第8話 ホラーはあった
焦る気持ちを抑えて、今度はゆっくりと歩きながら廊下を見渡す。廊下を繰り返させる魔法なんて聞いたこともないけど、かなり複雑な模様の紋のはずだ。
何十分、何時間、歩いただろうか。夕日の位置すら変わらず、時間も分からなくなってきた。
さすがに疲れを感じて、膝に手をつく。
「紋が見つからない……!」
ひんひん。もはや半泣きだ。
終わりが見えない。時間もわからない。気が狂いそうだ。
そもそもだ。これが魔法だとして、何が目的の魔法なんだ?
私を廊下で迷わせて、犯人に一体、何のメリットがある?
この廊下に迷い込む直前に、私は何をしようとしていた?
「聖剣……」
あの子は聖剣の呪いで苦しんでいる。どうして呪われた?
この国で聖剣は王位の正当性の証明に使われる。つまり人々にとって聖剣を持つ者こそが王になる。
では魔物にとっての聖剣とは何を意味するのか。
「…………いけるかな」
近衛騎士見習い用の剣はまだ腰に佩いたままだった。
鞘から抜いて刃を見つめる。よく手入れのされた剣の刃は鏡のように私の顔を反射した。
刃の根本……柄の近くにある刻印がされている。簡単な硬化の紋で、これにより通常の剣よりもはるかに長く、刃が持つようになるのだ。
腕に力を籠める。硬化の紋が黄色の光を放ちだす。
「はあああああっ」
魔力のこめた剣を思いきりふるった。廊下が壁ごと抉られて深く大きな亀裂が生まれた。壁の外は黒く塗りつぶされ、何も存在していない。普段ならしないことけど緊急事態だから……。
大きな地響き。
立っているのも困難なほど強い揺れにバランスを崩してしまい、廊下に手をつく。地響きが落ち着くと。
「みんな、寝てる……」
誰もいなかったはずの廊下に、騎士や使用人が重なるように眠っていた。
床につくったはずの亀裂もなくなっている。
眠る人の隙間を縫って一人一人を確認していく。みんな、すうすうと健やかな寝息をたてるばかりで起きる気配はなかった。
すでに日が沈んでおり、灯りのない廊下は薄暗い。窓からの月明かりだけが唯一、ほの白く廊下を照らしだしている。そして廊下には騎士と使用人たちが眠っている……。
ホラーかな?
血とかないし、死体でもないけど、さすがに異様な光景すぎて怖い。
まあ、なんだ。どこにも見つからない紋は、つまり、あの終わらない廊下そのものだったというわけである。
いや、それにしても夢のなかで存在し、かつ発動までする魔法なんて心の底からずるいと思う。完全にチートじゃん。
普通ではありえない複雑怪奇な紋……魔物かなあ、やっぱり。
気を引き締めよう。剣を握りなおして大広間へ向かう。
おそらく狙いは聖剣なのだ。
大広間にたどり着く。聖剣の前には誰もいなかった。
注意深く当たりの気配を窺う。やはり、誰もいないように思えた。
「……なんだ、……ただの悪戯だったのかな……」
廊下の騎士と使用人たちは眠っているだけで命に別状はなさそうだし、先生に言えば魔法を解いてもらえるだろう。この場合、優先するのはあの子だ。
聖剣の柄を握りこむ。
「ひっ」
手のひらにぬるりっというおぞましい感触。
中学生のころ、駅前の駐輪場に停めていた自転車のハンドルに唾を吐かれていたことを思い出して、聖剣から手を放し、手のひらを確認する。
べっとりと手のひらを汚していたのは赤い血だった。
「ひえぇ……」
やっぱりホラーだったか。
見れば、聖剣の柄にはべったりと血がついていた。握る前に気づけよ、私……。
あーうーっと、触れるのも躊躇われるような汚れ具合にしばらく呻いた。
ええい! 女は度胸!
意を決して柄を握り、聖剣を引き抜く。
抜いた瞬間、聖剣が白く光り、全体に金の紋が浮かんでいたけど無駄である。
いかに荘厳な空気を作ろうとしても柄には血がついているし、物騒さを誤魔化せるほどではない。
そもそも知ったことかとだな。
とりあえず、聖剣を先生のもとへ持っていって、あの子の呪いを解いてから誰にも(とくに爺やに)ばれないように聖剣を台座に戻す。
よし、完璧だな!
聖剣を抱えて、すたこらと部屋へと戻った。
「先生! 聖剣を持ってきました!」
「聖剣を……?」
「はわわ~、爺や」
「ウルバノ王子? どうされましたかな。汗をかかれているようですが」
部屋に爺やがいた。
咄嗟に背に聖剣を隠したけど、はっきりと口にしてしまっている。私の正直者……。
天蓋のカーテンから先生がまた顔を出した。
「ああ、よかったですう。爺やさんに城内で異変が起きていると聞いて不安だったんですよう……。危ないことはなかったみたいですねえ?」
先生の言葉に、頷いておくことにする。危険はなかった。いいね?
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