第563話 ルクサン大公殿下
「想定していたことではありますが……随分と警備体制が脆弱ですね」
隣を歩くハーゲンドルフ中尉が、周りに聞こえないよう声を潜めて話しかけてくる。
「それだけ追い詰められているってことだろうさ。本当、今回の護送が間に合ってよかった」
ルクサン大公国の南部にある地方都市。規模でいえば人口一万程度しかいないような、中小都市だ。「街」と言ってよいかすら少し悩むレベルである。ともすれば「町」扱いすらされかねないこの街こそがルクサン大公国の現首都であり、大公と政府重鎮らが身を寄せている最後の砦だった。
俺達は今、その街の中央に建つ政庁兼要塞兼大公御所の廊下を歩いているところだ。事前にうちの情報士官によって俺達が向かう話は行っていたので、こうして警戒されることなく中へと案内されているわけだが……案内の兵も含めて、異常にルクサン兵の数が少ないのだ。
精々が一〇〇〇人もいるかどうかといったところか。流石に軍事境界線付近に張り付けている兵もいる筈なのでまさかこれが総兵力ということはないだろうが、それにしたって貧弱にすぎる。
これはひょっとしなくても、マジで滅ぶ一歩手前だったのかもしれない。
貴賓室というにはあまりに質素な部屋へと通されると、見るからに憔悴した様子の壮年男性が待ち受けていた。おそらく大公本人だろうと思われる彼は、俺達の姿を認めるや否や勢いよく立ち上がり、平身低頭という言葉が実にしっくりくる所作で俺達を出迎えた。
「貴殿が噂に名高いファーレンハイト卿か」
「お初にお目に掛かります。本官はハイラント皇帝、今上陛下より少将の位を授かっております、エーベルハルト・カールハインツ・フォン・ファーレンハイトです。貴方がルクサン大公殿下でお間違いないですね?」
「いかにも。私が当代ルクサン大公、本人である。この度は貴国からの救援要請、誠に痛み入る。ささ、ぜひこちらにお座りになられよ」
立場があるゆえに言葉遣いこそ君主のそれだが、明らかに態度はこちらを上だと意識したものだ。現に、本来ならば上座に座る筈の大公本人は下座に座り、大国の所属とはいえしょせんは一介の少将にすぎない俺が上座へと案内されるほどである。
しかも饗応用に出されたのは俺好みの紅茶(最高級とまではいかないが、それでも最低限の格は満たす銘柄だ。おそらく現状彼らの手に入る中では最も上等な品だろう)であり、部下達のための席すら用意されているときた。
「失礼いたします」
断りを入れて座る。椅子が硬い。柔らかすぎるとそれはそれで疲れるので別に構わないが、少なくとも饗応用の椅子ではない。
……それだけ余裕が無い、ということか。
「単刀直入に申し上げます。大公殿下とご側近の方々には我々の護送でカンブリア教主国へと向かい、法王陛下へ謁見していただきたくございます」
有無を言わせはしない。俺がお願いするという形を取ってはいるものの、あくまでこれは形式的なものであって、大公には初めから選択肢など用意されていないのだ。
俺の背後にはハイラント皇帝の意思がある。俺は単なる代弁者にすぎない。これを拒否することは、すなわちルクサン大公国の滅亡を意味する。
大公は今、運命の岐路に立たされているのだ。ハイラント皇国の軍事介入を受け入れて半属国となり生き延びるか、デルラント王国に蹂躙されて三〇〇年以上の歴史に幕を下ろすか。
答えは考えるまでもない。当然、諾である。
「本来ならばこちらから申し出るべきことを、貴国から打診していただき感謝の念に堪えない。宗派の異なる我が国に救いの手を差し伸べていただけるとは、ハイラント皇帝陛下はなんと御心の広いことであろうか……」
そう言って頭を下げるルクサン大公の声は震えていた。屈辱の声――――には聞こえない。周りの側近達もまた、感謝を無言で表してこちらを見ている。
これがもし演技なら、彼は今すぐ大公の地位など返上して舞台役者へと転身すべきだろう。
要するに、この話は向こうにとっても渡りに船だったということだ。
「まあ、悪いようにはいたしません。我々ハイラント皇国は紳士外交を国是としております。国際的な秩序を乱す力の信奉者達に、ともに立ち向かおうではありませんか」
「まこと、かたじけない。動乱が収まった暁には、いずれ貴国の陛下に謁見させていただこう」
「きっと陛下もお慶びになることでしょう」
さて、堅苦しい外交トークはこんなところでおしまい。あとは事務的な部分を詰め次第、さっさと出発してしまうだけである。
「それでは早速、実務に関する協議とまいりましょう。まず大公殿下ですが、一番守りやすい二号車へとお乗りいただきます」
俺は簡単な車列の絵を見せながら説明する。
「真ん中ではないのですか?」
それを見た側近のうちの一人が不思議そうに訊ねてくるが……。
「二号車は、私の乗る一号車に一番近いですから」
「あっ、なるほど」
ま、問題なさそうだな。
かくして協議というほどの協議もせず、淡々と護衛計画をお伝えし、ほぼ修正が加わることなく事前の準備は完了する。あとは実際にカンブリア教主国へと向かうだけだ。
計画は入念に練った。護衛の数はともかく、質に関してはおそらく大陸一の精鋭集団である。油断は禁物だが、心配はまったく要らないだろう。
「それでは出発は明日の早朝になります。ゆっくりと休めるのは今晩が最後になりますので、しっかり休息を取っておいてくださいませ」
「承知した。明日からどうぞよろしく頼む」
「殿下の身には賊の手一つ触れさせないとお約束いたしましょう」
「頼もしい限りだ」
こうして、厳重にもほどがある警備体制が敷かれた上で、「錦の御旗」作戦は実行に移されることとなった。
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