第557話 もし
Side:デールダム軍港守備隊 クラ―セン上等兵
近々軍が動くらしい。そう上官の軍曹殿から聞かされていた俺達守備隊は、いつにも増して武器の整備と訓練を念入りに行っていた。
今日もそうだ。港に浮かぶ我らが東部艦隊のガレオン船団を眺めつつ、俺は朝から己の愛銃を丁寧に掃除していた。
この銃というものは実に素晴らしい武器だ。何十年も前から存在はしていたらしいが、魔法ほどの汎用性はないし、湿気ですぐに駄目になる上に、お値段まで高いときた。おかげで普及するのには物凄く長い時間が掛かったと聞いている。
だが実際に貸し与えられてみると、俺はたちまち銃の魅力に取り憑かれることになった。
まず何より音が良い。雷鳴のような音を轟かせて先端から火が噴き出したかと思えば、次の瞬間には練習用の的が木っ端微塵に砕け散るのだ。
命中精度は俺の下手な弓とそう変わらないし、次弾を撃つには何十秒も時間が必要だが、それでも弓なんかじゃ到底出せないほどの威力をこの銃という武器は発揮できる。弓にも魔法にも才能が無かった俺にとっては、まさに魔法の武器に等しかった。
だから兵学校では必死に銃の扱いを練習した。同期の中では一番早く、わずか三〇秒かそこらで装填作業ができるようにまでなったのだ。おかげで高価格ゆえに一部の部隊にしか行き渡らない銃を俺は貸与され、こうしてデールダム守備隊の銃士隊に配属される運びとなったというわけだ。
「ちぇっ、あいつら今日も自慢げに銃を磨いてらぁ」
「お高くとまってんだよ。自分達は選ばれし兵だとでも思ってんだろ」
最後の磨き作業をしていると、すぐそばを通りかかった歩兵連隊の連中が聞こえよがしに悪態をついてきた。彼らの得物は槍だ。俺だって訓練兵時代は槍を持たされていた。だから彼らの気持ちはよくわかる。
羨ましいのだ。限られた兵しか持つことができない銃という武器を手にする栄誉が、妬ましくて仕方がないのだ。
そう思うと、俺のささやかな自尊心もくすぐられるというものだ。
嫉妬の声を聞き流しながら磨き終えた銃を持ち上げると、俺は鼻歌まじりに仲間の元へと戻る。
「あ、クラ―セン上等兵殿。今日はご機嫌ですね」
「やあ、ヘルムセン一等兵。いやなに、俺の自慢の銃が火を噴くのもそろそろだと思うと気が昂って仕方なくてね」
「やめてくださいよ。敵はあの皇国になるっていう話でしょう? 自分はまだ死にたくないですよ」
そう弱気なことを言うヘルムセン一等兵。俺は少しだけむっとして言い返す。
「皇国軍がなんだってんだ。そりゃあ連中だって銃を持ってるらしいが、練度なら俺達だって負けてないんだ。海軍だって歴史的にはこっちのほうが格上。大平原でぶつかりあうならともかく、攻めてきた敵から港を守るってんならむしろこっちのほうに分があるさ」
「上等兵殿は装填作業、小隊で一番早いですもんね。命中精度も上から数えたほうが早いし、頼りになりますよ」
「おだてたって何も出ないぞ?」
「おべっかじゃないですって」
「ははは」
「ははははっ」
気安い部下と、頼れる仲間。そして信頼できる
そう、たとえ敵が魔王すら倒すような英雄だったとしても————
————激しい衝撃で一瞬、意識が飛んでいた。全身がキリキリと痛む。口の中で鉄の味がする。どうやら唇を切ったらしい。
何だ? いったい何が起こったんだ?
したたかに打ち付けていたらしい痛む頭を押さえながら俺はつい今しがたの光景を思い起こす。
いつも通りの会話。胸を満たす自信。見上げた空はどんよりと曇っていたが、それも見慣れたいつもの光景だった筈だ。
それが、突如として視界を埋め尽くす閃光と、わずかに遅れてやってきた轟音でかき消された。
……そうだ。爆発だ。あれは間違いない。魔法士の火炎魔法か何かが至近距離で炸裂したんだ。
敵か? まさか嫉妬に狂った味方ということもあるまい。そもそも
ということは皇国か。だが敵の姿は見えなかった。敵襲の報も聞いていない。ということは潜伏していた工作員が動きだしたということか。
「おい、ヘルムセン一等兵。少し本部のほうまで走って状況を伝え————……え?」
部下を走らせるべく振り返った俺が見たものは、下半身を失って物言わぬ躯と化した
「う……げええぇっ」
せっかく食べた朝メシが全部出てしまった。えづき、むせて涙目になった俺は再び顔を上げる。が、しかしその地獄の光景が消え去ることはない。
「なんなんだよ……何が起こってるんだよ!」
答える者は誰もいない。見回せば、デールダムの街すべてがここと同じような状況に陥っていた。変わり果てた街を、愛銃を抱えてゆっくりと進む。吹き飛ばされた時に怪我をしたらしく、右足が尋常じゃなく痛いが、今はそれどころじゃない。
まずは無事な仲間を探さなくては。そして合流し、状況を把握する必要がある。俺は栄えあるデールダム守備隊の一番槍、銃士なのだから。
しばらく右足を引きずって歩いていると、見慣れた上官の姿があった。何やら指示出しをしているらしい。流石は軍曹殿だ。いついかなる時でも冷静で、頼りになる。
「デ・ラート軍曹殿!」
「ん? クラ―セン上等兵か! 無事だったか」
「はい、自分は。ですがヘルムセン一等兵が……」
「……そうか」
沈痛な面持ちになって黙り込む軍曹殿。だが今は非常時だ。一瞬で切り替えると、軍曹殿は早速指示を出してきた。
「本来ならば少佐殿か中尉殿に指示を仰ぎたいところだが、いかんせんこの有様だ。連絡がつかん。よって最先任である私が指揮権を継承し、諸君らに命令を出すことにする」
「「「はっ」」」
その場にいた兵達の声が重なる。見れば、同じ部隊の者をはじめ、他部隊の者や軍属の者まで、ざっと十数名が揃っていた。これだけの惨事にありながら短い時間にこの人数を集められるというのは、やはり軍曹殿だからだろう。
「ファン・ダルセン伍長。貴官はヴェーメル兵長と協力して槍兵をまとめ、突撃部隊を組織しろ。トーンデル兵長、クラ―セン上等兵、エヴェルス一等兵、フェルトマン一等兵の四名は、トーンデル兵長をリーダーに即席の銃士分隊を構成、偵察および槍兵隊の突撃支援だ。私はクライフ従軍看護師殿とともに負傷者の救護にあたったのち、銃士分隊に合流する」
「「「了解」」」
「それでは各員、行動開始!」
*
「いいか、まずは敵がどこに潜んでいるのかを探れ。これだけの規模の攻撃なんだ。絶対に大軍がいるに決まってる」
「了解です、トーンデル兵長殿」
兵長殿を先頭に、俺達銃士隊は瓦礫の中を進む。あれだけの爆発があった以上、敵はかなり距離を取って陣取っていた筈だ。皇国が犯人だとしたら、海のほうに隠れているに違いない。探るべきは海辺の港湾部だ。
「港を探りましょう」
「うむ、オレも同感だ」
兵長殿の意見も一致した。俺達は槍兵隊とはぐれないように気を付けつつ、港の倉庫街へと足を運ぶ。
「酷いな、これは……」
無事な倉庫がほとんど残っていない。敵の襲撃に備えて耐火レンガで建てられた倉庫は、爆発により見るも無残な瓦礫へと変貌していた。ガレオン船団に至っては文字通りの全滅だ。今まさに燃え上がっている艦に、バラバラの木片と化して浮いている艦、船体の半分が消し飛んで沈みつつある艦……。
「敵は相当大規模な魔法を使ったらしい。いったい何人がかりなんだ? 一〇〇や二〇〇じゃきかないだろう」
「許せませんね、皇国の奴ら! この仕返しは絶対に————……」
「エヴェルス一等兵!」
唐突にエヴェルス一等兵が血を噴き出して倒れ込んだ。見れば、胸元からどくどくと血が流れ出している。ほぼ同時に「————タァンッ……」という乾いた音が響きわたった。狙撃だ!
「敵襲!」
「どこだ⁉」
「海のほうにはいません!」
もし敵が海からやってくるなら、敵の艦がなければおかしい。だが港には燃え盛る友軍の艦隊いはあっても、憎き敵艦隊の姿は見えないのだ。
ふと違和感を覚えた。自分の足下に影ができているのだ。その影は俺の身体から離れ、徐々に濃くはっきりとした輪郭を伴ってくる。
「……上だッ!」
ありえない。その直感と常識をかなぐり捨てて空を見上げれば、そこには魔力の翼を生やした皇国兵どもが銃を構えて今まさに降りてくるところだった。いったいどこから? そもそもどうやって空を飛んでいる?
疑問点は色々と浮かぶが、今はそれどころではない。俺は
「あ、あ……」
「フェルトマン一等兵、落ち着けェ! 慌てず冷静に、訓練通り撃つんだ!」
「う、うわああああッ」
あの馬鹿野郎が! せっかくの貴重な装填済みの初弾を動転して外しやがった。これで再装填に五〇秒だ。あいつ、狙いは巧いくせに装填作業が遅いから、初弾を外した時点で負けだというのに!
「クソッ、貸せ! 俺が弾を込める! お前は落ち着いて、一人ずつ確実に迎撃しろ!」
「わ、わかりましたッ」
俺は自分の銃をフェルトマンに手渡すと、奴の獲物を乱暴にひったくった。これが一番早く、強い。
「……お、墜ちろッ!」
今度はしっかりと狙いを定めて射撃するフェルトマン。だが信じられないことに、なんと直撃したかに見えた弾は敵兵の展開した魔力シールドによって阻まれ、弾き飛ばされてしまう。
「なっ」
……て、鉄の鎧すら撃ち抜く鉛玉だぞ⁉ それを、わずか一秒にも満たない速度で展開した即席の『防壁』で防ぐだとッ……!
「まずい」
「避けっ……!」
「がっ————」
遅かった。フェルトマンは鉄帽もろとも撃ち抜かれて、あえなくその短い生涯に幕を下ろす。
「クソがぁぁああああッ!」
俺は装填済みの銃を構えると、一世一代の集中力で敵兵めがけて引金を引いた。わずかなタイムラグののち、
「な、なんで」
額に水滴が当たるのを感じる。気が付けば、先ほどの大爆発の影響で生まれた雲から、大粒の雨が戦場に降り注いでいた。
「そんな、嘘だろ」
湿気だ。俺の唯一にして最大の武器である銃が使えなくなってしまった。
「だがそれは敵も同じだ。この距離なら……槍でも戦える」
地上に降り立った敵との距離は数十メートル。俺のすぐ後ろには、一〇名以上の槍兵が控えている。
「槍兵隊、突撃だッ!」
「「「おおおおーっ」」」
敵味方ともに銃が封じられたのを好機と見たか、槍兵隊長のファン・ダルセン伍長の号令で槍兵達が
敵はたったの三人。この人数差なら間違いなく仲間の仇は取ってやれる。
筈だった。
「がッ」
「うぐっ……」
「ぎゃっ!」
次々に撃ち抜かれていく味方。敵は再装填する素振りすら見せずに、何発も連続で弾を放つ。その度に一人、また一人と仲間が殺されてゆく。
「な、な……何なんだよ、その銃は!」
この俺でさえ装填に三〇秒は掛かるってのに、お前は————
「ぐああッ」
「た、助け————がっ」
なぜ敵の銃は雨の中なのに撃てるんだ。なぜそんなにも装填が早いんだ。
……なぜ俺の銃はこんなにも弱いんだ。
「こんな銃……こんな銃ッ!」
暴発する感情のままに俺は愛銃を地面に叩きつける。己の命と誇りを預けた宝物だったが、今となってはもうどうでもいい。
怒りと悔しさと絶望で視界が歪む。酷い雨だ。まるで我らがデルラント王国の行く末を暗示しているかのようですらある。
————チャ……ッ
敵が俺に向けて銃を構えるのが見えた。気付けば、周りに立っているのは誰もいない。どうやら俺が最後の一人らしい。
「やれよ。もう戦う気も失せた」
俺の信じたものは紛い物だった。俺の生まれた国も、歩むべき道も、何もかもが間違っていた。
……ああ、できることなら
そんなことをふと思う。敵が引金を引くのが見えた。もし俺に来世があるのなら、今度はきっ————
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