなかったっていうか……」
彼はそう言いながら、手元の茶碗蒸しを見つめる。
「この茶碗蒸しも、母親の得意料理。よく作ってくれてたから、これって家で食うもんなんだって自然と思ってたけど……ハナコん家は、違ったわけ?」
「…………」
彼の質問に、私は黙り込んでしまった。
食事の手を止め、そっと視線を落とした私の顔色を逸早く察したのか、恭介さんはハッと息を飲んで即座に声を張る。
「──ごめん! やっぱ今のなし!」
「……、え? あ……いえ、あの……」
「“言いたくない質問には答えない”! ……それが3番目のルールだから、答えなくて良い」
恭介さんはバツの悪そうに吐きこぼし、席を立った。「ごちそうさま」と呟き、空いた茶碗を持って、彼はキッチンへと歩いて行く。
私はただ俯いて、手元の茶碗蒸しを見つめていた。
(……答えられなかった)
そんなつもりじゃ無かったのに、と目を伏せる。感じ悪かったかなあ、と後悔しても、もう遅いんだけど。
その時不意に、絵里子ちゃん、と私の名前を呼ぶ優しい両親の笑顔が脳裏を過ぎった。いたって普通の、どこにでもいるお父さんとお母さん。けれどそんな二人の顔は、私の頭の中でぼやぼやと滲むようにぼやけて行って。
『──あなたのせいよ! あなたがちゃんと絵里子に構ってあげなかったから!!』
──あの時の、ヒステリックな叫び声に変わってしまう。
『はあ!? 何言ってるんだ、俺のせいだって言うのかよ! お前がちゃんと見ておかなかったからだろ!』
『私はずっと絵里子に寄り添ってあげていたわ! あんな子になったのはあなたのせいだとしか考えられない!!』
『俺だって働きながら家族との時間を作ってやっただろ! 誰の稼ぎで生活できてると思ってんだ!?』
『私だって働いてるのよ! それに私、知ってるんだからね! あなたが部長の奥さんと──』
『もう、やめてよ! お父さん、お母さん! お姉ちゃんに聞こえちゃうよ……!』
『あんたは黙ってなさい! もういいのよ、あんな親不孝な子……!』
──うちには必要ないわ……!
「──ハナコ」
ハッ、と目を見開く。
呼び掛けた恭介さんの声によって、私は現実に引き戻された。慌てて顔を上げれば、彼は気まずそうにそっぽを向いたまま、手に持った何かを私に差し出している。
その手に握られていたのは──コンビニに売ってある、ちょっとお高いアイスクリームで。
「……デザート……その……、やる」
「……」
目を合わせることなくぼそぼそと呟く彼の姿に、私は一瞬ぽかんと呆気に取られてしまった。先ほどの質問のお詫びのつもりなのだろうか。別に嫌なことを言ったわけでもないのに、律義な人だなあ。……そう考えていたら、じわじわと笑いが込み上げてくる。
「……ふふ」
くすくすと笑い始めた私に、恭介さんはむっと口元をへの字に曲げた。
「なんだよ。抹茶味が不満か?」
「ふふっ……、ううん、好きですよ抹茶。でも──」
彼の手元で汗をかく抹茶味のアイスクリームをそっと受け取り、私は悪戯っぽく微笑んだ。
「コンビニで食べ物買ってるじゃん、って思っちゃって」
「……アイスは仕方なくね?」
むす、と唇を尖らせる彼が拗ねたように言う。私は受け取ったアイスクリームをテーブルの上に置き、最後の一口となった茶碗蒸しをスプーンですくい上げた。
口の中で溶けて行く、お出汁と卵の優しい味。
この美味しさのせいにして、怖い声を出していた両親のことも、あの時のことも、全部忘れてしまおう。そうだ、きっと、それがいい。
だって今は、彼とご飯を食べるこの時間だけが、私のすべてを作り上げているんだから。
「──ごちそうさまでした」
「……普通、デザートまで食ってから言うんじゃねーの?」
「あっ、確かに」
.
〈本日の晩ご飯/茶碗蒸し〉
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