第552話 逆プロポーズ
世界樹奪還から二週間が過ぎた。すっかり完成した擂鉢山要塞には、皇国から派遣されてきた五〇〇〇を超える兵が駐屯している。
地形が険しく大部隊の運用が難しい大森林でこれだけの規模の兵を動かせるのは、世界広しといえど皇国を除いて他にあるまい。
大軍は普通、人を惑わす魔力に満ちた霧の中を歩けはしないのだ。ではどうしてそれが皇国軍に可能だったのかといえば、答えは簡単。エルフ族の全面的な協力があったからにすぎない。
そんなエルフ族によって構成された対連邦軍事組織「アルフヘイム解放戦線」の面々もまた、この擂鉢山要塞を拠点として使いつつ、広い大森林に散らばって残敵の掃討および警戒にあたっている。
もちろん、「アルフヘイム解放戦線」だけでは広大な旧エルフ領――――いや、既に「旧」と付ける必要はないかもしれないな。エルフ領を維持しきるのは難しい。公国連邦は人海戦術を多用してくるのだ。いくらキルレシオに圧倒的な差があったところで、数の暴力を前にしてはいかんともし難いのが実情である。
そこで、バックアップに入るのが我らが皇国軍である。数千人規模の歩兵、砲兵、
その甲斐あって、世界樹奪還からまだわずか二週間ほどしか経ってないにもかかわらず、既に大森林のほぼすべての領域がエルフ族のもとに返っていた。対する連邦軍はといえば、圧倒的な質的優位にあるエルフ・皇国連合軍を前にして、大森林への再侵攻をためらっているらしい。
何しろ五〇年もの間、自国が支配していた領域である。地の利こそあっても、再奪取するための作戦計画など想定すらされていなかったに違いない。
よしんばかつての侵攻計画が史料として残っていたとしても、五〇年という時間はあまりにも長かった。既に時代は移り変わり、戦い方の常識も大きく変化しているのだ。
そもそも五〇年前には魔導銃なんて代物はほとんど普及していなかったし、魔導砲に至っては影も形も無かったのだ。原始的な火縄銃こそあったものの、弓と槍、剣に魔法が主流の戦場にあっては非魔法士による待ち伏せ攻撃程度にしか使えないのが実情であったらしい。戦列を形成した大軍同士がぶつかるような大規模会戦や籠城戦では銃にもそれなりに活躍の機会があったらしいが、少なくとも大森林でそれは起こりえない。
既存のパラダイムが通用しない現代の戦場にあって、公国連邦軍が取りえた唯一の対応は「静観」だった。これから再侵攻に向けて色々と準備を進めるのか、それとも別の方向から攻めてくるのかはわからない。
だが少なくとも、このまま連邦軍が大人しく引き下がるということだけは考えられないだろう。
嵐の前の静けさ。そう形容するのが最も適切な、不気味な平穏がエルフの森に訪れていた。
*
「長らく帰っておらんかった故郷の地に、まさか自分がこうして凱旋することになるとはの……。人生、本当に何があるかわからぬもんじゃのー」
首都イグドラシルの中心部から少し外れた、小高い丘の頂上に建つ政庁。通称、「森の御所」の二階の窓から、目下、絶賛復興中の街を見下ろしながらマリーさんが呟いた。
彼女が座っているのは、マリーさんのためだけに用意された立派な椅子だ。
玉座というにはやや簡素な、しかし大森林産の銘木を用いた上品な椅子。エルフ族の棟梁にふさわしい上等な椅子に座ったマリーさんは、ちっちゃ可愛いのになぜか不思議と大将軍の貫禄を醸し出している。
「不思議も何もあるか。妾は職歴五〇年の大将軍じゃぞ。もっと敬え」
「気付いたら皇国軍の最年長だもんね」
「嬉しくない記録じゃがの」
そう言い返すマリーさんではあるが、表情に
「妾はこれから複雑な立場に置かれることになりそうじゃ」
腕を組んだマリーさんは、封印装置としての機能を失った
「妾はもともとエルフ族の棟梁じゃ。それは皇国軍人となった今でも変わってはおらん」
ハイエルフのマリーさんの存在は、エルフ族にとっての精神的な支柱である。国破れて亡国の将となったからといって、マリーさんの存在価値が薄れるわけではない。
「じゃが、いかんせん五〇年という年月は長すぎたようじゃ。妾は皇国の中枢に食い込みすぎた」
今やハイラント皇国はエルフ族抜きの状態が考えられないほどに、両民族の融合が進んでいる。
エルフ族にしてもそうだ。世界樹と旧領土を回復したからといって、ハイラント皇国の後ろ盾無しでは大国・ヴォストーク公国連邦を相手に独立を維持するのは限りなく難しい。
ゆえに皇国領エルフ族自治区が分離独立、ないし「アルフヘイム解放戦線」に編入される可能性もまたほぼゼロに等しいのだ。
今回独立するのはあくまで回復した旧領土の部分のみ。「アルフヘイム解放戦線」が中心となった親皇国政権が樹立される見込みとなっている。
そしてマリーさんは皇国のエルフ族と旧領土のエルフ族の両方から崇敬を集める存在だ。このことが意味するのはすなわち、マリーさんはさながら英国王室のように複数国家・地域の君主としての振る舞いを求められるということである。
「マリーさん、なんだか世界を股にかける王様みたいだね」
「厳密には王侯貴族の類とは少し違うんじゃがの。まあ、傍目には似たようなもんかの」
結局、マリーさんは旧エルフ領を取り戻した後も皇国人を辞めることはないようだ。皇国貴族であり、エルフ族の棟梁であるマリーさん。今後は皇都とシルフィーネの街、それからイグドラシルの街に、魔の森と、四ヶ所をぐるぐる回ることになりそうだ。
ただでさえ忙しいのに、これからもっと忙しくなってしまったら、俺との夫婦生活はどうなってしまうんだろうか。まだ俺達は内縁の関係であって、正式な夫婦にすらなっていないのに……だ。
そんな俺の内心が通じたのか、マリーさんは少しだけ呆れたような顔になりつつ、しかし嬉しさを隠しきれない感じで小さく溜め息を吐いてから手招きのジェスチャーをした。
「エーベルハルトよ。
「うん。何?」
足を組んで椅子にどっかりと腰を下ろすマリーさんのもとに近寄ると、彼女はぐいっと俺を引き寄せから優しく抱き締めてくれた。
「随分と待たせてすまんかったの。これでようやく最後の障害が消え去った。……妾と正式な
「マリーさん……」
耳元で優しく囁くマリーさんの声が、俺の耳朶を震わせて脳髄を痺れさせる。彼女の言葉を何度も反芻し、少しずつ意味を理解してきたあたりで俺の胸は色々な感情でいっぱいになった。
ヤバい。泣きそうだ。
「マリーさん……」
「な、泣くでない。お主は笑っておるのが一番じゃ」
「それ普通、男女が逆だよ゛〜……」
愛しのお師匠様は、ついに長年の願いを果たした。マリーさんはようやくすべてのしがらみから解放されたのだ。彼女を縛るものはもう何も無い。自由になったマリーさんは、やっと幸せを自分から掴み取りにいけるようになったのだ。
俺はそれが嬉しくて、つい柄にもなく感涙に咽び泣いてしまったわけである。できれば男泣きと言ってほしい。じゃないとなんだかちょっぴり恥ずかしいじゃないか。
「愛しておるぞ、エーベルハルト」
「俺だって愛してるよ、マリーさん」
窓からひょうと風が吹き込んだ。冬の寒気を孕んだ辻風は冷たく、木々に阻まれて弱まっているとはいえ部屋着の身には少し厳しい。
だが、その寒さすらも俺とマリーさんの距離を縮めるスパイスにしかならないのだ。窓の外から聴こえる風の音が、まるで俺達を囃し立てる口笛に思えて少しだけ笑ってしまった俺であった。
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