第555話 配置転換、西方へ
突如としてもたらされた不穏なニュースを聞いた俺達特殊作戦群の面々は、群長が新婚ほやほやだというにもかかわらず、独立したエルフ領(正式な国号はまだ決まっていない。目下のところ議論中だそうだ)から早々に皇都へととんぼ返りすることとなった。
魔導飛行艦シュトルムで大陸の空を駆けること丸一日。この世界の乗り物としては規格外の速度で皇都へと凱旋した俺達を待っていたのは、わずかばかりの休日と戦功に対する
いわく、「西方海域にてデルラント王国が近日中に軍事行動を起こす可能性大なり。皇国北西部デール湾が敵により海上封鎖される前に敵軍港を強襲し、実力を以てその港湾機能を停止させよ」とのこと。
海軍国家としては新興の皇国と違って、かの国は歴史的に海軍強国だ。半島国家の宿命として広大な領土を獲得しえないデルラント王国は、必然的に海軍特化型の軍拡路線を取らざるをえなかった。結果として王国は一時期、「無敵艦隊」とも言われたイオニア王国と肩を並べるほどの海軍大国としてその名を世界中に馳せている。近年でこそ皇国の勃興に押されて過去の名声となりつつあるが、依然としてその海軍力が脅威であることに違いはない。
そんなデルラント王国海軍は、二つの大きな艦隊から構成されている。一つが半島西側の西部艦隊。もう一つが皇国側、デール湾に拠点を置く東部艦隊だ。ノルド半島の北半分がノルド首長国の領土になっているので、デルラント王国海軍は戦う前から艦隊を東西に分割されるという状況に置かれているわけだ。あの国がやたらと北方のノルド首長国を攻めたがる背景には、そんな地政学的要因も間違いなく関係しているのだろう。
何はともあれ、そういった事情で半分こにされているデルラントの東西両艦隊である。そのうちの片方、皇国と隣接しているため我が国の直接的な脅威となり、実際に敵の意識もこちらを志向している東部艦隊を可及的速やかに行動不能へと陥らせることがもしできれば、西方における皇国の軍事的優越は確立されたも同然なのだ。
だからこその、敵が行動を開始する前の予防的攻略である。内に蔓延る
*
眼下を皇国の雄大な山々がゆったりと流れてゆく。艦橋の窓から見える下界は薄っすらと雪化粧に覆われていて、緊迫した国際情勢がまるで嘘のような静けさだ。この美しい国土を戦火で汚してはならないと思う。だから俺は、この国に土足で踏み込もうとする不逞の輩どもと戦うのだ。
それはたぶん、この
「アンニュイな顔をしてるハルトも魅力的」
「イリスか」
ホットコーヒーを片手に近付いてきたのは、我が愛妻にして副官にしてこの艦の副長であるイリス・フォン・シュタインフェルト・ファーレンハイト大佐だ。二つあるカップのうち片方を俺に差し出した彼女は、手すりに寄りかかって俺と同じく眼下の景色を眺める。
「内陸のカルヴァンでは雪はほとんど降らない。だからこういう景色を見ると、少し楽しくなる」
「今向かっている北部のほうは、海流のおかげでむしろ暖かいらしいからな。もちろん寒いには寒いんだけど、港が凍るほどじゃないってさ」
「どうせなら凍っていてほしかった。それなら敵も動けないのに」
「仕方ないさ。だからこそ俺達の働きが重要になる」
空襲による港湾機能の破壊。機雷による海上封鎖。揚陸部隊による地上制圧。いずれも重要な任務だ。この作戦が成功すれば、即座に後続の部隊が上陸して敵港湾都市を維持してくれる手筈となっている。そうなればデルラントの海軍だけではなく陸軍すらも引き付けることが可能となり、敵の動きを大幅に制約することができるのだ。
「今回の作戦、ハルトは指揮を執るのに専念してほしい」
俺がコーヒーを啜りながらそんなことを考えていると、イリスが唐突にそう言ってきた。はて、どういった風の吹き回しだろうか。
「今回の作戦には、おそらく魔人の介入が無い」
「なぜそう言える?」
「魔人には何らかの長距離情報伝達手段があると思う。それはこの前の『刹那』のアルバドスの件を見ても確実。……だから、もし魔人陣営が介入しているとしたら、こんな連携の取れていない雑な侵攻計画なんて認められる筈がない」
コーヒーカップを両手で持ち、手を温めながらイリスは続ける。
「魔人が介入してこないなら、今回の戦いは人類同士の戦いになる。それなら、わたし達の力だけで敵を一方的に叩くことだってできると思うんだ」
「つまり、俺抜きでの実力試しがしたいってことか」
「それもあるけど、これから魔人の活動が活発化してハルトがそっちに掛かりっきりになっちゃったら、いざという時にハルトに頼れないタイミングも出てくると思う。この前みたいな奇跡はたぶん、もう起きない」
この前の奇跡。すなわちシュナイダー兄妹のことだろう。辛うじて俺による救出が間に合ったが、間に合わない可能性のほうがよっぽど高かったのだ。だからあれは奇跡。本来落とす筈だった命を偶然拾ったにすぎない。
だからこそ、そういった窮地を自力で切り抜けるための経験が必要だとイリスは言っているのだ。確かに俺が単独で行動して、個人の力で敵を殲滅・無力化することはできる。だがそれでは部下は育たない。彼らの実戦経験はまだ、前回の世界樹攻略作戦しかないのだ。
「わかった。今回の作戦では、部隊壊滅の危機にでも陥らない限り、俺は出撃しない」
「うん。戦闘と攻略はわたし達、部下にすべて任せてほしい」
「期待してるぞ」
そう伝えると、イリスは小さく微笑んだ。基本的に無表情の彼女にしては珍しい。誰が見てもそうとわかる笑顔だ。穏やかで、淑やかな、雪の中にひっそりと咲く椿のようなその微笑に、軍務中だというのについ見惚れてしまう俺であった。
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[あとがき]
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