第3話 王子の秘めごと
王子の朝は早い。
日が昇りきる前に、起床用の鳥の置物がけたたましく動き出す。耳障りな鳴き声を出しながら頭上を飛び回り、それでも目を覚まさないと額をつつき始める。そういう紋の刻まれた魔法の品だ。
ひりひりと痛むおでこをさすりながら、身支度を整えて運ばれてきたモーニングティーとともに軽食をお腹に詰め込む。
演習場に出て、剣術の師である近衛騎士団長のローザに朝からみっちりとしごかれて、日が昇りきったころにようやく朝食になる。
朝食の席では国王の父との会話。内容は他愛のない近況を報告するものだ。
朝食がすむと大学から呼ばれた講師たちによる勉学と日によっては教養のためにか楽器を習うこともある。勉強を午前中に行い、
昼のあいだにアキーレの魔法の授業をしてもらって、夕方にはまた剣術の稽古が行われる。夕方の稽古は近衛隊の騎士見習いたちとともに行われるので一対一じゃないだけかなりマシになっている。
ひんひんと泣きながら木剣を振り回し、ときには体力作りだと走らされて、終わるころにはボロボロになる。
稽古を終えて身を清めてから夕食。
風呂に入るのは、当初はそれなりの抵抗があったものの剣術の稽古が始まるとそんな余裕もなくなった。汗臭い体とたまりきった疲れを少しでも癒すために風呂に入らない選択肢はない。
夕食は一人だ。国王との面談がないだけマシな気も、少し寂しい気もする。
夕食が済んだらようやく自由時間だ。
普段は先生に貸してもらった魔法についての本を読むのだけど、今日は違うんですねえ。
かねてから準備していたフードのついたマントを衣装ダンスから取り出す。このマントには変装の紋を縫い付けてある。マントを身に着けてフードを被る。
その姿のまま鏡の前に立つ。鏡にはウルバノではない、黒髪の女が立っていた。
「うん……久しぶり」
泣き出すような顔で、ウルバノの声が囁く。……声までは変わらないようだ。それでも鏡の中に立っているのは懐かしい自分の姿で。懐かしくて泣きたくなった。
身に着けている服こそ変わらないものの、そこには私がいる。まっすぐの黒髪で黒い目で。
別に自分の顔が好きだったわけじゃない。特別にかわいいわけでもきれいなわけでもない。それでも愛着は確かにあったんだろう。
そうでなければわざわざ、こんな風に魔法で再現なんてしないだろう。母に似ているといわれた目の形、先祖代々一緒なのよ、と教えられた鼻の形。全部、全部が懐かしい。
それに何より、どれだけ地味でも私は女の子だった。
筋肉がついて逞しくなっていく四肢でなく、引き締まって割れた腹筋でなく、潰れた豆で硬くなっていく手の皮膚でなく、柔らかくて小さくて、少しだけ肉を余らせた女の子だったのだ。
懐かしい体を抱きしめる。かつては嫌で仕方なかったたぷたぷとした二の腕も、今では嫌とも思わない。
きっともうこの姿には戻れないのだろうと思う。
ノックの音にフードを外す。フードを外せば鏡の向こうに私の姿はマントをしたウルバノに変わる。続くノックにマントを脱いで衣装ダンスに投げ入れる。
「王子、明日のスケジュールに変更があるのですが、よろしいですか」
「うん。何かな」
入ってきたのは執事の爺や。爺やは私の身の回りの世話をしてくれている人だった。私でなく、ウルバノだけど。
「明日に予定していた授業の講師が遅れているようで午前中の予定が丸々なくなりましたので午前中はお忍びで市井を出歩かれたらどうでしょう」
「いいの?」
「もちろん。市井の様子を知ることも立派な勉強ですからな」
爺やの言葉に沈んでいた気分が持ち上がる。市井つまり街に行けるということだ。ほとんど城内で過ごしていたため、実は気になっていたのだ。
しかもお忍びということは近衛騎士もいないということでは?
好き勝手に歩き回れる機会なんてほとんどなかったからうれしいぞ。
「明日が来るのが楽しみだ。爺や、今日は早く眠ることにするよ。ありがと。おやすみ!」
「ええ、良い夢をご覧くださいませ、王子」
爺やに挨拶をしてベッドにも潜り込む。稽古の疲れもあって、いつも通りすぐに眠ることが出来た。
夢の中で私はスカートを穿いていた。スカートを穿きたいなんてあの頃は一度も思わなかったくせに。
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