第17話 回想―アクセル―

 ニュウイルドの街には古い竜の伝説が伝わっている。

 何百年も前に、当時の王の娘がこの地を支配した竜と恋に落ちた。

 竜と娘は愛し合うのに時間はかからなかった。

 しかし当然、彼らの関係を父親は認めなかった。認めないからこそ竜を殺して、娘を守った。

 その竜を殺した王の剣が王家に伝わる聖剣で、そして竜の棲んでいた土地を奪い取り都市が作られた。

 古い伝説だ。聖剣の王を讃える逸話の一つで王都では少し形を変えるらしい、ニュウイルド地方で誰もが知る悲恋の物語。

 何度も本にされて、今でも語り継がれている。そんなおとぎ話。

 そしてお話には続きがある。領主の家系の者だけが知る竜の死後の話だ。


 愛する竜を亡くした娘は身ごもっていた。



(この街で、竜を見たなんて冗談にもならない。しかもよりもよって城の地下だなんてな……)


 王都からの騎士団遠征でやって来た年の近い見習い騎士、ウルバノの言葉に誰もいない廊下を歩きながら唇を噛む。

 竜は魔物だ。悲恋の伝説の伝わるニュウイルドでも歓迎はされない。ニュウイルドでは年中、魔物の脅威にさらされているから。

 廊下を歩きながら、ひとまずは宣言通りにアンネから話を聞こうとアンネの部屋へ向かっていた。父の話ではアンネは体調を崩して部屋にいるらしいが……。


「っ、」


 突然、右手の甲がざわついた。ざわざわと広がる鳥肌の感覚に左手で握りこむ。嫌な感覚だ。

 ウルバノから竜の話を聞いたからだろうか。とにかく、いつだってこの感覚は好きにはなれない。こういうときにはいつだって嫌なことが起こる。


「アンネ、いるか?」


 閉ざされたアンネの部屋の扉を叩く。問い掛けても答えはない。あとで怒られるかと思いつつ、扉に手をかけた。


「アンネ?」


 キョロキョロを部屋の中を見渡す。アンネの姿はない。父の話では体調を崩して部屋に戻っているはずではなかったか。直前の嫌な予感を思い出した。


 そうして執務室へ向かっていると窓の外が騒がしくなった。また騎士が騒いでいるのかと思い、耳を澄ませるとどうやら街に魔物の大軍が向かってきているらしい。

 ニュウイルドの地では時おりあることだった。徒党を組む魔物は少なく、大抵は多少の被害のみで街に常駐する騎士たちによって倒される。

 それでも早く、アンネを連れて避難場所に向かわないと。少しだけ焦りを募らせながら、アクセルは早足で父のいるであろう執務室へもう一度、向かった。


「ちちうっ……」


「お前の………こる竜の遺伝子を、………させることで……と化すのだ。竜となれば、もはや人と同じように生きることは出来ないだろう」

「そう脅しても、わたしは………」


 半分だけ開いた執務室の扉の向こうで父と妹の姿が見えた。向かい合って話し合っている。ところどころ聞こえなかったが、父はなんて言った?

 竜となる? 誰が? まさか、


「父上! アンネっ、なんのお話をしていらっしゃるのですか……?」


 執務室に足を踏み入れて、振り返った父へ向かうと口元が勝手に緩んだ。

 父の横に立つアンネがアクセルから目をそらす。それにアクセルは訳もなく胸の痛みを感じた。


「……。お前は私の後継者だ。いい機会だ。お前にも話しておこうか」

「なにを、いったい、」


 瞳を閉じて大きなため息を漏らし、父は棚の本を動かす。すると本棚が動き出してウルバノの言っていた通りに隠し通路が現れた。

 黙ったままのアンネが先に通路を歩いていき、父はアクセルを促す。


「ついてきなさい」

「あの、さっきウルバノたちにおしゃっていたのは、」

「……王都からの客人である騎士に伝えるわけにはいかないからな。これは我がペティレク家に伝わる最大の秘密だからだ」

「秘密……?」


 細く薄暗い通路を歩きながら、背後の父と会話をする。

 通路の先では小さいアンネの背が見えている。その背中をじっと見つめながら父は思い口を開く。


「私たちペティレク一族の身の内には竜の血が流れている。それはお前もよく知っていよう」


 アクセルは手のひらを抑える。目隠しの魔法で隠してはいるが、触れればそこに確かな感触がある。

 ずっと昔からペティレク一族ではごくまれに、そういう子供が生まれるらしい。体のどこかに竜の特徴を備えた子供が。


「あの伝説で殺された竜の血でしょう? それがなんだと言うんですか」

「竜は生きている」

「は?」

「かつてこの地を支配していた伝説の竜は健在であり、今もこの城の地下に棲んでいる」

「え、っと……? それは……」


 通路の先に開けた空間が。アンネが足を止めて頭上を見上げている。


「なっ、」


 巨大な竜がそこにいた。

 ウルバノの言っていた通りに赤い鱗の竜がたたずんでいる。とっさに妹を守ろうと腕を引くが、アンネが竜を見上げるばかりでびくともしない。


「おい! アンネ! 何をしている! はやく僕の後ろにっ、」

「やめろ、アクセル」

「ですが父上!」


 妹を守ろうとしているのを他でもない父に止められる。

 胸元を握りしめたアンネが振り返り、父と目配せを交わす。アンネの視線が一瞬だけアクセルへ移り、微笑んだ。


「魔物どもが我が街を襲っている、早く地上に戻らねば。行くぞ、アクセル」

「なっそんな父上!? アンネ! おい! お前も早く! 何をしているんだ、アンネ!!」


 父に腕を掴まれ、そのまま強引に通路へ戻らされる。必死にアンネに呼びかけるのに、当のアンネは動こうともしない。再びアンネは竜を見上げ続けている。

 執務室へ戻りながら、父はペティレクの秘密を少しずつアクセルへ語って聞かせた。


「死んだと思われた竜を、当時の王は解体してこの城を作るための礎とした。城を中心に街が出来ていきニュウイルドは作られていったのだ。しかし竜の王たる所以か死んだ竜は生きていた。礎となった骨から永い時間をかけて少しずつ肉体は再生されていき、あの場所にて蘇りを果たして見せた。見えていた竜の姿はごく一部に過ぎず、……竜の全身は街全体に及んでいる」


 それがどういう意味か分かるかと、父に問われてアクセルは気が付く。

 ならばあの巨大な竜が身じろぎをしたなら、街は簡単に破壊されてしまう。いかに外敵を寄せ付けぬ堅牢な都市だとしても土台から揺るがされれば一たまりもないだろう。


「アンネは、僕の妹はなぜ竜の元へ残ったのです」

「蘇った竜が望んだことだ」


 父の言葉に差し出したのだと、愕然とした。

 今は多くの魔物が襲ってきている緊急事態で、こんな時にもしも都市が瓦解すれば街だけでない。国にまで被害が及ぶのは明白だ。

 街、ひいては国全体の命の重さに比べれば、娘一人の命なんてどちらに天秤が傾くかなどわかりきったことだろう。

 それでもアクセルには納得が出来なかった。理屈はわかる。しかしそれを実の娘で行った父が信じられなかった。


「ふざけないでくださいっ……! 実の娘より街の方が大事だっていうんですか!」

「何を当たり前のことを。それにあれはアンネ自身が望んだことでもある」

「そっ、んなわけないでしょう……っ! アンネが、アンネがそんな……っ」

「話は終わりだ。お前も避難場所に行くんだな。ちょうど、迎えがきたようだぞ」


 父が執務室の扉を開けた。廊下には少しだけ気まずそうな顔のウルバノが立っていた。

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